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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都と大坂、似ていて異なる町並みをさぐる - 伊藤毅『町屋と町並み』 -

京都本




  『町屋と町並み』 伊藤毅『町屋と町並み』山川出版社・日本史リブレット


 まいまい京都の大阪ツアー

 京都の町歩きを開催されている団体<まいまい京都>。
 今回は、ご一緒に京都を飛び出して、大阪ツアーを行うことになりました。(申し込みは既に終了しています)

 主に、上町から船場を歩くもので、3~4㎞ほどのコースです。
 この会のツアーは、いつも和気あいあいとしていて楽しいのですが、今回もマニアックな目線で大阪を理解する手掛かりを発見していきたいと思っています。


 ともに碁盤目状の町だけれど…
 
 よく知られているように、京都は平安京以来、碁盤目状の町並みです。
 そして大阪も、同様に碁盤目状の整然とした町になっています。

 伊藤毅氏の『町屋と町並み』は、江戸時代の京、大坂、江戸という三都を比較した書物です。
 100ページほどのブックレットで、平安京から中世、そして近世の京都について説明し、さらに豊臣期から近世に至る大坂の発展と、巨大都市・江戸についてふれています。図版も80点入っており、理解を助けます。

 京都も大坂も、町(ちょう)は「両側町」だと、よく言われます。

 京都の両側町
  京都の両側町(『町屋と町並み』より)

 図の網掛けになっているところ、冷泉町です。
 この町は、室町通の両側で1つの町内になっているのです。

 現代人の感覚だと、4つの道路に囲まれた四角いブロックが1町だとイメージします。ところが、京都や大坂では、道の両側が1町になるのでした。

 ところが、両者で異なる点があるのですね。

 両側町模式図
  京都の両側町模式図(『町屋と町並み』より)

 京都の町の形は、このように菱形になっています!
 もちろん模式図なので、実際にはギザギザの菱形ですね。

 例えば、インターネットのマップで、「京都市中京区山伏山町」とか「中京区鯉山町」と検索してみると、町の形が分かります。おおむね菱形で、室町通をはさんだ両側町になっているのが理解できます(模式図の黒い菱形)。

 一方、例えば「中京区橋弁慶町」を検索すると、東西の街路である蛸薬師通をはさんだ両側町だと分かりますし、「占出山町」を調べると、錦小路通をはさむ両側町として現れます(模式図の白い菱形)。

 このように、京都の場合、南北の通りにも町があるし、東西の通りにも町がある、という特徴が見られます。

 鯉山町 鯉山町


 違うパターンの大坂の町

 京都のほかに、名古屋なども菱形スタイルだそうです。
 ところが、大坂は違っているんですね。

 マップで、「大阪市中央区道修町1丁目」と検索してみてください。

 どうでしょう、横長の長方形の両側町が登場するでしょう。

 大坂の両側町
  大坂の両側町(『町屋と町並み』より)

 先ほどの道修町(どしょうまち)の南にある平野町の模式図。マップで見ても、現在もこの町が生きています。

 大坂の中心街・船場(せんば)の町の特徴は、原則として、東西の街路に沿って両側町が造られている、というもの。
 南北の街路沿いに展開している両側町がないのです(堀川沿いなど例外はあります)。

 このため、大坂の町屋は、東西の街路(「通り」と呼ぶ)に入口を開いていて、南北の街路(「筋」と呼ぶ)には入口はない、というのが基本です。上の模式図でも分かりますね。
 もっとも、これは原則なので、江戸時代にも「筋」に入口のある家はあったし、現在もそうなっています。ただ、基本的には「通り」がメインストリートなのが大坂です。

 小西儀助商店
  道修町の小西家住宅(重要文化財)

 なぜそうなっているのか、3つほど理由が考えられます。

 1つは、秀吉が先に造った伏見の町にならった、という考え方。
 2つめは、大坂城が町の東端にあるということ。そのため、東に向かう通りがメインストリートになるという考え方。
 もう1つは、船場の東端にある東横堀川付近から、西端にある西横堀川へ下水が流れているため、という考え方。大坂では、模式図にあるように、背中合わせになった町の境界に下水の溝(背割り下水)が通っていました。この流れが、東→西なのです。


 似ているけれど違う京、大坂

 4つの街路で囲まれた町のブロックも、京都は基本60間(約120m)四方ですが、大坂の船場は40間(約80m)四方で、異なっています(ちなみに江戸は60間四方)。

 また、「○○町」の読み方も、京都は「○○ちょう」に対して、大坂は「○○まち」。例えば、道修町=どしょうまち、平野町=ひらのまち、淡路町=あわじまち、なのですね。
 もちろん、例外もあって、大坂でも「ちょう」のところはあります。例えば、上町になりますが(天満橋駅の近く)、「船越町」というのがあるんですよ、誰かの名前と同じですが(笑)
 これは「ふなこしちょう」です。
 俗説のようですが、町人の住むところは「まち」で、お侍の住むところは「ちょう」だという話も。
 確かに、この船越町は、5600石の大身の旗本(幕臣)船越氏が蔵屋敷を置いていたところだとか。江戸時代、官庁街であった上町には、ほかにも鈴木町(すずきちょう)など、「ちょう」町名があります。

 京都と大坂が、見た目似ているけれど少し違う、などと言うと、“もとから全然違うぞ” とお叱りを受けそうです。
 今回は<まいまい京都>の大阪ツアーということで、あえて比較してみました。




 書 名 『町屋と町並み』
 著 者  伊藤 毅
 出版社  山川出版社(日本史リブレット35)
 刊行年  2007年 
 
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