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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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高瀬川の取水口・樋ノ口は、二条大橋近くにある





高瀬川樋ノ口


 高瀬川の取水口「樋ノ口」

 高瀬川といえば、京都の繁華街・木屋町を流れる細い川。京都らしい情緒を醸し出しています。
 この川は、よく知られているように、江戸時代の初め、角倉了以によって人工的に開削された運河です。

  角倉了以翁顕彰碑 角倉了以翁顕彰碑(旧立誠校前)

 運河は、二条から始まり、七条を経て伏見に至ります。
 伏見からは、宇治川を経由して、淀川の水運で大坂と結ばれていました。
 まさに高瀬川は、「天下の台所」(物資の集散地)であった大坂と、京都市街を結ぶ大動脈の一部だったのです。

 高瀬川
  高瀬川

 この高瀬川、地図を見ると二条通あたりから始まっています。
 実はこの地点の鴨川側に、取水口があるのです。

 鴨川には、川の西側に並行して小さな川が流れています。これを「みそそぎ川」と言うんだそうです(京都の人も知りません)。

 鴨川
  鴨川とみそそぎ川

 みそそぎ川は、加茂大橋の下流から分岐して、最初は暗渠になっています。
 姿を見せるのは、丸太町橋の南、およそ夷川通あたりです。その場所は、私も確認したのですが、暗渠の出口に「みそゝぎ川」の銘板がありました。
 この川が開渠のままでリッツカールトンホテル(ホテルフジタ跡)の横を通り、二条大橋をくぐって流れていきます。
 
 二条大橋の下流です。

 高瀬川樋ノ口

 真ん中の樹木が茂っているあたりが、がんこ寿司(がんこ高瀬川二条苑)。高いビルが、京都ホテルオークラです。
 堤防上の植え込み部分が、みそそぎ川です。

 高瀬川樋ノ口

 このポイント、左、真っ直ぐ、右と、三方に水流が分かれます。
 ここが、高瀬川の取水口なのでした。

 高瀬川樋ノ口

 左に曲がると、取水口。
 歴史的な雰囲気は余りありません(笑)

 余った水は、逆方向に落ち、鴨川へ排水。

 高瀬川樋ノ口
  鴨川への落し口

 この写真の左側に、案内板が立っているのですが、ものすごく退色していてほとんど読めません。目を凝らして見てみると、やはり高瀬川取水口と書いてあります。

 この取水口のことは、昔は「樋ノ口(ひのくち)」と呼んでいました。
 樋(ひ)とは水門の一種。樋が設けられた地点が、樋ノ口、樋口なわけで、こういう地名は各地にあります。
 実は、この二条にも、かつては樋ノ口屋敷(いまふうに言うと水門管理事務所)が設置されていました。その名残として、現在も樋ノ口町の町名が残っています。


 高瀬川の始点から一之船入へ

 取水口から入った水は、がんこ高瀬川二条苑の庭園内を通っていきます。
 ここは旧山県有朋別邸で、川の水を取り込んだ回遊式の庭があります。水流はそこを通り抜け、邸外に出ていくのです。

 がんこ高瀬川二条苑
  がんこ高瀬川二条苑の外壁(通りは木屋町通)

 大きな石垣の内が、がんこ。
 石垣前に橋の高欄が見えますが、この下に暗渠となった流れがあります。
 木屋町通をくぐると、いよいよ高瀬川となるのです。

 高瀬川樋ノ口

 おー、こんな感じですね。
 
 割とこぢんまりしています。
 ただ、この下流側に一之船入があるために、史跡らしい雰囲気になっています。

 高瀬川一之船入碑
 高瀬船
  復元された高瀬船
 
 
 船入を訪ねて

 高瀬川は、舟運のための運河だったので、そのための施設がありました。
 最も代表的なものが、船入(ふないり)や船廻しです。

 船入は、二条から四条の間に9か所造られていました。川の西側に設けられ、荷降ろし、荷積みができる場所でした。
 船廻しは、四条以南にあって、船の方向転換をするスペースでした。

 現存している船入は、一之船入だけです。
 ただ、例えば、旧立誠小学校の北にある七之船入跡は、昔から広場のようになった場所が残されていて、船入跡であることがしのべます(今は自転車置き場になりました)。

 その一之船入。

 高瀬川一之船入

 高瀬川からの入口。
 船入自体も、かつてよりは狭くなっているそうなので、入口も狭まっているのでしょう。

 高瀬川一之船入

 京都ホテルオークラの北側の押小路通に、見学者入口があります。
 中に入ると……

 高瀬川一之船入
  旧一之船入(西から東を望む)

 奥行の深い水面が拡がっています。
 南と西は、レストランなどのお店。北側は日本銀行京都支店で、その昔は角倉屋敷があった場所です。
 かつてよりは、狭くなっているそうで、周囲の石垣もそんなに古くなさそうです。もちろん、この石垣では荷降ろしができませんから、廃止後に築かれたものなのでしょう。

 高瀬川は、往時は今よりも川幅が広く、船は川岸の曳き手によって曳かれていました。
 明治28年(1895)に市街電車が通ることになり、木屋町通が出来、高瀬川の景観も変わっていきます。
 大正9年(1920)に舟運が廃止。史跡として今にその面影を伝えています。




 高瀬川取水口(樋ノ口)

 所在  京都市中京区東生洲町
 見学  自由
 交通  地下鉄「京都市役所前」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 『京都市の地名』平凡社、1979年
 川嶋将生ほか『京都町名ものがたり』京都新聞社、1979年


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