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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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吉水弁財天で、秘仏の弁天さまを見てしまった僧侶の運命は……

洛東




吉水弁財天


 日本的な弁才天の造形

 先日、滋賀県のある博物館で展示を拝見していたら、立派な弁才天(弁財天、弁天)の座像が陳列してありました。竹生島に奉納されたものだそうです。

 その造形なのですが、通常の一面八臂(いちめんはっぴ。顔が1つで手が8本)の弁才天の頭上に、おじいさんの頭が乗っかっているのでした!
 このおじいさんは、宇賀神(うがじん)というもので、老翁の顔をしていますが、カラダは蛇です ! !
 
 弁才天は、インドから日本に入りましたが、学問・技芸から戦さまで、さまざまな功徳が説かれるようになります。しかし、もともとはサラスヴァティーというインドの川の女神でした。つまり、水の神さまだったわけで、五穀豊穣をもたらす神だったのです。
 一方、宇賀神は日本生れの穀物の神さまです。その起源は、宇迦之御魂(うかのみたま)に由来するともいわれますが、定かではありません。
 弁才天と宇賀神は、ともに五穀豊穣を叶える神さまということで、ふたつをくっつけるとダブルの効果? が得られるわけです。
 このミックスは、仏経典には見られないらしく、日本オリジナルということです。


 京都の弁才天

 そんな像を見て滋賀県から帰ってくると、京都の弁才天が気になり始めました。
 「京羽二重(きょうはぶたえ)」(1685年)をひもとくと、「弁財天二十九ケ所」というのが出ています。京都にある著名な弁天さん29をリストアップしたものです。
 それを見ると、ほとんどの弁天さんが単独ではなく、お寺の中に祀られていることに気づきます。
 例えば、廬山寺、清荒神、天性寺、大雲寺、四条道場、安養寺、長楽寺、東寺、壬生寺などなど。江戸時代では有名な寺院が多いです。

 その中で、今回は円山公園の奥にある安養寺の弁才天を取り上げてみましょう。


 安養寺の弁財天

 安養寺の弁天さんは、吉水(よしみず)弁財天と呼ばれています。

 吉水弁財天
  吉水の井

 浄土宗の開祖・法然上人が庵を結んだ場所。そこに吉水という水が湧いていた、というところ。
 なので、吉水弁財天です。

 吉水弁財天
  吉水弁財天  左の石段を上ると安養寺に至る

 この弁天さんのことは、以前少しだけ書いたのでご参照ください。

 記事は、こちら! ⇒ <きょうの散歩 - 吉水弁財天堂と「舞妓はレディ」 - >

 幕末の「花洛名勝図会」に、こちらのリアルな図が掲載されています。

 「花洛名勝図会」より「吉水弁天社」
  吉水弁天社(「花洛名勝図会」五)

 鳥居と立派な拝所を持つ弁天社。
 ちなみに、鳥居の左脇には、池のような吉水が描かれています。

 ただ、このお堂は、明治34年(1901)には壊れたようで、明治44年(1911)に新築されています(境内の再建記念碑による)。
 つまり、いまの弁天堂は約100年前のものということになります。龍や獅子など細部の彫り物が明治らしいですね。

 吉水弁財天

 本尊の弁財天のうしろには、宇賀神が祀られているそうです。
 先ほどの像と同じ考え方なわけですね。

  吉水弁財天 背面には宇賀神を祀る


 秘仏を見た僧!

 ところで、「花洛名勝図会」には、図以上に興味深い話が掲載されています(大意です)。

 吉水の弁才天女の尊像は、秘仏なので見ることが許されていなかった。

 少し昔のこと、住職に老僧がいたが、慢心が生じたのか、「弁才天は当山に降臨した尊天である。私もまた当山の一老職であって、毎日お仕えしているからには縁のある身のはず。いかに秘仏といっても、拝礼するのにどうして祟りがあろうか」

 皆は、これを聞いて止めたが、老僧は聞き入れなかった。
 ついに、独り壇にのぼって、扉を開いて尊像を拝したのだ。

 拝んでから、さらに見ようとした時、尊天からものすごい光線が出て、老僧の目を射たのである。
 老僧は驚いて、あわてて扉を閉じたが、そのまま気絶してしまった。

 皆で介抱して、坊に戻り、いろいろと弁才天をなだめる修法をすると、ようやく老僧は意識を取り戻し、一命は取り止めた。
 しかし、それ以後は盲目になってしまったという。  


 ちょっと怖い話です。
 秘仏を見て、目に光線(原文では「赫々たる光明」)を射かけられるなんて、聞いたことがありません。

 「花洛名勝図会」は、それに続けて、

 かゝる応験神速なる霊像なるが故、都下の良賤、ことには鴨東の妓娼等、信心崇敬し、香花を捧げて間断なく歩みを運ぶ者、頗る夥(おほ)し

 と結んでいます。
 「応験神速」、すなわちレスポンスがとっても早いので、功徳があると、京の人々、とりわけ花柳界の綺麗どころに信仰されたということです。 
 また、巳の日にはとりわけ人々が集まると書いています。
 これは、今日でもあるようで、こんな看板が懸けられていました。

  吉水弁財天

 ちなみに、大正4年(1915)に刊行された『新撰京都名勝誌』にも、吉水の弁財天は「本尊は秘仏とし、例月巳の日信仰の徒賽詣するもの多し」と記されています(142ページ)。

 弁天さんは水の神さまなので蛇(巳=み)とも関係が深く、うがった見方をすれば、冒頭の宇賀神の蛇身ともかかわりがあるのかも知れません。


  吉水弁財天




 吉水弁財天堂

 所在 京都市東山区円山町
 拝観 境内自由
 交通 市バス「祇園」下車、徒歩約15分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 「京羽二重」1685年(『京都叢書』所収)
 『新撰京都名勝誌』京都市役所、1915年
 中村元『図説佛教語大辞典』東京書籍、1988年
 展示図録『大湖北展』滋賀県立安土城考古博物館、2016年

 
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コメント

いにしえ人の感性

宇賀神が頭の上に乗った弁財天・・・その造形が気になって、検索してみました。

も~、びっくりポンです。

なんと!弁財天の頭の上に「おじいさん」が乗っているだけでも超不思議なのに、冠はまるで鳥居のようですね。

今まで、弁財天といえば琵琶を弾いている美しい姿というイメージでしたので、地域によっていろいろなお姿があるのですね。

神や仏を畏れ、冒涜すれば報いを受ける・・・少し怖いですが、それが信仰する者の礼儀と考える、その精神性もいにしえ人の感性なのでしょうか。

古を知れば知るほど、興味深いです。

余談ですが・・・まいまい京都の「船越先生ツアー」は何時も即完売となっており、超難関です。いつか突破して船越先生の感性にふれたいと願っております。

ご愛読ありがとうございます

いつもありがとうございます。

弁才天は、おっしゃるように、ふつうの女性みたいなお姿で琵琶を弾じている像が多いですよね。
この弁才天+宇賀神というのは、実におもしろいです。

弁才天というと、関東の方は圧倒的に江の島を思い浮かべられるのだと思いますが、関西ではどうでしょう?
本当は、竹生島というべきところですが、今の人は知らないのでは??

まいまい京都、すみません。
事務局の方によると、受け付け後、すぐに満杯になってしまったそうです。たいへんありがたいことなのですが、ご希望に沿えず申し訳ない限りです。
また春にもやる予定ですので、ぜひお願いします。

ちらりと拝した弁天様は・・・

京都でも彼方此方で弁才天を祀っているのですね。

吉水弁財天は文字通りの水の神でしょうが、古くから商業が盛んだった京都各地の弁才天は福の神としての信仰の方が篤いように思えます。

ところで、偽書と言われているウヱツフミにウガツチとかウガツチカタシロカミという語句が出て来ますが、私はこのウガと宇賀に関連があるのではと考えています。

ウヱツフミには、ソコツワタツミノミコト、ナカツワタツミノミコト、ウハツワタツミノミコトの三柱の海神が、杵築の宮に坐すオオナムヂノミコトに対し、海神の子孫が代々オオナムヂノミコトに仕える証しとして、毎年の神無月にウガツチカタシロカミを杵築の宮に使わすと誓ったことが記されています。

この誓いが、現在も出雲の神有祭で稲佐の浜にて斎行される神迎神事となり、ウガツチカタシロカミとは、この神事が斎行される稲佐の浜にるという龍蛇神のこととされています。

因みに、ウガツチのツは「○○の」という意味の助詞で、チは記紀などに出て来る「ヌヅチ」や「ククノチ」のチと同じ「生き物」という意味だと解しています。

そして、元々はウガツチカタシロカミ=龍蛇神の信仰と弁才天の信仰が別々であったものが、共に水に所縁有る神として習合したのだと考えています。

宇賀神の考察は扨措き、弁才天は寺院のみならず、神仏習合習合の名残で神社にも祀られていますが、寺院の秘仏開帳はあっても、神社の御神体は絶対に公開はしません。

私は、然る神社に祀られている弁才天の社殿の改築に伴う遷座祭に奉仕する機会があり、「弁才天が拝める♪」と期待し、警蹕をかけながら横目で宮司さんが手に持つ弁才天像を見たのですが、一瞬ですが地蔵菩薩のようにしか見えませんでした。

神社に祀られていた弁才天は、明治維新以降は市杵嶋姫命として祀られていることもあり、由緒書に「御祭神は市杵嶋姫命」と書いてあっても、個別に調べないと宗像の三神由来なのか、弁才天由来なのか判りませんね。

ありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。

滋賀県の学芸員さんが言っておられましたが、神像は公開しないことを前提に造られている尊像ということで、世界的にも珍しい存在なのだそうです。
確かに、今でこそ博物館や宝物殿で神像を見ますけれども、神社の社殿で神像を見たことはありませんね。
なかなか興味深い話でした。

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