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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

【新聞から】「府政だより」から「府民だより」へ、昔も今も編集の苦労は変わらない

その他




府民だより


 日本海側から京都を強く
 きょうと府民だより 2016年2月号



 前回、美山の茅葺き民家を紹介しました。
 美山は、現在は京都府南丹(なんたん)市に属し、市町村合併前は北桑田郡美山町でした。

 私は京都市内に住んでいるので、ここで紹介する史跡、寺社なども、京都市内のものが多くなりがちです。
 けれども、祖父の出身地は旧船井郡日吉町、つまり現在の南丹市ですので、丹波の地とも深いゆかりがあるのでした。
 そのあたりは、南北に長い京都府の中で言うと、およそ真ん中に位置するというイメージです。
 という理由は、そこが日本海側と太平洋側の分水嶺に近い、ということにあります。

 京都市内を流れる鴨川や桂川(上流は保津川)、あるいは宇治川や木津川は、淀川水系です。
 一方、この分水嶺から北方に流れ落ちる川は、由良川水系となり、日本海に注ぎ込みます。
 私の名前は「船越」というのですが、こんな山中の村なのになぜ「船」が付く苗字があるの? と思われますが、実はこの分水嶺が船越という名の由来だと考えています。

 美山
  美山を流れる由良川源流

 暖かくなったら、そんな由良川水系の旅もやってみたいな、と思うのですが、今日は「新聞から」。
 京都府民に配布される府の刊行物が「きょうと府民だより」です。
 2016年2月号で、通巻418号。
 ということは、30年以上も発行されつづけている勘定になります。


 「府政だより」の創刊

 その歴史を軽く探ってみると、「きょうと府民だより」の創刊は、昭和54年(1979)1月のことでした。
 意外に新しいな、と思ったら、その前身として「府政だより」というものがありました。

 昭和24年(1949)4月の創刊で、京都府立総合資料館には、昭和53年(1978)1月まで161号が保存されています。いまと同じ月刊で、創刊号を見ると「毎月十五日発行」と書かれています。発行者が、広報課ではなく「弘報課」となっているところにも時代を感じさせます。
 
 この「府政だより」は、いまインターネット上から閲覧することができます(京都府立総合資料館「京の記憶アーカイブ」)。
 創刊号は、体裁も紙質も新聞のような感じで、8ページ。
 冒頭に、木村惇(あつし)知事の「発刊のご挨拶」が記されています。

 「暗く寒い忍従の冬も過ぎて、万物萌え出でる青々溌剌の春がやつて参りました」と始まる木村知事の挨拶。当然、この新しい刊行物の発行の目的を語ることになります。

 知事曰く、府の施策のうち知ってもらいたいもの、協力願わねばならないもの、逆に知りたいと思われること――それらを分かりやすく報道し、府の意図や台所事情を知ってもらい、協力や批判をいただきたい、と述べています。
 つづけて、木村知事は言います(適宜改行しています)。

 申すまでもなく、民主々義政治の下におきましては治者と被治者という区別はないのでありまして、府政について言えば、府政の主人公は府会でもなければ、知事でもなく、府民の皆様が府政の主人公である訳です。
 皆様の選挙によつて選ばれた府会議員は、皆様に代つて予算とか決算とか条例とか審議議決の面を担当し、この執行面は之又[これまた]府民の直接選挙によつて選ばれた知事がこれを担当しているに過ぎないのであります。
 それ故に、議員も知事も共に公に奉仕する立場であるに過ぎないのでありますから、府政のことは府会や府庁へまかせておけばそれだけでよいというような傍観的の考え方は民主々義の下では許されないのであります。(中略)

 従来は、知らしむべからずとまでは行かなくとも、七面倒なて数はなるべく省いて、こう決まつているんだからついて来いと言つた風な、「倚[よ]らしむべし」的な方式が国政に於ても府政に於てもともにとられていた傾[かたむき]があつたと思うのであります。
 しかし、いかにそのことが手数がかかつても、台所を担当しているものは台所の状況ありのままを主人公に報告する義務を怠つてはならぬでありましよう。同時に又、ほんとに、常に一家のことを心にかけている主人公なら、その報告を熱心に聴くばかりでなく、納 (以下、欠落) (中略)

 時によつてはその報告内容は、細々と煩わしかつたり、又あまり愉快な結果が出ていないために心中不快な思いをすることもあるでありましよう。しかし、その主人公が辛抱強く、一家の生活改善について、家族の健康について熱を持つて、家計担当者と一つしよになつて努力するならば必ずよい結果を招来するでありましよう。(後略) 

 
 いま読むと、かえって新鮮です。戦後、民主主義がスタートした頃の言葉ですね。

 木村惇(あつし)という人は、戦前の外務官僚で、戦後、第31代京都府知事に就任。府のウェブサイトによると、最初の府議会でリンカーンの言葉を引いて、「府民のためを思い、府民の手によって運用する府民の政治をし、160万府民の代表者として大任を果たしたい」と述べたそうです(京都府ウェブサイト「歴代の京都府知事」)。
 その後、初の公選知事となりました。当選の2年後、「府政だより」が創刊されたことになります。
 ちなみに、木村知事の辞職後に就任する知事が蜷川虎三(にながわ・とらぞう)。私が実際に知っているのは、この蜷川府政の時代からですが、もう歴史的人物ですね。


 いまの「府民だより」

  きょうと府民だより 「きょうと府民だより」2016年2月号

 かつての「府政だより」は、昭和54年(1979)4月から「府民だより」に改題されました。
 実は、昭和53年4月に、28年! の長きにわたった蜷川府政が終わり、後任に林田悠紀夫(ゆきお)知事が就任しました。林田さんは自民党ですから、いわゆる革新府政の終焉です。
 それにあわせて「たより」のタイトルも変更されたのでしょうか。なんだか、おもしろいですね。

 そんな「府民だより」。
 今月号(2016年2月号)の主な内容を紹介してみると……

 ・クリーンエネルギーで 日本海側から京都を強く
 ・文化庁の京都移転実現に向けて、国に要望書を提出
 ・和食と「京都・和食の祭典2016」
 ・京都中丹ジビエフェア2016
 ・企業との地域活性化包括連携協定
 
 巻末の4ページは、情報ページです。
 「府民だより」は、京都市の話よりも、丹後、丹波、南山城といった地域の話が多くなります。
 今回、和食特集に続いて、ジビエが取り上げられていたのには驚きました。
 確かに、京都府内には山間部が多いので、鹿肉とか猪肉とか、いろいろ捕れるのですね。
 この「京都中丹ジビエフェア2016」は、福知山、舞鶴、綾部などのお店で、2月末まで開催されているそうです。


 「あとがき」が、おもしろい!

 今回、「府民だより」を取り上げてみようかなと思ったのは、実は編集担当者の編集後記、つまり「あとがき」でした。
 
 気付けば2月。広報担当になってもうすぐ1年が経過しますが、日々感じるのは「伝えたいことが伝わる」ことの難しさ。
 (中略)
 特に今回の特集では、未だ皆さんの目に見えない “京都の一歩” が少しでも伝わる紙面にするため、本当に悩みました。なんとか形にした内容が、1人でも多くの方に伝わることを願っています。皆さんの率直なご感想をお聞きできれば嬉しいです。


 これは、ご担当の新納麻意さんの編集後記です。
 日々考え悩みながら、編集に当たっておられる様子が、よく伝わってきます。

 実は、60余年前の「府政だより」にも、あとがきがありました。
 創刊号のあとがき(「編輯室」)には、こうあります。

▽「倚[よ]らしむべし、知らしむべからず」と云ふ官僚主義の旧套を脱ぎ捨てて「民主主義」の晴衣に着替える為、咲きそめる花にせき立てられて、漸く縫ひ上げたのが此の「府政だより」第一号です。

▽未熟者が急いで縫つた着物は、お見かけ通り体裁もよくないばかりでなく仕立て下しはどうも体にぴつたりそわない様ですが。

△編輯子の及ばざるところ次号への努力を御誓いしてお詫びを申し上げると共に今後の御指導を願ふ次第です。(後略) (第1号、昭和24年4月号) 


 時代が180度転換し、担当となった職員たちの心境がよく表れています。
 続いて、第2号のあとがきです。

(前略)
◇桜の花のほころびのうちにと晴衣を着せて兎も角もお手許迄お届けした創刊号も、親しく読んで戴いたことと存じます。皆さんに今後とも可愛がられる便りとして育つて行くためにキタンのない御意見をお願ひして止みません

◇私達の京都府をよりよいものとするために出来るだけ多くの資料を提供して、府の現状をよく知つて戴き理解の上に皆さんの御協力をお願ひすることが一番大切であると思ひますこうした小さな紙面乍[なが]ら果す使命におもひをいたしあれもこれもと編輯子も懸命です (第2号、同年5月号)


 「編輯子も懸命です」というところに、実感がこもっています。
 そして、第3号。

(前略)
◇素人揃いの編集子が額をあつめての健闘ながら、まだまだ希望通りには程遠い。待たれる「府政だより」とするまではと張切つています。

◇三つ児の魂百までという言葉があるが本紙もはや第三号をお届けすることができました。私達の京都府のありのまゝの姿を知つていただいて、正しい判断に基いた御批判や御協力をお願いする本紙の使命は百号千号に至るも変りなくと編集子は懸命です。

◇これ程頭張つている編集子にお褒[ほめ]の言葉があつてもよい頃、いやお叱りの言葉でもよい、紙切れにでも御感想を下されば。 (第3号、同年6月号) 


 おもしろいですね、「お褒の言葉があってもよい頃」とは。
 ご自身たちは、かなり努力され、自信作に近付いている手ごたえがあるのでしょう。

 第4号では……

◎号を遂うて一進一歩と自認する編集子、内外を通しての予期以上の好評に筆の運びも軽い

◎前号についての御意見頂きましたが締切後のため止むなく次号へ、この点お諒解下さいますよう。 (第4号、同年7月号) 


 「好評に筆の運びも軽い」とは、なかなか結構なことですね!
 前号の感想も届いているようです。

 このあと、あとがきのない号や欠号があるのですが、第5号(8月号)の記事には、弘報課の陣容が刷新され、部屋も本館の玄関脇になり、「文字通り府政の玄関番をつとめています」と記されています。

 第7号のあとがきには、そのことがふれられています。

(前略)
△弘報課が府庁の玄関横に陣取つて皆様の御出でをお待ちしています。皆さんの府庁をよりよくする為の御意見御要望をどしどし御寄せ下さい。

△読んでいただいている方々だけに可愛がられる府政便りに終らせないで、一人でも多くの人々に回覧していただいて、御批判や御協力を待ちたいのが編集子の切なる願いです。

△どの町どの村からも増刷要望の声に応えて努力すると共に弘報課では新しい企画として美い壁新聞の発行や弘報資料の編集を計画しています、御期待下さい。 (第7号、10月号)


 新しい時代に臨んで、はじめて広報誌を作る苦労。
 一連のあとがきには、懸命にその仕事に取り組む府職員の姿が素直に表れています。

 第8号から先、あとがきは姿を消します。
 翌年の6月号に一時復活しますが、簡潔な調子に変わり、最初の頃の調子とは変化します。なにか理由があったのでしょうか。

 昔も今も、たいへんな広報誌の編集。
 あとがきには、担当者の実感が書かれていて、読み手としては共感のできる部分ですね。
 これからも、率直な気持ちをあとがきに書いていただいて、多くの人たちに親しまれる「府民だより」になればいいですね。




 【参考文献】
 「府政だより」各号(京都府立総合資料館「京の記憶アーカイブ」)


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