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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

茅葺きの里・美山を歩く





美山


 民家の「発見」

 京都は、古くから都として栄えてきた土地柄なので、あまり「鄙(ひな)びた」イメージはないでしょう。
 けれども、実際には周辺の農山村とのつながりによって、蔬菜や薪炭、材木などを得てきました。
 郊外の村々、例えば北白川であれ大原であれ高尾であれ、昔は徒歩でも日帰り圏内でした。
 学生の頃、滋賀県の仰木(おうぎ)という集落、これは京都からみると山の向こう側、比叡山の北東にある集落ですが、そこで聴いた話。仰木は、私たちのイメージでは京都とは別世界という感じで、遠く離れているのですが、地元の方によると、昔は歩いて日帰りで京都にものを売りに行っていたというのです。少々意外でしたが、峠道を大原の方へ越えて行けば、案外京都にも近いのでした。
 そんなことで、都鄙(とひ)という言葉がありますけれども、都と鄙(ひな=田舎)は密接に結び付いていたのです。

 大正時代になると、民俗学的な関心により、「民家」というものが発見されます。
 まぁ、地元の人は「昔から住んでたよ」という話ですが、都会の人々にとっては、その頃、田舎にある鄙びた家々が新たに関心の中に浮かび上がってきたわけです。
 全国区では、民俗学者・柳田国男や今和次郎(こん・わじろう)らの活動(白茅会)が著名ですが、京都でも藤田元春(第三高等学校教授)や岩井武俊(大阪毎日新聞記者)らが郊外の民家について記録・研究を行いました。藤田元春は美山の出身なのだそうですが、『日本民家史』という体系的な研究書があります。また、岩井武俊は『京郊民家譜』(正続)という写真記録を刊行しました。


 雪のない冬の茅葺きの里

 2月の寒い日、JR山陰本線・日吉駅からバスに乗り、途中で乗換えまでして、美山を訪れました。
 ここは、京都府南丹(なんたん)市ですが、かつては丹波国北桑田郡でした。現在でも「市」というイメージはまったくなく、いわゆる中山間地域に当ります。
 最も茅葺き民家が集中しており、重要伝統的建造物群保存地区となっているのが「北」という集落です。
 茅葺き屋根の家々が38棟も残っていて、壮観ですね。

 美山
  美山「茅葺きの里」北集落

 美山

 集落は、南に由良川(美山川)が流れ、北に山を背負った地形。集落内は緩やかな傾斜地になっています。
 川側に田んぼが拡がり、山側に住居が点在しています。

 美山
  知井八幡神社から西を望む

 今年(2016年)は暖冬で、当地でも余り雪は降らず、私が訪れた日も4日前に降った雪が融けてきたところでした。

 美山


 北山型の民家

 ここに来ると、おのずと絵画的な写真が撮れてしまいます。

 美山

 とても牧歌的です。

 ところで、ひと口に茅葺き民家と言っても、いろいろなタイプがあります。
 まず、屋根の形を見てみましょう。
 
 白川郷や五箇山で有名な「合掌造」は、切妻(きりづま)造。
 ここ美山の民家は、入母屋(いりもや)造です。

 美山
  入母屋造の屋根

 雪が積もる地域らしく、屋根の傾斜は急です。
 棟の上には、千木(ちぎ。斜めのX型の材)と雪割り(水平の材)を載せています。下の写真でよく分かりますね。

美山

 美山の民家は、もともとは妻入りでした。この写真で言うと、左の面に入口がある形です。

 また、家の中の間取りは、4間(4部屋)なのですが、右側に2間、左側に2間が並んでいます。
 ふつう4間でしたら「田」の字形に配置しそうなものですが、ここの場合、右の列と左の列が少し食い違っているところに特徴があります。

 こういう特徴をひとことで言えば、「入母屋造・妻入りで、食い違いの四間取り」ということになります。
 このタイプを「北山型」と呼んでいます。

 例えば、重文指定されている石田家住宅(美山町樫原)では、家に入ると、まず「にわ」(土間)があり、その先に囲炉裏のある「だいどこ」があって、奥に「へや」があります。へやは寝室ですね。
 右側の列には、まず「まや」(馬屋)があり、だいどこの横に「しもんで」、そして仏壇・床の間がある座敷「おもて」があります。両室の外は「えんげ」(縁側)です。

 この構成は、北集落にある民家・美山民俗資料館で実際に見られます。
 民俗資料館は、焼失した茅葺き民家を再建したものですが、この特徴がよく表れています。

 その他、土間を高く上げる「上げにわ」や、壁を板壁にするなどの特徴があります。
 北山型の民家は、丹波の東北部から若狭(福井県)に拡がっている形式だそうです。これらの地域は山間で、杣(そま)の人々が暮らす住まいでした。


 茅葺き屋根

 集落を歩いていると、こんなものに出会います。

 美山
  カヤタテ

 将来、屋根に葺くためのカヤを干しているところ。カヤタテというそうです。
 川の向こうには、カヤバといって、まとめて立てているところもあります。

 美山
  カヤバ

 茅葺き屋根は、25年から30年で葺き替えるそうです。
 手で触れてみると、案外弾力性もあります。

 美山
  茅葺き

 維持管理も大変そうですが、各戸がよく守られています。
 集落を歩いていると、こんなものが目につきます。

 美山

 消火に用いる放水銃。
 入母屋造の形をしているのが、かわいらしいです。

 防火も含め、集落の景観維持に尽力されている様子がうかがわれます。


  美山




 茅葺きの里・美山 北集落 (重要伝統的建造物群保存地区)

 所在  京都府南丹市美山町北
 見学  自由(美山民俗資料館は有料)
 交通  JR山陰本線「日吉」「園部」下車、バス



 【参考文献】
 『京都府の民家 調査報告 第7冊』京都府教育委員会、1975年
 『日本民家語彙集解』日外アソシエーツ、1985年


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コメント

建築の意匠と屋根葺きの材料

船越さま

何時も興味深い話題を発信下さり、ありがとうございます。

京都近郊にこのような集落が現存するとは・・・なんて!雅なのでしょう。
建築ファンとしては、探訪したくなります。

そう言えば・・子供の頃、実家でも、床の間がある1階の座敷を「おもて」と言っていました。

放水銃の保管庫の屋根を入母屋にしているのは、本当にグットきます。
ふとした場所にちいさな意匠を発見すると嬉しくなりますね。
(私も神社やお寺等を訪れた折に、手水舎や灯籠に掛けられた屋根にもかわいい懸魚が付けられていたりすると、一人ニヤニヤしています。)

ところで、屋根を葺いている材料の違いは地域性によるものでしょうか?
それとも、建物の重要度によるのですか?

イギリスの湖水地方の古い建物は「藁ぶき」でした。
また、四国徳島(たぶん)で見た小さなな水車小屋にも「藁ぶき」の屋根が掛けてあり、とても牧歌的な風景に感動した記憶があります。

国宝や重文級の神社仏閣はほとんど「檜皮葺」ですね。

また、機会がございましたらご教示下さいませ。

しかし、「美山」よい所ですね。
船越様の文章とお写真だけでも、澄んだ空気で胸いっぱいになったように感じました。

いつもありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。

京都近郊でも、高度成長期までは茅葺き民家が普通にあったのですが、その後、鉄板で覆いをかけたり、建て替えたりして、ある意味「保護の対象」になってしまいました。

美山の民家は、今では茅葺き屋根ですが、かつては杉板葺きであったとどこかに書いてあったように思います。あのあたりは北山杉の産地ですから、その葺き方も普通だったのでしょう。

江戸時代までの庶民の家屋は瓦葺は出来なかったわけですが、都市部では火事の延焼防止という意味で、瓦葺が行われるようになってきます。
瓦にしても桧皮にしても、経費や製作の手間がかかるので、やはり寺社や官衙の建築に限られるのではないでしょうか。

私の勤め先の前庭には、古墳時代の高床倉庫が復元されていますが、それも茅葺きですね。
復元に際しては、淀川の葦原からアシをもらってきたそうです。近くで採れる用材を使用するというのは、いつの時代にも共通するのでしょう。



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