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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都市役所の周辺は、かつても今も寺院の町





京都市役所


 時節柄、市役所について考えてみた

 京都市では、この週末、市長選挙が行われます(2016年2月7日)。
 その “市長の館” とも言うべき建物が、市庁舎。ふつうに言えば、市役所ですね。

 政令市の場合、住民票をもらうなど、ふだん市民が利用するのは区役所です。そのため、市役所に行く機会は意外に少ないもの。
 私も、建物見たさに、あるいは WC を拝借するなどの目的で市役所に入ることはあるのですが(失礼)、本当に用事があって訪れたことは記憶にないですね。
 誰でも入れるので一度行かれたらよいと思いますが、なにぶん昭和初期の建物。内部は、戦前独特の雰囲気が醸し出されています。そうそう、大正末に出来た大阪府庁なども、同じ雰囲気がします。

 京都市役所
   京都市庁舎 (1927~1931年築)

 いずれにしても、この京都市庁舎は文化財的存在になったので、今後も残って行くことになり、市民のシンボルであり続けます。
 庁舎とその保存計画については、以前まとめましたので、ご覧ください。

 記事は、こちら! ⇒ <建て替えられる? 京都市庁舎>


 昭和初期に建てられた市庁舎

 京都市庁舎は、京都ふうに言うと、河原町通御池西入るに建っています。
 もちろん、寺町通御池東入るといっても同じことなのですが、要は、東西は河原町通と寺町通にはさまれ、南北は押小路通と御池通にはさまれた区画にあります。

 このエリアマップで言うと、図の右上端が市役所なのですね。
            このへん かな?

 周辺図

 市役所の下の広い通りが御池(おいけ)通。
 左が寺町(てらまち)通、右の少し広めが河原町(かわらまち)通。
 押小路(おしこうじ)通は、市役所の上にあって、図の外です。

 現在の市庁舎は、昭和初期に段階的に建てられました。
 まず、昭和2年(1927)4月に、東側部分が完成。

 昭和初期の京都市庁舎(『京都名勝誌』)
  竣工時の京都市庁舎(『京都名勝誌』1928年)

 これは、その当時の写真です。
 手前の道路が河原町通です。あたかも、河原町側が正面のようになっています。
 西側はまだ建っておらず、古い建築が見えますね。

 こうして眺めると、河原町側の部分(のちの右翼)だけでも、立派に建物として成り立っていますね。
 現状です。

 京都市役所
  京都市庁舎(東側=1927年竣工)

 つづく西側部分は、昭和6年(1931)8月に竣工しました。
 これで、現在見るような「山」形の庁舎が出来上がったわけです。

 京都市役所


 その昔は、お寺がいっぱい!

 ところが、この市役所のあった場所は、昔から市役所だったわけではないのでした。
 言うまでもなく、江戸時代に市役所はないわけで(当然!)、実はそこはお寺の境内でした。

 なんというお寺かというと、みんな知っているあの寺。

 本能寺

 そう、本能寺なのでした。

 現在、市役所のある町名は「上本能寺前町」。本能寺の町名が「下本能寺前町」。
 昔は、この本能寺の境内が広くて、市役所のあたりまで広がっていたのでした。

 さらに、本能寺の北側、(現在の押小路通の北側。ここも市の土地)には、妙満寺という寺院がありました。本能寺と同じ日蓮宗で、戦後の昭和43年(1978)、郊外の岩倉幡枝(はたえだ)町に移転しました。

 一方、本能寺の南には、昔も今も天性寺(てんしょうじ)があります。

 天性寺
  天性寺

 つまり、下図のような関係ですね。

 周辺図

 「本能寺」という文字のところが、御池通です。
 御池通は、幅員の広い道路ですが、これは戦時中の建物疎開により拡幅されました。


 ふたつの辻子
 
 妙満寺と本能寺の間には、かつて狭い道がありました。あたりに「へっつい」を扱う店があったことから、「へっつい辻子(ずし)」と呼ばれました。
 へっついとは、竈(かまど)のことです。京大坂の方言かな。

 へっつい辻子は、幕末まではありますが、その後、なくなったように思われます。これは市役所が出来たせいでしょうか。

 戦時中になり、御池通と同様、建物疎開によって、寺町通で行き止まりだった押小路通が河原町まで延ばされました。

 押小路通
  押小路通

 もう一方の、本能寺と天性寺の間にも辻子がありました。
 こちらはズバリ「天性寺辻子」。
 いまも残っている、この道です。

 天性寺辻子
  天性寺辻子

 御池通の南の道・姉小路(あねやこうじ)通は、西から延びてきて寺町通で行き止まりになっています。
 その姉小路通からカギ形に曲がるようにして天性寺辻子が東へ延び、河原町通へ抜けています(上の地図参照)。

 考えてみれば、「寺町」らしく、妙満寺-本能寺-天性寺と続くことで、二条通から三条通の間まで約500mにわたって、辻子がなければ東西の通り抜けができません。
 そのため、寺町通と河原町通をつなぐ街路として、へっつい辻子と天性寺辻子が出来たのでしょう。

 寺町通は、事実上、市街地の東端でした。そのため、東西の街路はここで突き当りになっていました。それを解消するために、こういった辻子も出来たのでしょう。

 変っていそうにない古いお寺の町も、さかのぼってみると随分変化しているものです。




 京都市庁舎

 所在  京都市中京区上本能寺前町
 見学  自由
 交通  地下鉄「市役所前」下車、すぐ



 【参考文献】
 『京都名勝誌』京都市役所、1929年
 足利健亮『中近世都市の歴史地理』地人書房、1984年


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コメント

No title

画像を添付しての解説を拝見し、京都市庁舎の増設過程が良く判りました。

毎年7月10日夕刻に祇園祭お迎提灯の演舞が京都市庁舎前で行われるので、市庁舎前の広場には十数回程行っていますが、庁舎内には立ち入ったことがありません。

その市庁舎前の演舞は雨天中止なので、毎年見られる訳では無く、昨年は見られましたが、一昨年は台風の影響で中止になりました。

又、姉小路通が寺町通で行き止まっている理由も初めて知りました。

姉小路通では、毎年8月の地蔵盆に近い土曜日に姉小路行灯会が開かれ、私も然る神社の祭礼に行灯絵を奉納しているなど行灯に興味があるので、何度か見に行きましたが、行灯が代わり映えしないので、毎年行っている訳ではありません。

その何年か前に姉小路行灯会に行った時に町屋を公開していて、町屋の内部を見せて頂いたことがあります。

私が住んでいる、鎮守の祭が無い、地蔵盆が無い、盆踊りも無いような住民の連帯感が希薄な地域もあれば、姉小路通のように、様々な活動を行っている地域住民の連帯感が濃密な地域もあり、同じ日本でも地域によって差があり過ぎるなぁと思っています。

こんにちは

京都は、まちなかも周辺部も、地蔵盆や祭りをはじめ、行事がいろいろありますね。町内会もありますし。

たぶん他の政令市などと違い、ニュータウン的なところが少ないせいかもしれません。
中心部でもマンションの入居者も町内会には入られるのでしょうし、都市的な紐帯が保たれてるのでしょう。

この傾向は、今後も続く感じですね。
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