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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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旧開智小学校は、立派な間知石積みの石塀を持つ





学校歴史博物館


 学校歴史博物館になった旧開智小学校

 明治初期、京都に作られた小学校は「番組小学校」と呼ばれ、多くの学校は明治2年(1869)に開校しました。
 その頃の貴重な遺構に、成徳小学校(下京第九番組小学校)の講堂玄関があり、それについては先日紹介したところです。

 記事は、こちら! ⇒ <転用されて残っていた旧成徳小学校の校舎は、学校歴史博物館に移築されている>

 その明治8年(1875)築の玄関が移築されているのが、京都市学校歴史博物館です。

 学校歴史博物館
  京都市学校歴史博物館(旧開智小学校)

 この博物館は、かつての開智小学校(下京第十一番組小学校)を再利用したものです。
 展示室は戦前の鉄筋コンクリート造の校舎なのですが、正門は堂々としていますね。

 この門は、開智小学校の正門で、明治34年(1901)に造られました。校地拡張にともなって、大正7年(1918)、現在の場所に移されています。立派な高麗門で、国の登録有形文化財になっています。
 こういう門は、やはり懐かしいですね。

 学校歴史博物館
  旧開智小学校正門


 立派な石塀

 この学校の前(御幸町通)を通るたびに気になっていたのが、門の両脇にある石塀でした。写真の右端に、ちらっと写っています。
 北側から写してみると……

 学校歴史博物館
  旧開智小学校石塀

 門の脇は、塀が曲がっていますので、カーブを付けています。

 学校歴史博物館

 こういう感じがとても見事で、いつも見ほれていました。
 実は、この石塀も登録有形文化財になっています。どういうものなのか、文化庁のウェブサイト「文化遺産オンライン」から引用してみましょう。

 大正期の敷地拡張時に建設された。正門南北に延び,門廻りの隅は円形に築く。京都白川石を用いた重厚な間知石布積で,通り側は丁寧な瘤出仕上げとする。頂部には笠石を置き,現在は土盛に芝を張っている。往時の有様を伝えるとともに,街路景観を整えている。

 文化財の解説は、だいたいこんな具合に記述するのが常ですが、一般人の理解を退けるものがありますね(笑)
 でも、その情報は、なかなか興味深いのです。


 「間知石布積」とは?

 まず、「白川石」というのが出て来ます。これは、石材の名前です。
 北白川(左京区)あたりで採れる花崗岩のことです。花崗岩(かこうがん)は、よく「御影石(みかげいし)」とも呼ばれますが、これはもともと神戸の御影あたりで産出するものを地名で呼称したものです。白川石も、それと同じですね。
 北白川は、江戸時代から現在に至るまで石材店が多い土地柄。「都名所図会」(1780)を見ても、石材の切り出し風景が描かれています。

 都名所図会より「北白川」
  「都名所図会」巻三より「北白川」

 ただ、石材の判定は素人にはなかなか難しいので、この石塀も白川石だと言ってもらわないと分かりませんね。

 解説文のそのあとには、さらに「重厚な間知石布積で」と書いてあります。あんまりさらっと書いているので、読み飛ばしてしまいそうです(笑)
 「間知石布積」は、「間知石」と「布積」に分かれます。読みは、「けんちいし・ぬのづみ」。

 学校歴史博物館

 まず、布積みです。
 石垣の積み方の一種で、石と石との境目(目地)が、水平方向に通っている積み方です。
 上の写真を見ると、石が横に真っ直ぐ並んでいますね。
 ちなみに、「布」という語は、建築の世界では水平、長手、横方向を表す言葉です。反物の長いイメージなんでしょうか。「布引滝」というのもありますしね。

 下の写真も、布積みです。

 東本願寺
  布積みの例(東本願寺)

 ふつう縦の目地はそろわず、ジグザグになっています。

 この積み方は、石と石とのかみ合わせがイマイチ強くないようですが、お寺や学校の石垣なら、これで十分ですね。
 ブロック塀も、布積みです。現代のものは、コンクリートで固められるので強固なわけです。

 下の写真は、大阪城外堀の石垣。1625年頃に構築されている部分です。

 大阪城
  大阪城外堀(南側)石垣

 目地が水平に一直線というほどではないですが、横方向への志向がうかがえますね。


 間知石とは?

 次に「間知石」。
 読みは、一般的には「けんちいし」です。
 「間(けん)」を知る、ということで、この石を6つ並べると1間(約1.8m)になる、という話があります。1個の横幅が、30cmという計算。ただ、実際にはいろんな寸法の間知石があります。これは、ひとつの語源説だと思っておきましょうか。

 学校歴史博物館

 この間知石、実は形が独特です。
 上の写真では内部が全く分からないのですが、別の場所で露出している間知石を見付けました。

 間知石
  間知石

 上から見たところ。
 奥に行くほど、上下左右がすぼまっていく形です。四角錐(すい)の先端を切り落としたような形。

 間知石
  間知石(模式図)

 およそ、こんなものです。はんこみたいですね。

 並べて見ると……

 間知石

 こういう具合になります。

 彰国社『建築大辞典』には、次のように定義されています。

 間知石  石材の形状による分類の一。大小二つの面(つら)を持った截頭四角錐状の石材。石垣に用いられる。見付きの大きい面を面(つら)、胴尻の小さい面を友面と称し、長さを控えという。「間知」ともいう。

 間知石は日本独特のものとも言います。
 このような形で、一定の大きさにしたものを積んでいくわけです。

 北垣聰一郎『石垣普請』によると、間知石の石積みは、17世紀の寛永年間(1624-1644)から使用例があると言います。
 日光東照宮がその例なのだそうですが、間知石が採用された理由として、

 ・大型石材を必要とせず、同質材の大量生産が可能
 ・構築も、規格石を用いるため、比較的容易
 ・石垣としての出来上がりが美しい

 といったことがあるそうです。
 お城の中でも高石垣を築くことは無理ですが、寺社の石垣や低い石垣を作るにはもってこいの存在となったわけです。
 明治以降になって、さらに多用されていきます。

 明治39年(1906)に出版された中村達太郎博士の『日本建築辞彙』は、間知石についてこう記しています。

 石垣用ノ石ニシテ後方ニ至ルニ従ヒ窄(すぼ)マリ居ル形ノモノ。
 間知ハ相州硬石又ハ豆州ノ田賀及ビ雲見ヨリ産スル凝灰石ノ出来合石ナリ。


 そして、相州、すなわち相模国の硬(堅)石の間知石には、面(つら)の幅が1尺(約30cm)以内から1尺5寸(約45cm)以内のものまで6種類があるとしています。
 また、豆州、つまり伊豆国の田賀(多賀)や雲見の間知石は、並、中、大、尺弐(しゃくに)の4種類があると言い、7寸×8寸のサイズから始まり、最大が「尺弐」(つまり1尺2寸=約36cm)まであるそうです。
 どうやら、明治時代の関東では、神奈川・静岡方面で作られる間知石がポピュラーだったようですね。


 瘤出し仕上げとは?

 開智小学校の石塀で使われた間知石は、表面が「瘤出仕上げ」になっていると解説されています。
 文字も難しいですが、「こぶだししあげ」と読みます。

 つまり、石の表面をコブ状にする、ということですね。
 中村博士の『日本建築辞彙』には、「石面仕上ゲノ一。「えどぎり」ノ類ナレド縁ト突出部トノ境不規則ニシテ突出面モ瘤出又ハ源翁払(ゲンノーバライ)ナリ」とあります。

 この説明自体、また解説が必要ですが(笑)、くどくなるので省略しましょう。
 「えどぎり」は「江戸切り」で、このような仕上げを関西ではそう呼んだそうです。
 現代風に言うと、「粗い凹凸面を付けた仕上げ」のことです(『建築大辞典』)。

 この仕上げは、西洋建築では「ルスティカ(ラスティカ)」と呼ぶんですね。
 いま英和辞典を引いてみると、rustic は「田舎の、素朴な、粗野な」といった意味があります。
 なるほど、ルスティカというと、開智小学校の塀よりも、もっとゴツゴツした粗い仕上げのイメージですものね。

 大阪府立中之島図書館
  ルスティカ (大阪府立中之島図書館)

 それで分かりました、瘤出し仕上げを「江戸切り」という意味が。
 昔の上方(京阪)の人からすれば、粗野な仕上げは江戸風に感じられた、ということなんでしょう。
 なんだか、変な話になったところで、切り上げておきましょうか。




 旧開智小学校石塀(登録有形文化財)

 所在  京都市下京区御幸町通仏光寺下る橘町
     京都市学校歴史博物館
 見学  自由
 交通  地下鉄「四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 北垣聰一郎『石垣普請』法政大学出版局、1987年
 中村達太郎『日本建築辞彙』丸善、1906年
 『建築大辞典 第2版』彰国社、1993年
 「河川の景観形成に資する石積み構造物の整備に関する資料」国土交通省河川局、2006年
 文化庁ウェブサイト「文化遺産オンライン」


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コメント

No title

私は石に非常に興味を持っているので、石垣があると立ち止まって見てしまいます。

例えば、堀川に見られる二条城の外堀の石垣などは作られた年代が判っているので、矢穴がある石などは表面の風化具合や矢穴の穿ち方まで観察しています。

そうして石を観察しているのは、生駒山中で見付けた謎の石垣の築造年代を知りたい為ですが、生駒石と言われている角閃石斑糲岩は堅牢な石質で、花崗岩の風化度合いとの比較が出来ず、年代の推定が出来ないままでいます。

旧開智小学校石塀に使われいる白川石は現在は採掘されていないそうで、今となっては貴重な物ですが、その白川石も御影石も共に黒雲母花崗岩なので、仰るように、素人は○○石と言ってもらわないと判りませんね。

更に、六甲山地の花崗岩でも、結晶が粗い石や細かい石など、様々なタイプがあるので、白川石も一様では無いと思います。

追伸ですが、今日2月2日に八坂神社の節分奉納行事を見に行き、河原町五条の画箋堂で買い物をする予定をしていたので、旧開智小学校の石塀をじっくりと見て来ましたが、志賀越道の白川で拾った石と同じような、粗めの結晶の石でした。

更に、五条大橋を渡りましたが、高欄の花崗岩は白川石では無いようです。

ご愛読ありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。

以前、仕事で北白川の石匠の方とご一緒しました。やはりプロは違うもので、石像や石橋の材質を見て、「これは安治石」などとズバリ指摘されていました。
石材を見分ける眼を磨くには、やはり現物をたくさん見ていくしか方法がないようにおっしゃっていました。

別の知合いで、地質学の専門家がいるので、一度じっくり石の話を聞きたいと思っているのですが、なかなか果たすことができずにいます。
石への道は未だ遠し、ですね。

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