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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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きょうの散歩 - 国立文楽劇場・初春公演でおもしろい言葉をさがす - 2016.1.25 -

その他




文楽初春公演


 引退披露狂言では口上も

 暖冬が急に寒くなったここ数日。「初春」公演というには、ずいぶん遅いのですが、大阪・国立文楽劇場の初春公演(第一部)に行ってきました。

 文楽初春公演 
  国立文楽劇場

 この公演は、文楽太夫で人間国宝の豊竹嶋大夫さんの引退興行でもあります。
 その披露狂言「関取千両幟」では、口上もあって、門下の呂勢大夫さんが述べたのですが、それが立派で、いろんな感慨がこみ上げてきました。

 文楽初春公演
  中央バナーが「関取千両幟」

 たまたま昨日、大相撲で琴奨菊関が初優勝したものですから、劇中の取り組み場面で、人形の相撲取りが “琴バウアー” をやってみせて、場内大受けでした!

 
 “お染・久松”- 新版歌祭文

 最近、文楽に行くと、「床本」というものを見ながら聴いています。床本(ゆかほん)とは、太夫が語る言葉を文字にした冊子です。
 これをチラチラ見ながら、義太夫節を聴いていると、おやっ、という言葉が次々に出て来るんですね。今日は、その特集です。

  「さし」

 「新版歌祭文」、いわゆるお染・久松ものですが、まずは「座摩社の段」が上演。
 大坂の座摩(ざま)神社で、商家の若旦那がお百度参りをしています。その部分。

 山家(やまが)屋の佐四郎は、お百度のさしの数さへ九つ時

 という詞章。
 私が引っ掛かったのは、この「さし」という語です。
 お百度参りをするときは、百回参ったことを勘定したいといけませんね。そのために、例えば、棒やこよりを使って数えます。
 どうも、この佐四郎さん、「さし」というものを用いて回数を数えているらしい。

 関西の方言で、「さし」と言えば、「ものさし」をいう場合があります。念のため、牧村史陽『大阪ことば事典』を引いてみても、立項されています。
 でも、さすがに物差しでは勘定しないだろう……、じゃあ、なんだ?

 もう本筋は上の空になり、人形の手もとばかり凝視するのですが、席が遠くて見えない(笑)

 ところが、ストーリーが進んでいくうち、疑問を解消してくれるようなセリフが出てきたのでした。

 山家屋の佐四郎とも言はれる者が、恋なればこそコレこの銭さしを見てたも。お百度参りぢや
 
 おー、「銭さし」の「さし」だったのか!
 銭差しとは、穴の開いたコインに紐(ひも)を通して一括しておくもの、ですね。そう、銭形平次が持っていた、あれです(笑)
 例えば、一文銭を百枚、紐で通しておいて「百文差し」にしておくと便利ですよね。そういった使い方。
 そして、百文差しだったら、お百度の回数カウントに最適じゃないですか! 

  「ひと切り」

 お染は、下女お伝を伴って、座摩神社へやってきました。すると、うまい具合に恋仲の久松と出くわします。“あ~、会いたかった” という二人。
 ところが、こうなると下女お伝がお邪魔になります。そのとき、呑み込みのよいお伝が言うセリフ。

 申し御寮人様、私や、あの綱八の芝居がひと切り見て参りたい

 舞台上をよく見ると、確かに下手に「綱八座さん江 ひゐき」などと書いた幟(のぼり)が立っており、むしろの小屋掛けが見えています。いわゆる宮地芝居をやっているのでしょう。
 お伝は、芝居を見に行きたいと言って、二人の時間を作ってあげようとしたわけです。

 このとき、彼女が言った「ひと切り」という語。これは、なんでしょうか?

 文楽ファンの方なら、「切」という言葉を御存知でしょう。
 「ただいまの切、相(あい)務めまする太夫、豊竹嶋大夫」なんて言いますよね。
 切(きり)というのは、芝居などの最後の幕、段を指す言葉で、「切場(きりば)」とも言います。テレビ「笑点」でおなじみの「大切(おおぎり)」も同じ意味です。

 ところが、今回の場合、「ひと」切りと言っているので、特段最後というわけではないようです。
 切りは、区切りとか段落の意味もありますから、ひとつの幕、段を指している、ということになりそうです。
 現在でいう「幕見(まくみ、一幕見)」のような感じでしょうか。

 ちなみに、このお伝のセリフを受けて、お染は、

 ほんに、そなたは芝居好き、藪入でなけりや行かれぬに、今日は幸い勝手に行ておぢや。随分ゆるりとだんないぞや

 と言っています。
 江戸時代、奉公人はフルタイム拘束ですから、そう簡単に芝居見物も出来ません。しかし、正月と盆の藪入りには仕事から解放されるので、お芝居も見られたのですね。

  「だんない」

 ところで、いまのセリフの中に「だんないぞや」というのが出て来ました。
 この「だんない」、どういう意味か分かりますか?

 文脈からは、大丈夫、というような感じですね。
 『大阪ことば事典』によると、「大事ないの約。差支えない。かまわない。(略)」としています。
 大事ない、が縮まって「だんない」になった、ということです。

 現在では死語ですが、いまふうに言えば「かまへん、かまへん」という感じでしょうか。

 文楽初春公演

  「盆代」
 
 出会ったお染・久松の二人は、誰もいない山伏の小屋に入って、いちゃいちゃします。この山伏は、占い師をやっているので、神社に小屋掛けしているのでした。
 戻ってきた山伏、二人に気付きますが、中に入るわけにもいきません。
 そのうち、二人は裏口からこっそり出ていきます。そのときの山伏のセリフ。

 ヤテモ素早い奴、もう逃げをつた。さては今のが、かの前髪[久松のこと]であつたな。やう盆代を喰ひ逃げしをつた

 「よう、盆代を喰い逃げしおった」と言っています。
 この「盆代」って、なんだと思いますか?

 私が愛用している松川二郎『全国花街めぐり』の京都の部分に「新京極の盆屋、その他」というコラムがあります。
 そこには、「京極の裏町にはボン屋といふのがあつて、まるで西鶴そのまゝであつた。淡い蝋燭の光の中で、牛屋(ぎゅうや)の女中や小料理屋の女中と出会ふのである」と書かれています。
 つまり、盆代とは、盆屋の代金のことなのでした。
 
 『日本国語大辞典』には、盆代について「盆屋(ぼんや)の席代。待合茶屋など密会所の部屋代。人がいないで席料を入れる盆だけが置いてあったところからいう」とあって、用例に「新版歌祭文」のこの箇所があがっています。
 この盆屋、京都にも上記のようにありましたが、大阪でも例えば道頓堀の裏側あたりをはじめ、いろいろあったようです。

 山伏はセコイので、おれの小屋、タダで使いやがって、と怒ってみせたわけです。

 以上、座摩社の段から拾ってみました。現在とは違った、おもしろい言葉がいろいろありますね。
 「新版歌祭文」は、安永9年(1780)初演なので、京都でいえば「都名所図会」が刊行された年の作品にあたります。いまから200年余り前ですね。
 そう思うと、200年も経てば、言葉も随分変わっていることが実感されます。分かっているはずのことですが、やはり驚き、新鮮ですね。

 今回の公演、興味深い言葉はまだまだたくさんありそうですが、ちょっと切りがないので、今日はこのあたりにしておきましょう。


 文楽初春公演




 国立文楽劇場

 所在  大阪市中央区日本橋
 見学  劇場として公演あり
 交通  大阪市営地下鉄「日本橋」下車、徒歩すぐ



 【参考文献】
 「文楽床本集」国立文楽劇場、2016年1月
 松川二郎『全国花街めぐり』誠文堂、1929年
 牧村史陽編『大阪ことば事典』講談社学術文庫、1984年
 『日本国語大辞典』小学館、1972年


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コメント

銭さし

江戸時代の歌舞伎の観覧料金は銀何匁とか、現代より高かったようですが、宮地芝居の一幕見なら庶民でも手軽に見られたのでしょう。

江戸時代の1文は、平均すると現代の16円程度で、銀1匁が1000円余りだったそうで、藩札が流通していない天領で生活をしている人の財布は重かったと思います。

江戸時代を通じた1文銭の総鋳造高は不明ですが、安政年間に改鋳目的で幕府が回収した銅1文銭だけで約21億枚と記録されているので、銭さしが必要な程大量の銭が流通していたと思われます。

因みに、明治41年生まれの父は、1文銭とか4文銭を使ったことがあると言っていました。

父が生まれた頃には1厘銅貨は鋳造されていなかったので、寛永通宝(1文=1厘、4文=2厘)や文久永宝(4文=1.5厘)などで駄菓子などを買っていたのだと思います。

因みに、私はクレジットカードを持たない主義なので、買い物で釣り銭を小銭を受け取り、ギザ10円硬貨などがあると使わずに「貯金」しています。

ありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。

江戸時代の貨幣制度は現在と全く異なっているので、私の職場などにも一般の方から質問がしょっちゅう来ていて、近世担当の同僚もたいへんです。
朝ドラを見ていると、両替商が銀行へと商売替えするわけですが、あれも当時の人たちにとっては、とても大変な改革だったのでしょうね。

お染久松に出てきた、久松らが蔵屋敷に大金を受け取りに行く場面ですが、ああいうのが本当にあったのかなぁなどと同僚と語り合ったのでした。
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