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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

京都の大名火消を務めた亀山藩の屋敷跡には、朱塗り鳥居が目印の亀山稲荷がある





亀山稲荷


 江戸時代には数多くの藩邸があった

 先日、「覚馬の住んだ京都ー幕末までの京都ー」という歴史地図をもらったので、なにげなく眺めていました(「覚馬」というのは、山本覚馬=新島八重の兄ですね)。
 幕末の様子を現代の地図と重ね合わせてあるのですが、やはり目につくのが藩邸です。
 江戸時代、諸藩の邸といえば、江戸だけに置かれたようにイメージしがちです。しかし、実際には、京や大坂などの要地にも、邸を置く藩が多かったのです。

 京都の藩邸は、「京屋敷」と呼ばれていました。著名なものを紹介してみましょう。

 鴨川の東には、大きな敷地を持つ邸が多く建っていました。

 ・尾張藩(徳川家、御三家)……京都大学付近
 ・土佐藩(山内家、外様)……京都大学農学部付近
 ・加賀藩(前田家、外様)……京都市美術館・みやこめっせ付近
 ・膳所藩(本多家、譜代)……祇園町北側付近

 舟運に利用された高瀬川、木屋町通沿いにも。

 ・長州藩(毛利家、外様)……京都ホテルオークラ付近
 ・加賀藩(前田家、外様)……木屋町御池付近
 ・対馬藩(宗 家、外様)……京都ロイヤルホテル&スパ付近
 ・彦根藩(井伊家、譜代)……河原町六角下る・あじびる付近
 ・土佐藩(山内家、外様)……旧立誠小学校付近

 土佐藩邸跡には、いまも土佐稲荷がありますね。

 御所の周辺やその付近にも。

 ・薩摩藩(島津家、外様)……同志社大学付近
 ・宇都宮藩(戸田家、親藩)……鴨沂高校付近
 ・水戸藩(徳川家、御三家)……ホテル京都ガーデンパレス付近
 ・丸亀藩(京極家、外様)……烏丸丸太町・大丸ヴィラ付近
 ・肥前藩(鍋島家、外様)……智恵光院中立売・正親小学校付近
 ・淀 藩(稲葉家、譜代)……大宮中立売・ハローワーク西陣付近

 二条城、京都所司代の周辺にも置かれています。

 ・越前藩(松平家、親藩)……旧京都国際ホテル付近
 ・姫路藩(酒井家、譜代)……同所北側付近
 ・小浜藩(酒井家、譜代)……御池神泉苑付近
 ・高槻藩(永井家、譜代)……四条大宮上る・洛中小学校付近
 ・郡山藩(大和・柳沢家、譜代)……智恵光院下立売・二条城北小学校付近

 いくらあげても切りがありません。17世紀前半で、約70の京屋敷が確認されているそうです。


 亀山藩の京屋敷跡

 そんな中、街なかを歩いていて、よく通りかかるのが、亀山藩の邸跡です。

 亀山稲荷
  亀山藩京屋敷跡

 松原通室町西入るの一画。前の通りは松原通です。いまでは普通の住宅街で、小さな会社もちらほら見受けられる静かな場所です。
 ここに、亀山藩京屋敷がありました。
 古くは、広島藩浅野家の邸でしたが、のち亀山藩が入りました。

 亀山藩というと、伊勢国の亀山藩かと思いますが違っていて、ここに邸を構えていたのは、丹波国にあった亀山藩(京都府亀岡市)です。

 現在の亀岡は、明智光秀が築城したところから城下町として開けました。丹波国でも、京都近くに位置するので、このあたりを「口丹波(くちたんば)」と言ったりもします。江戸時代には、城下は亀山と称しており、明治維新後、亀岡と改称しました。
 18世紀半ば以降の藩主は、形原(かたのはら)松平家で、譜代大名、石高は5万石。
 
 亀山藩と聞いて思い出すのが、京都で大名火消を務めていた藩、ということです。
 京都の大名火消は、制度の変遷があるのですが、享保7年(1722)からは、京都の近くにいた譜代大名が、洛中や御所の火消に当たりました。4藩あったのですが、参勤交代していない2藩が1か月交代で半年ずつ当番になりました。その4藩が、淀(よど、山城)、膳所(ぜぜ、近江)、郡山(こうりやま、大和)、亀山(丹波)の各藩でした。
 これらの藩は、火消要員として、騎馬、平士、足軽、鳶(とび)など、計300人ほどを擁しておく必要がありました。なかなか大変な負担です。
 江戸時代の京都ではしばしば火災が起こりましたから、彼らも実際に出動していました。大火の場合は、城下から応援が駈けつけるケースもあり、殿様自身が出馬という場合もありました。このため、京都に近い藩がこの任に就いていたわけです。

 京都大名火消に関しては、以前、膳所藩邸について書いたことがありますので、ご覧ください。
 記事は、こちら! ⇒ <いまは忘れられた “ゼゼウラ” は、町の歴史を伝えてくる>


 なごりの稲荷社
 
 この亀山藩京屋敷の跡は、北側が旧成徳中学校のグラウンド(現・下京中学校成徳学舎)、南側がマンションなどになっています。
 南の松原通に面して、小さな祠があります。亀山稲荷神社です。

 亀山稲荷 亀山稲荷神社

 参道は、ビルの谷間の路地になっています。
 それでも千本鳥居があって、稲荷社らしいです。

 亀山稲荷 

 明治維新後、藩邸の土地は民間に払い下げられ、のち小学校になりました。
 藩邸時代の鎮守を伝えるのが、この稲荷社と言います。

 亀山稲荷

 亀山稲荷

 いまは町内の方が守っておられる小さな神社。
 こんなところにも京都の歴史が潜んでいます。


  亀山稲荷




 亀山稲荷神社(亀山藩京屋敷跡)

 所在  京都市下京区松原通室町西入る中野之町
 拝観  自由
 交通  地下鉄「五条」下車、徒歩約5分



【参考文献】
 藤本仁文「近世京都大名火消の基礎的考察」(「史林」88ー2、2005年所収)
 樋爪 修「江戸時代の京都大名火消ー膳所藩を例としてー」(「近江地方史研究」27、1992年所収)
 大邑潤三ほか「京都天明大火における大名火消の実態」(「京都歴史災害研究」14、2013年所収)
 「京都観学研究マップ(上)覚馬の住んだ京都」同志社大学人文科学研究所、2015年


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コメント

観亀神社宵宮祭

大阪市西区にある土佐稲荷神社は有名ですが、京都市中京区備前島町にも土佐稲荷神社があるのですね。

リンク先の「いまは忘れられた “ゼゼウラ” は、町の歴史を伝えてくる」で紹介されている膳所裏は何度も通り、中末吉町通にある観亀稲荷神社にも何度も参拝しています。

数年前から観亀稲荷神社の例祭の宵宮に、祇園東歌舞会主催の観亀神社宵宮祭が行われ、その時には必ず観亀稲荷神社を参拝しています。

近くに住んでいたら、芸舞妓さんたちと遊んだ後、ほろ酔いで歩いて帰れますが、枚方の山麓近くまで帰らなければならないので、ビールも程々、遊びも程々で帰ります。

ありがとうございます

ご愛読ありがとうございます。

それにしても、各藩邸の中に稲荷社が勧請されたことは面白いですね。
お武家さんが商売繁盛というわけなのか、それとも五穀豊穣を願ったものなのでしょうか。
大坂の広島藩邸では、厳島神社を勧請していたようですね。国許の神さまを祀ったわけです。

京都の藩邸についても、調べてみるといろいろ面白そうです。

    船越
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