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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【大学の窓】今年度、授業を終えて考えることは……

大学の窓




校舎


 また1年を過ごして

 非常勤で行っている上京大学(仮称)では、日本史を専攻する学生に演習を指導しています。
 演習の学生といっても、入学したばかりの1回生なので、カリキュラムの上では “入門編” に当たります。

 今年度の授業も、残すところ僅か。学生たちがグループ研究した発表もすべて終わり、あとは総まとめという段階です。
 担当者は、私を含めて5名。今週の授業では、1年を総括してコメントしなければなりません。
 このコメントが、頭が痛いのです、私にとっては。

 約70名の学生に、何を伝えるのか?
 昨年、一昨年と、話した内容はメモしてあるのですが、やはり去年とは違う話でないといけません。
 今年は何をしゃべるのか? 新年早々、悩みは深まります。


 教育に関する本を読む

 お正月、書店に行くと、『下流志向』(講談社文庫)というタイトルの本が目に入りました。
 以前話題を呼んだ三浦展『下流社会』(光文社新書)を読んでいたこともあり、目に留まったのでしょう。
 著者は、内田樹氏。フランス現代思想がご専門ですが、『街場の○○論』などの幅広い評論活動でご存知の方も多いでしょう。
 『下流志向』は、タイトルの印象とは少し違って、教育・労働論です。若者が学ぶことや働くことから逃走している、という話ですね。その議論のベースには、教育学者の佐藤学氏や、教育社会学者の苅谷剛彦氏の諸論があります。

 読了した私は、また書店に行って、佐藤学氏の『「学び」から逃走する子どもたち』(岩波ブックレット)など数冊を買い、苅谷剛彦氏のものは、少し変化球を狙って、『教えることの復権』(ちくま新書)を求めました。
 そして幸運なことに、『教えることの復権』は、まさに<教えること>に悩む私に大きな示唆を与えてくれたのです。

  校舎


 「教えること」の復権

 この本は、苅谷剛彦・夏子夫妻と、大村はま氏の共著です。
 教育に携わる方なら、大村はまという名前はご存知のことでしょう。半世紀にわたって国語教諭として、主に東京の中学校で教鞭を執られた伝説的教師。著書もたくさんある、というより15巻もある全集が出ています。
 著書を開くと、ことばは平易だけれど、説くところは示唆に富み、職業人としての矜持をもった著者の気概がひしひしと伝わってくる、そんな先生です。

 本書のタイトルが示す通り、大村は、いまの教師は教えることをしない、と苦言を呈します。
 生徒が自ら学ぶのがよい、という近年の教育観のもと、教師が教えなくなったというのです。
 大村からみれば、それは逆で、入念な授業準備に基づいて、生徒を導き、しばしば助け船を出す存在が教師であると強調しています。

 大村の考えを端的に理解できる寓話があります。彼女がかつて恩師から聞いたという話。

 あるとき、仏さまが路傍に立っていると(仏教説話ふうなのです)、ひとりの男が荷車を曳いてやってきました。ところが、道はぬかるんでいて、いくら押しても荷車はぬかるみから抜け出せません。
 仏さまは、しばらくご覧になっていましたが、すっと手をお伸ばしになって、指で男の背中を触りました。すると、荷車は動き出して、ぬかるみを脱出したのです。男は何食わぬ顔で、また荷車を曳いていきました。


 この仏さまが教師、男が生徒というわけです。
 教師が生徒を援助してやるということなのですが、生徒がそれに気付かない、というところもポイントのようです。生徒に、あたかも自分の力でやれたように思わせる。そういう技量が潜んでいるわけです。

 これまで、私が思い悩んできたことが氷解したように思われました。
 演習は学生が自主的に学ぶ場なのだから、教師が誘導しすぎてはいけないーーこう考えて、それを守ってきたのです。
 もちろん、誘導するときもあるのですが、必要最小限に留めていました。
 そのせいもあってか、学生は、たぶん研究のやり方が十分理解できず、途方に暮れるーーそういう面もあったと思います。
 けれども、この問題をどう解決したらよいのか、教育の素人である私には方法が分からなかったのでした。


 大村はまの「単元学習」

 ところが、大村はまの実践談を読むにつれ、そのことが分かってきました。
 彼女が行った単元学習というもの、現在の総合学習に似たようなものと思いますが、それは私のクラスでも通用するようなものだったのです。もちろん、大村は中学校の国語の授業でやったわけですが……

 苅谷夏子氏は、中学校時代、大村はまの教えを受けています。『教えることの復権』には、彼女が覚えている2つの実例があげられています。

 ひとつは、「ことば」という言葉の意味を調べる、というもの。
 ふつうであれば、“さあ、辞書を引いてみよう” というふうになるでしょう。しかし、大村は、いま使っている国語教科書を全部読ませて、その中に登場する「ことば」という語を用いた文章をカードに写し取らせたのです。すると、1冊で80枚ものカードが出来上りました。
 カードには、「ことば」のいろいろな用例が含まれています。それを一気に分類するのではなく、1枚目のカードと2枚目のカードを比較し、同じ使われ方であれば1つの山に積み上げ、違えば別の山にするーーこの作業を繰り返していきます。
 そうすると、最後には「ことば」のさまざまな意味を示す幾つもの山が完成するのです。
 これは、生徒自身が国語辞典を作るようなものですね。とても本格的です。
 中学生がこの作業を興味を持ってやり遂げてしまうというのも驚きです。

 いまひとつの例は、自分の履歴書を書く、という授業。
 現在でも日経新聞には「私の履歴書」という欄がありますが、それにちなんだ授業です。
 生徒に、自分の履歴書を書くことにさせ、構想を練らせます。しかし、何を書くか書かないか、悩ましいわけですね。
 苅谷夏子さんは、自分は勉強が得意だけれど、そんなこと書いていいものか、そもそもこれは誰が読むのだろうか、文集のようにして皆で読むのだろうか、などと考えます。
 生徒が構想を得、メモを作ったら、作業はそこで一旦終わり。履歴書は、書いても書かなくてもいい。書き手というものが、数ある事実の中から、いろいろと考えて取捨選択し、その結果文章が出来上がるのだ、ということを生徒が理解できれば収穫、というのです。
 そのあと、本物の「私の履歴書」から生徒ひとりひとりにふさわしい人物の履歴書を選んで読ませ、その人のことをまとめる作業をさせます。一度自分で書き手の側に立ったあとに作業しますから、まったく違った読み方、考え方になるわけです。

 どちらの授業も、実によく考えられたもので、考える力を付ける上で役立ちそうなものですね。

 大村はまの授業を知って、私もアイデアが湧いてきました。
 来年度は、少し新しい試みをやってみようか。そう思わせる真剣さがありますね、大村はまには。

 そんなふうに考えながら、まだ最終のコメントを考えていないのに気付きました……


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