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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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撞木形の路地があるという話をしていたら、その名も「撞木辻子」があるというので行ってみた





撞木辻子


 撞木と辻子

 前回、T字形の路地を少々古風に “撞木形” の路地と言ってみました。
 撞木(しゅもく)とは、お寺などで使う鉦(かね)を叩く用具です。T字形をしているのですね。

 その後、同じく「撞木」の語が付いた街路があることを知りました。
 その名も「撞木辻子(しゅもくのずし)」。
 四条烏丸の近くにあります。

 今回は、早速そこを訪ねてみたわけですが、行ってみる前に「辻子(ずし)」について少し説明しておきましょう。
 辻子の研究と言えば、歴史地理学者・足利健亮氏の本を見よ、というくらいで、みんな『中近世都市の歴史地理』を参照します。
 そこで紹介された辻子の特徴をまとめると…… 

 京都の「町(ちょう)」は、通りを挟んで対面した家並みから構成されています。道の両側(向い側)で1つの町を作ることから、両側町と呼びます。
 この通り(町通り)に対し、横丁のように直交方向に通っている道が、辻子なのです。つまり、辻子という道に対しては、家は正面を向けないわけです。
 辻子を歩いていると、家の入口は現れなくて、塀の脇を通って行く、というイメージになるのです。横丁だと覚えておくのが分かりやすいでしょう。

 これを頭に置きながら、いよいよ撞木辻子を訪ねてみましょう。


 撞木辻子へ行ってみた

 四条烏丸の交差点から、四条通を西へ。
 次の新町通との交差点の北西角には、住友生命京都ビルがあります。1階(西側)には喫茶店が入っています。
 このビルの西端の写真です。

 撞木辻子

 北側へ細い道が伸びています。
 これが、撞木辻子(しゅもくのずし)です!

 南の四条通から北の錦小路通まで、120m続く辻子。

 もちろん、「撞木」辻子なので、T字形になっているはずですよね。

 歩いて行くと……

 撞木辻子

 ちょうど中間地点で左(西)へ枝分かれしていました!
 これぞ、撞木形ですね。

 撞木辻子
  東西の道

 西へ進んでいくと、両側には小さな飲食店が何軒も並んでいます。
 しかし、昔はおそらく、しもたやが並ぶひっそりとした住宅街だったのでしょう。

 例えば、このお宅。

 撞木辻子

 中央の一軒が、たぶん戦前から建っている家。
 先日ご紹介した “塀のある長屋” なんですね。

 さらに先に行くと……

 撞木辻子

 これは “塀のある家”、いわゆる大塀造(だいべいづくり)の門ですね。おそらく、門の右側に昔は高塀があったのでしょう。

 また、この狭い辻子から、さらに小さな路地が伸びている部分もあります。

 撞木辻子

 門を入って路地を進むと、奥に2軒ばかりのお宅があるようです。

 このように、この辻子は、かつてはひっそりとした住宅地区だったと想像されます。


 西の入口は……

 辻子を西へ抜けると、新町通に出ました。
 振り返ると……

 撞木辻子

 ああ、ここですね。放下鉾の会所(左の建物)のところでした。
 辻子の入口左側(北)には、このように町家が建っているのですが、右側(南)は駐車場です。

 撞木辻子

 辻子に並ぶ3階建の建物が見えています。


 北側は……

 辻子の南北路の北側に来てみました。

 撞木辻子

 こちらは、左(東)はマンション、右は駐車場(つまり空地)です。
 もう辻子という雰囲気ではないですね……

 ここを入って行くと、マンションなどがあるのですが、下の写真の部分。

 撞木辻子

 2つのビルの間に隙間があるでしょう。
 実は、ここに昔は路地があったのです!
 その奥の左右に2軒ほどの家があったようです。

 辻子そのものも細いけれど、その中にまた路地があったり。
 複雑ですね。

 撞木辻子は、15世紀末には出来ていたらしいのです。
 南北路の東向こうは室町通。町で言えば、菊水鉾町です。そのため、南北路の東側は菊水鉾町の背面になります。現在は、ビルの側面か背面になっています。
 一方で、南北路の西側と東西路の両側には、家が建っていきました。そのため、新たな町・観音堂町が出来たのです。

 地図を見ると、撞木辻子のある観音堂町は、
  ・東の菊水鉾町(菊水鉾)
  ・西の小結棚町(放下鉾)
  ・北の天神山町(霰天神山)
  ・南の月鉾町(月鉾)
 に囲まれています。この4町は、いずれも鉾町です。

 ところが、新しく出来た観音堂町は、山鉾は出せないのでした。
 このあたりにも、辻子と町の成り立ちが反映しています。

 なお、観音堂町という町名の由来は、かつてこの場所に竜福寺というお寺があったことによります。そのため、辻子は別名、観音堂の辻子とか観音堂東辻子などとも呼ばれました。

 名前に魅かれて行ってみると、意外に奥深かった撞木辻子。
 この付近、まだまだ面白い辻子や路地がありますので、また紹介してみましょう。




 撞木辻子(しゅもくのずし)

 所在  京都市中京区観音堂町
 見学  自由
 交通  地下鉄「四条」、阪急電車「烏丸」下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 足利健亮『中近世都市の歴史地理』地人書房、1984年
 『京都市の地名』平凡社、1979年
 「京都市明細図」京都府立総合資料館蔵、昭和初期


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コメント

生駒山の辻子谷

記事を拝見し、ストリートビューで撞木辻子を見ようとしましたが入れず、確かにクルマが通行できる道幅では無いですね。

放下鉾の会所辺りは祇園祭の時に何度も通っていますが、横の辻子へ入ったことは無いと思います。

辻子の南北路の北側の駐車場ですが、今年3月に撮影されたストリートビューにはシャッターを下ろしたビルが写っていて、最近に取り壊されたようです。

観音堂町は中京区で、月鉾町は下京区なので、ヤフー地図で両町の境界を見ることが出来ますが、京都の町の境界が複雑なことが判ります。

来年の宵山にも、この界隈を行き来すると思いますが、船越様のご案内のお陰で、よりディープに散策出来そうです。

話が逸れますが、辻子を「ずし」と読むと知ったのは、近鉄奈良線の石切駅の南に、河内七谷のひとつ、辻子谷という谷があり、其処を通った時でした。

昔は谷沿いの水車で製薬をしていて、今も一軒の製薬工場が稼働し、山道を登って行くと、鷲尾山興法寺という古刹があります。

脱線序でに、興法寺には神武天皇が雨宿りをしたという時雨桜があり、勿論当時の木がある筈も無く、記紀にも載っていませんが、別の資料などから、神武天皇が此処を通られた可能性はあると考えています。

何故、此処を辻子谷というのか調べたら、鷲尾山興法寺と生駒山宝山寺への道程を刻んだ道標が由来のようでした

路地と駐車場

ご愛読ありがとうございます。

京都の街中も、パーキングになっているところが多いですね。撞木辻子の北側の駐車場も真新しそうでした。ビルのあるうちに、しっかり見ておきたかったものです。もっとも、私もその前は祇園祭の時にさんざん通っているはずなのですが。
路地についても、まわりの家が壊されて路地自体が露出しているところも多々あります。

生駒山系は水車利用が盛んでしたね。製粉もあれば伸線もあったようです。
京都でも水車はいろいろあったと思いますが、余り知りません。また調べてみましょう。

   船越
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