09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

高塀の家を訪ねて - 京のしもたや(その2)-





三条の家


 高塀の高さとは?

 前回に続き、高い塀を持つお邸についてレポートします。

 ところで、この前から「高塀(たかべい)」という言葉をなにげなく使っていますが、高塀っていったい何メートルくらいからを言うのでしょうか?
 中村達太郎博士の『日本建築辞彙』で調べてみると、「高塀」とは、

 普通ノ塀ヨリハ高キモノヲイフ。
 普通ノ塀ハ凡(およそ)六尺ノ高サナリ ソレヨリハ稍(やや)高キモノヲイフ。(111ページ)


 と書かれています。
 普通の塀は、6尺、つまり180cmほどなのだそうです。

 確かに、高塀は “くぐり” のようにして格子戸などが組み込まれているわけですから、6尺よりは高くなります。

 天ぷら吉川
  料理旅館 天ぷら吉川 (中京区)

 写真から分かるように、人物よりは相当高い塀です。
 お宅によって異なりますが、板塀の部分が6尺くらいとして、その上に聚楽壁が2尺ないしは3尺(約60~90cm)ほど乗るのでしょう。
 そうすると、8尺から9尺、つまり2m40cm~2m70cmの塀ということになります。
 通りからの視線を遮断するには、十分の高さですね。


 富小路の立派な家

 前回に続き、旧生祥小学校の前から富小路通を下がってきました。
 蛸薬師通との角に立派なお邸が。

 富小路蛸薬師の家
  富小路の家(1)

 大塀造(だいべいづくり)の家で、初めて角にあるものを見ました。
 塀の高さを注意すると、玄関のある側の塀(電柱の右)が、側面の塀(電柱の左)よりも少々高いことが分かります。
 そのため、玄関側の塀は、聚楽壁(土壁)の比率がとても大きくなっています。

 富小路蛸薬師の家

 正面(北側)から見たところ。
 2階のボリュームも大きく、全体に背が高い印象を受けます。 
 真ん中から左半分に、塀が4間あります。右半分は塀ではないのですが、庇(ひさし)や出窓(釣り出格子)を付けて、塀のように処理しています。このことで、左端から右端まで一体感が保たれていますね。

 富小路蛸薬師の家
  玄関

 玄関の庇から上が、通常より長くなっています。側面の塀より高くしたために、こうなったのでしょうか。

 富小路蛸薬師の家
  釣り出格子

 次に、側面を見てみましょう。

富小路蛸薬師の家

 9間の長い塀で、真中3間に窓を穿ち、左端寄りに勝手口を付けています。勝手口は、玄関より小ぶりの板戸になっています。

 富小路蛸薬師の家

 塀の前には、柵が設けられています。
 これは、意外に多く見られる工夫ですね。違法駐車や衝突を防止する目的なのでしょうか。
 そして、こちらのお宅では、柵の金物も凝っています。

 富小路蛸薬師の家

 銅製の八双金物(はっそうかなもの)ですね。
 片方の端が二股になっているもの。お寺の門扉などでよく見掛けます。
 町家でこういうのを使うと、重々しい印象です。珍しい上に贅沢です。また、2階にも細かな意匠があります。

 このお邸ほどになると、規模も大きく、贅を尽した造りで、もう文化財級ですね。中京にある大塀造の代表作のひとつでしょう。


 通りから見える2階の工夫

 引き続き富小路通を歩きます。
 こちらのお宅。

 富小路錦の家
  富小路の家(2)

 富小路通に面して建っています。
 大塀造の家としては、間口は狭い方です。そのせいもあり、塀は高く見えます。
 住居の2階が変わった外観です。

 富小路錦の家

 壁をよく見ると、鉄色と言おうか、渋い色合いのタイル貼りになっています。
 洋風とまでは行きませんが、単なる和風から抜け出すような遊びが感じられます。

 あえて推測すれば、大塀造の場合、住まいの1階は通りから見えず、逆に2階はよく見えます。その視線が集まる2階に工夫を凝らすわけです。
 隠しつつ見せる、というアンビバレントな戦略ですね。

 富小路洋風の家
  富小路の家(3)

 この家は、富小路通をずっと上がったところにあるのですが、通りから見える住居は洋風になっています。窓の格子が素敵。モダンな雰囲気です。
 実は、この洋館の後ろに、和風住宅も建っているのです。
 間口は狭いのですが、タテに<洋+和>と、2段構えになっているわけです。見せる部分には、新しいスタイルを持ってくるという感覚。なかなか面白いと思います。


 町家と蔵と塀

 同じ富小路、上の洋風邸の近所に、このようなお宅もありました。

 富小路姉小路の家
  富小路の家(4)

 2階に大きな虫籠窓(むしこまど)のある家。
 町家の左側部分に、高塀をオーバーラップさせるような建て方で、その左には蔵が建っています。
 町家と蔵の間に塀を造っている形になります。変わったスタイルです。

富小路姉小路の家

 このように、富小路通には数多くの大塀造の家がありました。なぜ富小路に多いのか、理由は不明です。少し考えてみたいと思います。


 高塀の医院

 その2の最後として、医師のお邸を紹介しておきましょう。
 
 三条の家
  三条の家

 三条通にある邸。
 門には大きめの庇を付け、右に3間の塀。塀からはヒマラヤスギ(右の木)ものぞく、ちょっとモダンな印象の家。
 にぎやかな三条通にあるので、記憶にある方も多いでしょう。

 三条の家

 実は歯科医院ですが、いま歯医者さんとして開業されているのかどうか。看板の書体がいけてます。
 中には入ったことがありませんが、おそらく1階が診察室で、2階は住居なのでしょう。
 側面から見るとよく分かるのですが、2階は大きなガラス窓になっており、採光に配慮されています。

 三条の家
  2階はガラス窓 (右隣は、1928ビル=旧大毎京都支局)

 医院は、しもたや(仕舞屋)ではありませんが、なぜか大塀造のものが多いのです。
 おそらく、明治以後に広まった新業種として、旧来の商家と区別するような意匠を取ったのではないでしょうか。

 今回、中京区内を歩いて、高塀を立てた家が意外にも多いことが分かりました。
 思い付くまま歩いても、2、3時間で15軒くらい見ることができました。後日、なにげなく中京を歩いていると、やはり初見の高塀の家に出会います。上京、中京、下京と、京都の中心部にはどのくらいの大塀造の家があるのか。とても興味がわいてきたので、引き続き調べていきたいと思います。

 


 三条の家

 所在  京都市中京区弁慶石町
 見学  外観自由
 交通  地下鉄「市役所前」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 中村達太郎『日本建築辞彙』丸善、1906年


スポンサーサイト

コメント

No title

市街地の家は、通りからの視線のみならず隣家からの視線も気になるでしょうね。

蛸薬師通との角に建つお邸も、ストリートビューで見ると周囲のビルから見下ろされる位置にありますね。

話が横道に逸れますが、今年の祇園祭の後祭では、寺町通と錦小路通の交差点で西御座神輿を撮影し、蛸薬師通を小走りに錦小路通を進む神輿の先回りをして撮影を続けましたが、既に日没の時刻だったので、富小路通と錦小路通の交差点附近では上手く写真が撮れませんでした。

そして、高倉通と東洞院通の間で小休止した西御座神輿は、其処から錦小路通を折り返し、更に高倉通と東洞院通を南行し、烏丸通を北行して大政所御旅所の前での祭典に臨みますが、今年は其処で神輿を見送って帰りました。

因みに、東洞院通の保昌山が最も東の山鉾で、高倉通から東には鉾も山も建ちませんが、昔の京都で経済力があったのは東洞院通から油小路通に掛けての地域だったのでしょうか。

現在なら高倉通から東の方が経済力が有りそうですが、今度その辺りに行ったら、そんなことも考えながら、街並みを見て歩きたいと思っています。

富裕な学区

ご愛読ありがとうございます。

以前、旧龍池小学校(烏丸御池)のことを書いたとき、このあたりの各学区の戦前の納税額について記した資料を見たことがあります。
それによると、最も富裕な学区は、日彰学区と明倫学区でした。この2学区は、四条通の北側で、烏丸通を挟んだ東西の学区になります。やはり、鉾を多く出すこのあたりの地区が商業的に栄えていたことになると思います。
いま京都市の芸術センターになっている旧明倫小学校も、とても素晴らしい校舎で、豊かさがしのばれます。
現在では、学区も統廃合され、室町の景気も冷え込んでしまって、隔世の感がありますね。

     船越

非公開コメント