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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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千本中立売には、かつてシネマパラダイス “西陣京極” があった(その1)





千本中立売


 千本中立売の記憶

 戦前生まれの私の父は、子供の頃、中立売のあたりで育ちました。
 「中立売」は「なかだちうり」と読み、東西の通りの名前です。もっとも、ふつうに発音すると「なかだちゅうり」となるでしょうか。
 育った家は、千本通と大宮通の間で、小学校は正親(せいしん)小学校でした。

 上京区役所のウェブサイトによると、その学区は、南北は一条通から下長者町通、東西は松屋町通から千本通のエリアで、地図を見ると、とても狭いことが分かります。
 西陣織で知られる機業地・西陣の一角ですが、その中でも最も繁華なエリアであったと言えるでしょう。

 また、母は正親学区の西に隣接する仁和(にんな)学区の出身です。そのため、京都市内の西北部に当たるこの地域は、少年時代から私にとっても親しみ深い地域でした。

 中心点となる千本中立売、つまり千本通と中立売通の交差点は、記憶に残る場所でした。

 千本中立売
  千本中立売の交差点

 交差点の南西に建つ時計塔のある建物は、誰の記憶にもある象徴ですが、さて何のお店だったのか、思い出すことは出来ません。
 アーケードに「きたの」と書いてありますが、ここから西方に続いている北野商店街です。
 北野天満宮の南に位置し、かつては路面電車の終点でもありました。母の実家では、この商店街のことを「下の森(しものもり)」と呼んでいました。


 久しぶりの西陣

 千本中立売付近に、昔、たくさんの映画館があったことは、学生時代から知っていました。父の話では、映画フィルムを積んだ自転車が西陣と新京極の間を行き来していたと言います。それほど映画が大繁盛し、フィルムが使い回されていたのでしょう。

 かつて劇場や映画館があったエリアは、南北は北大路通から丸太町通、東西は千本通から堀川通に囲まれた区域です。このあたりが、およそ機業地の西陣に相当します。
 『近代歌舞伎年表 京都篇』の附図には、このエリアに劇場・映画館が17軒示されています。
 また、『西陣の史跡 思い出の西陣映画館』の地図によると、29軒の映画館があったと記載してあります。
 すべてが同時代に並立していたわけではありませんが、新京極界隈にも匹敵する劇場・映画館があったことが分かります。

 この西陣の劇場・映画館(ほとんどすべて跡地ですが)を久しぶりに廻ってみたのが、今回のレポートです。
 たぶん30年ぶりくらいになるかも知れません。


 北から、岩神座跡へ

 「今出川智恵光院」でバスを降り、浄福寺通を北へ。
 上立売通浄福寺東入ル、いま広場になったあたりに、岩神座がありました。

 岩神さん
  岩神座跡

 古く明治2年(1869)からあり、日露戦争期の明治37年(1904)に新築されました。
 川上音二郎の流れをくむ新派劇を比較的多く掛けた劇場ですが、喜劇や少女劇から、浪花節、女義太夫まで、さまざまなジャンルの出し物が見られます。
 明治41年(1908)には松竹に買収され、その後は歌舞伎も掛けられたり、楽天会という松竹系の喜劇も上演されています。
 折にふれて、活動写真も上映され、牧野省三のデビュー作「本能寺合戦」が掛けられたこともありました。

 新京極の劇場や南座などよりは小さかったと言われますが、明治40年(1907)8月13日の火災の際には、「二百五十余名の観覧者」がいて、「二階より我れ先にと飛び下り」とありますから、2階席もある劇場だったと分かります。

 現在では、上の写真のように、岩神さん(岩神神社)という祠があり、大きな岩に注連縄を張ってお祀りされています。

 岩神さん
  岩神さん

 授乳祈願がなされるこの岩が、岩神座の名の由来になっているわけです。


 尾上松之助出世の地、千本座

 千本今出川の交差点を南へ。
 この千本(せんぼん)通は、いにしえの平安京の朱雀大路に相当する道路です。
 南に3本ほど進むと、通りの東側にビルが建っています。

 千本座跡
  千本座跡

 このビルの場所は、かつては西友、近年では無印良品がありました。
 実は、明治13年(1880)、千本の芝居が置かれた場所です。
 その後、明治20年(1887)に千本座となりました。

 千本座は、日本映画史上では、つとに知られた名前です。
 明治後期、この劇場の経営者は牧野省三でした。牧野は、初期の映画監督として名をはせた人物。のちにマキノプロを設立し、日本映画の父と呼ばれます。

 千本座の経営者として、牧野が見出した俳優が「目玉の松ちゃん」として人気者になった尾上松之助です。
 松之助は、明治42年(1909)、千本座の座頭となり、派手な演技で観衆を魅了します。そして、牧野とコンビを組み、映画に出演。独自のキャラクターでスターになったのでした。

  尾上松之助像 尾上松之助像(鴨川公園)

 まさに、尾上松之助飛躍の地が、ここ千本座なのでした。


 一条通の長久座など

 資料によると、千本座の南あたりに、西陣電気館があったようです。ただ、『西陣の史跡…』にも記載されていません。

 長久亭跡
  千本一条付近

 一条通を越えると、東側に長久亭がありました。落語などを掛ける寄席で、明治44年(1911)の開場。席数は、200余りでさほど広くなかったようです。
 昭和に入って映画館となり、長久館、長久座と改称しました。

 長久亭跡
  長久座跡

 長久座のあったところは、現在はローソンになっています。
 敷地はよく分かり、北南東には、ぐるっと路地がめぐっています。

 長久亭跡

 北側の路地跡。
 右手がローソンとその駐車場で開放的になったため、雰囲気がなくなっていますが、往時は “らしい” 感じだったのでしょうね。

 このように、千本通に面したところは、劇場・映画館の痕跡はほとんどありません。
 ただ、この先、少し路地裏に入ると、何となく雰囲気のある街区があるんですね。
 それは、次回にご紹介しましょう。

 (この項、つづく)




 千本座跡

 所在 京都市上京区千本通一条上ル泰童片原町
 見学 跡地のみ
 交通 市バス「千本中立売」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 『近代歌舞伎年表 京都篇』各巻、八木書店
 田中泰彦編『西陣の史跡 思い出の西陣映画館』京を語る会、1990年
 上京区役所ウェブサイト


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