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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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牛で荷物を運んでいた時代、三条通の白川はどう渡った?

洛東




京津国道改修碑


 粟田口の白川橋を渡る

 最近、しばしば粟田口(あわたぐち、東山区)を訪れています。

 そのたびに渡るのが、白川橋。

 白川橋
  白川橋

 三条通に架かっています。
 かつて三条通は、東海道でした。京の都から外へ出るのがこのあたりで、そのため粟田“口”と呼ばれていました。
 「口」は、もちろん出入口の意味で、京都には俗にいう “京の七口” があったのです。

 三条通は、大正2年(1913)に、粟田神社前までを幅8間、つまり15m弱に拡幅しました。たぶん、現在もその道幅だと思われます。白川橋も、そのときに架け替えられたものでしょうか。
 それ以前の道幅は、約6mほどだったといいます(3間余ということになります)。
 享保2年(1717)に京都町奉行所が編纂した「京都御役所向大概覚書」には、白川橋は寛文9年(1669)に、五条橋の古材を用いて石橋に架け替えられたと記されています。以前の木橋は、地震によって壊れたらしいのです。
 長さは6間4尺(約12m)、幅は3間5尺(約6.9m)と言いますから、三条通の道幅とも合致します。


 名所図会に登場する牛と荷車

 白川橋あたりの風景は、江戸時代の名所図会にも登場します。
 私がいつも気になり、何度も見返してしまうのは、この図です。

 「花洛名勝図会」より「白川橋」
  「花洛名勝図会」より「白川橋」

 左右の道が東海道。この図では「大津海道」という別名が書かれています。大津(滋賀県)につながる道だから、この呼称なのですね。
 右方へは、「知恩院道」が分岐しています。

 当時は、人も徒歩ですが、荷物の運搬も、牛を使うパターンが一般的でした。牛の背に背負わせる場合と、荷車を曳かせる場合があり、当然荷車の方がたくさん運べます。

 「花洛名勝図会」より「白川橋」

 画面右下に、背中に荷物(俵?)を背負う牛が1頭います。
 そして、橋の向こうに、荷車を曳く牛が2頭、連なっていますね。

 この2頭ですが、橋を渡らずに、白川に入って行きます。
 あれ、橋を渡ればいいのに、と思いますよね。
 なぜ、わざわざ川を渡るのでしょうか。

 白川
  白川

 牛が曳く荷車は、米俵などを積んでおり、数百キロの重さなります。それが渡ると、橋を痛めることにつながります。そのため、荷車は橋を迂回して、じゃぶじゃぶと川を渡って行ったわけです。
 まあ、牛ですので、それくらい大丈夫なのでしょう。
 同様のことは、東海道の起終点、三条大橋でも行われていたようです。

 先ほどの「京都御役所向大概覚書」を見ると、おもしろい記載があります。
 堀川に架かる中立売橋は、長さ7間4尺(約13.8m)、幅4間5尺(8.7m)もある幅員の広い橋でしたが、「車留めの石杭、これあり」と書かれています。つまり、荷車が通れないように、わざわざ車止めを設置していたことが分かります。

 
 荷車専用レーンを通れ!

 「花洛名勝図会」(1864年)の続きの場面。

 「花洛名勝図会」より「白川橋」

 白川橋の少し西、粟田神社の社頭です。
 ここでも3頭の牛が荷車を曳いています。その足元を見ると、四角い石が敷いてあるのが分かるでしょう。
 石敷きは、左右2列になっていて、右の轍(わだち)と左の轍の下にあります。その間に、牛が通る1mほどのスペース(こちらは土の道)が作ってあります。
 このレーンを車道(くるまみち)と言い、敷石を車石(くるまいし)と言います。
 
 当時、京都の出入口あたりの “交通量” が多いところ(東海道、竹田街道、鳥羽街道など)では、荷車のための専用レーンがあり、車石が敷かれていました。


 日ノ岡に残る車石

 とりわけ有名なのが、ここから西の峠・日ノ岡に敷設されたものでしょう。

 九条山の車石

 ちょっと分かりづらいですが、荷車が車石の上を通る様子を復元しています。

 九条山の車石

 メモリアルに置かれた車石。

 九条山の車石
 
 轍が通る部分がへこんでいます。あらかじめ掘られていたとも、多くの車両が通るから減っていったとも言われています。
 なぜか、恐竜の歯みたいだ、などという感想が湧いてきます。

 日ノ岡を山科の方へ下ると、昭和初期の京津国道(国道1号線)の改修記念碑が建っています。

 京津国道改修碑 京津国道改修紀念碑

 その台座に、車石が用いられています。

 京津国道改修碑

 車石は花崗岩製が多いのですが、ものすごく掘れています。
 このような石の道を通るわけですから、当時の荷車は車輪の幅が規格化されていたことがうかがえますね。

 もちろん他の場所にも、車石は残されています。
 例えば、伏見区の御香宮神社。

 御香宮神社の車石
  御香宮神社の車石

 竹田街道に敷設されていた石だそうです。リアルな雰囲気で保存されています。

 それにしても、牛と人が一緒に暮らしていた日常が懐かしいですね。
 いま急に、子供の頃、近くの農家のおじいさんが、牛を曳いて家の前をよく通っていたことを思い出しました。牛は、運送のほか、農作業にも活躍していたのです。
 牛を飼っている家なんて、もう郊外でもほとんどないでしょう。少し寂しい気もします。
 
 


 白川橋

 所在 京都市東山区三条通白川
 見学 自由
 交通 地下鉄「東山」下車、徒歩すぐ



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 『京都御役所向大概覚書』清文堂出版、1973年
 『日本歴史地名大系27 京都市の地名』平凡社、1979年


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