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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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いくつもあった! 元三大師と庚申さんを祀る尊勝院へ登る道標

洛東




尊勝院道標


 青蓮院の上にある尊勝院

 鴨川に架かる三条大橋を発って、三条通を東進すると、“東海道五十三次” の世界へ。
 京都の東の出口は、七口のひとつ、粟田口(あわたぐち)です。

 その付近。三条通と神宮道(じんぐうみち)が交わる交差点を真っ直ぐ南へ下がると、青蓮院にたどり着きます。
 尊勝院は、その東方の丘の上にあります。

 尊勝院
  尊勝院 本堂(京都市指定文化財)

 尊勝院は、青蓮院に属する天台宗の寺院です。
 少し奥まったところにあるので、観光の方は余り訪れないでしょう。でも、見晴らしがとてもよく、本堂も桃山時代の造営なので、隠れた名刹ですね。


 三条通神宮道下ルの道しるべ

 この尊勝院に行くには、平安神宮の大鳥居の真南、三条通神宮道の交差点から1本南に進みます。青蓮院の手前の交差点ですね。
 ここに、1基の道標があります。

 尊勝院道標
  三条通神宮道下ルの道標

 この道路、東西に続いていて、尊勝院、粟田神社、佛光寺本廟などにアクセスできます。
 道標を少し詳しく見ていきましょう。

  尊勝院道標

 まず正面(西面)なのですが、「尊勝院 庚申堂参道」と書いてあります。
 尊勝院の下に、庚申(こうしん)堂ともあるので、同院にはご本尊に加え“庚申さん”も祀られていると分かります。

 ちなみに、この庚申信仰というのは、庚申待ちとも言って、庚申(かのえさる)の日、夜を明かして過ごすことを言います。なぜ夜明かしするかというと、カラダの中にいる「三尸(さんし)」という虫が抜け出して、天帝にその人の罪悪を告げ口してしまうと信じられていたからです。
 仏さまとしては、青面金剛(しょうめんこんごう)を祀るのですが、庚申の「申」が十二支のサルを意味するので、サルと結び付いた信仰に変化していきました。このサル、ちょっと覚えておいてください。

  尊勝院道標

 左面(北面)には、「将軍塚登口」
 尊勝院からさらに奥へ登ると、将軍塚に至るのです。

  尊勝院道標

 裏面(東面)には、「昭和十四年七月 建之」とあります。
 比較的新しいですね。表の「尊勝院」の文字の筆遣いなどからも、新しさが感じられます。

 最後に、右面(南面)。

  尊勝院道標

  「寄進 吉水園菓舗 結城専輔/粟田口住 木田主計」
 この道標を建てた人の名前が記されています。
 道標に限らず、石造物には建立者(寄進者、施主)の名前が刻まれていることが多いのです。ところが、その人が誰か? というのは、なかなか分かりません。この道しるべも、“?”と思いつつ通り過ぎたのですが……


 寄進者の答えは、近くにあった!

 道標を見て、そのまま尊勝院に進みかけたのですが。
 なぜか気が向いて、左(北)に少し歩むと……

 住宅地図

 路傍に、この付近の略図がありました。こういうのは、つい見入ってしまいますね。
 ところが、そこで発見したのです、道標の寄進者「吉水園菓舗」を!

 なんと、地図に「吉水園」とあり、現在地のすぐ横です。
 行ってみると、

 吉水園
  京菓子司 吉水園

 ありました、和菓子店・吉水園。
 銘菓「京おんな」の老舗。

 道標から、僅か数十メートル。こんな近くに寄進者の家があったとは、驚きです。
 ちょっと珍しいケースかも知れませんね。

 吉水園


 もうひとつの道標

 元の道に戻り、道標から学校のブロック塀に沿って、東に100mほど進みます。
 すると、右の分岐点に、また道しるべが建っています。

 尊勝院道標
  
 「元三大師」と大書しています。
 実は、尊勝院は、平安時代の比叡山延暦寺の僧で、天台座主も務めた慈恵大師良源(じえだいし りょうげん、912-985)が本尊です。彼は、またの名を「元三(がんざん)大師」と呼ばれました。1月3日に亡くなったからです。
 後世の庶民には元三大師の名の方で知られ、ユニークな“角(つの)大師”の護符は大ブームでした。この辺については、以前書いた記事をご覧ください。

 記事は、こちら! ⇒ <比叡山延暦寺の高僧・元三大師は、京都でも広い信仰を集めてきた>

  尊勝院道標 尊勝院道標


 なぜか溝ブタの上に置かれていて、不安定な感じがする道標。
 右側面には、「文化二乙丑年建之」とありますので、今から200年余り前の文化2年(1805)建立と分かります。

 裏面には何も書かれていないのですが、左側面には文字があります。

  尊勝院道標

 ちょっと写真では読めないでしょうか。
 「多賀大社」の4文字が認められます。

 多賀大社といえば、滋賀県の湖東にあるお宮さんですね。由緒ある式内社で、「お多賀さんへは月参り」と言われたほど信仰を集めた神社です。
 しかし、ここに書いてあるということは、尊勝院の中にも多賀大社があるということでしょうか? 

 幕末にさかのぼって、「花洛名勝図会」(1864年)を見てみましょう。

 「花洛名勝図会」より粟田口付近
  「花洛名勝図会」より「元三大師」

 いつもながら、詳しく描いてありますね。
 クローズアップです。

 「花洛名勝図会」より粟田口付近

 一番上に「元三大師」のお堂が画かれています。当時「南面大師」と呼ばれたように、南向き(右向き)に建っています。
 その右に白い屋根が見えますね。これが「多賀社」です。ここに近江から勧請された多賀大社があったわけです。昔は神仏習合ですから、お寺と神社が一緒にあっても一向にかまわないのですね。


 移転した多賀大社

 ところが。
 いま尊勝院に行っても、多賀大社はないのです。
 元三大師のお堂の場所は、大正4年(1915)に上図の位置から現在地に移転しています。そのため境内も狭くなっています。いずれにせよ、多賀大社はありません。
 では、どこに行ったのか?

 粟田神社
  粟田神社 本殿

 尊勝院のすぐ東に粟田神社があります。
 その本殿の左脇にたくさんの摂社・末社が並んでいます。

 粟田神社
  本殿脇にある摂末社

 その一番左に、ありました、多賀社。

 粟田神社の多賀神社

 おそらく、明治維新の際の神仏分離で、尊勝院から遷されたのでしょう。よくあることですね。

 粟田神社のウェブサイトを見ると、この並びにある出世恵美須神社も、維新の時、かつての金蔵寺から遷ったと記されています。


 金蔵寺という廃寺

 そう、金蔵寺(こんぞうじ)。
 この寺、今は廃絶してしまったのですが、かつては青蓮院の付近にありました。寺地は、最初の道標の辺り一帯に拡がっていたというイメージだと思います。
 その金蔵寺は、江戸時代は「粟田の庚申」として信心されていたのです。絵図などにも、ズバリ「庚申」と記載されているものもあります。そして、ご本尊は、米地蔵(よねじぞう)。

 ということは……

 実は、先ほどの「花洛名勝図会」に描いてあった境内は、金蔵寺の境内だったのです。
 
 「花洛名勝図会」より粟田口付近

 図中の記号を整理すると……

  A 「元三大師」堂・・・現在は尊勝院へ
  B 「多賀社」・・・現在は粟田神社末社に
  C 「米地蔵」・・・現在は尊勝院に祀られる
  D 「おさる堂」・・・同上
  E 「門出えびす」・・・現在は粟田神社末社に

 「おさる堂」は、まさに御猿堂。庚申信仰と結び付いた猿で、別名を三猿堂とも言い、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿です。
 「門出えびす」は、現在は出世恵美須とされています。

 このように、旧金蔵寺にあったお堂やお宮は、明治維新後、分離されて、現在の尊勝院や粟田神社に祀られるようになったわけです。


 粟田神社境内の道しるべ

 そんなことで、今回は尊勝院に続いて粟田神社にも参詣したのでした。
 すると、また道しるべに遭遇してしまったのです。

 粟田神社
  粟田神社

 神社の鳥居の左側に小さな道しるべが。

 粟田神社

 昭和13年(1938)12月に建立されたものですが、ここにも「庚申堂 登口」「将軍塚」と書かれています。

 ん~、「庚申堂」は尊勝院に移ったのではなかったのか? これは昭和13年なので、たぶんそのはず……

 などと思いながら、境内に上り、ぶらついていると。
 またまた道標が!

 粟田神社 粟田神社

 これも同じく昭和13年12月に建てられたもので、「庚申堂参道」「将軍塚登口」と記されています。
 けれども、その先の山道は鉄扉で閉ざされていて、登ることはできません。

 聞いてみるか、と思い、社務所で尋ねました。

 「庚申堂参道という道しるべを登って行くと、今でも庚申堂があるのですか?」

 宮司さんの答えは、少し意外でした。

 「ええ、尊勝院さんに行けるんです」

 なるほど。
 つながっていたのか。

 ナゾが氷解したところで、神社を後にしたのでした。




 尊勝院 道標

 所在 京都市東山区粟田口三条坊町
 見学 自由
 交通 地下鉄「東山」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年

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