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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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豊臣秀吉が築いた石垣を比べてみる(その2) - 聚楽第、方広寺の巻 -

洛東




方広寺石垣


 発掘された聚楽第の石垣

 豊臣秀吉が築いた石垣を比較する試み、その2回目は、聚楽第と方広寺です。

 京都の中心部に造られた聚楽第(じゅらくだい)は、秀吉の甥・秀次の居所となりました。しかし、秀吉の変心によって秀次は切腹に追い込まれ、聚楽第も壊されました。文禄4年(1595)のことです。
 そのため、聚楽第の名残りは今では見られず、その遺構としてほぼ確実視されるのは大徳寺の唐門(国宝)くらいのものでしょう。

 大徳寺唐門に関する記事は、こちら! ⇒ <国宝・大徳寺唐門は、聚楽第の遺構>

 いま現地に行っても、いくつかの石標によってその場所が示されているに過ぎません。
 ところが、2013年、聚楽第の遺構と考えられる石垣が発掘されたのです!

 聚楽第石垣
  発掘された聚楽第石垣(2013年12月撮影)

 聚楽第本丸の南堀に当たると思われる場所の石垣です。
 東西方向に、約32mにわたって出土しました。

 聚楽第石垣

 花崗岩で出来た石垣は、下から3~4段分が残っていました。最も高いところで2.3mあるそうです。上の方は、壊れていて残っていません。

 聚楽第石垣

 写真の右側が、外に見えている石の面です。ピシッとそろっていることが分かります。
 豊臣期の石垣は、自然石をうまく積み上げた野面(のづら)積みです。石の大きさも不揃いで、隙間に小石を詰めたりするので、切石よりは美しくありません。しかし、秀吉の石垣は、平らな面をそろえて立派に見せる術を心得ているようです。

 石は、西から東に行くにしたがって、大きくなっているといいます。これは、東方に門があったためと思われます。門の脇の石を大きくして、豪壮に見せたのでしょう。

 聚楽第石垣

 聚楽第石垣

 石垣の裏側には、小石をたくさん詰め込んでいます。裏込め(うらごめ)というもので、排水を良くします。

 発掘された聚楽第の石垣は、素朴な野面積みで、巨石とまでは言えませんが、秀吉の石垣らしい“見栄え重視”の積み方になっているようです。

 発掘当時のレポートは、こちらをご覧ください! ⇒ <聚楽第の石垣発掘は、秀吉の栄華を彷彿させる>


 方広寺の巨石に驚く

 東山・京都国立博物館の北側にある方広寺(ほうこうじ)。かつて、豊臣家が大仏を安置した寺として知られています。
 その造営は、聚楽第がほぼ完成した翌年、天正16年(1588)に開始され、文禄4年(1595)頃までに大仏も大仏殿も完成しました。
 ところが、文禄5年(慶長元年=1596)、大地震によって倒壊してしまいます。この地震は、前回紹介した伏見・指月城を崩壊させた、あの地震でした。

 その後、秀吉が没し、息子・秀頼によって再建が開始された大仏も、鋳造中の出火、炎上するなど、紆余曲折を経ました。落慶供養が慶長19年(1614)に行われるはずでしたが、鐘銘「国家安康」「君臣豊楽」に徳川方から横やりが入って法要は中止……といった感じで、翌年、豊臣氏も滅亡してしまうのでした。

 このように、方広寺の大仏は造営経緯が複雑なのですが、石垣は明快です!

 方広寺石垣
  方広寺石垣

 まさに、“秀吉らしい”と思わせる巨石群です。
 写真は、京都国立博物館の正門(西門)北側。大和大路に沿って南北に延びる石垣が、東に曲がるコーナー部分です。
 人の背丈の倍ほどもありますね。

 方広寺石垣
 
 角の石をクローズアップしてみると、このような迫力です。
 また、指月城や聚楽第に比べて、かなり加工が施されているようで、石を割る際に付けた矢穴も随所に見られます(矢印)。

 方広寺石垣
  矢穴

 この石垣の特徴は、2つほどあります。
 ひとつは、こちら!

 方広寺石垣

 やはり、表面を平らにそろえているのです。
 のちの近世城郭のように、綺麗な切石ではないのですが、面がフラットになっています。大きな石をさらに立派に見せているようです。

 もうひとつの特徴は……

 方広寺石垣

 例えば、この石。
 非常な巨石に思えます。

 ところが、側面から見てみると……

 方広寺石垣

 あれ? 意外に薄いのです。

 平らで大きな面が見えるので、巨大な石垣に感じられるのですが、石垣の奥行き自体はごく浅いのです(だいだい石1~2列くらい)。
 イミテーションっぽいと言うか、見栄え重視の秀吉の本領発揮というところでしょうか。

 大仏殿も大仏も、現在では残っていない方広寺ですが、石垣だけは往時をしのばせてくれます。
 
 2回にわたって、秀吉の石垣を見てきました。
 これ以外にも、現・大阪城(徳川家が造営)の地下に眠る豊臣期石垣があります。将来、見学施設も作られる予定ですので、楽しみに待ちたいと思います。




 方広寺石垣

 所在 京都市東山区茶屋町
 見学 自由
 交通 京阪電車「七条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 日本史研究会編『豊臣秀吉と京都』文理閣、2001年
 網 伸也「京都市考古資料館文化財講座 方広寺」同館、2010年




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