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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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意外にステキかも! 七夕にいけばなという時代





「都林泉名勝図会」より「西六条本願寺」


 「都林泉名勝図会」に見る七夕

 7月7日は、七夕ですね。
 竹に短冊を吊るして願い事を書く、というのは、お馴染みの七夕風景です。
 しかし、いつの時代も同じように七夕を迎えていたのではありませんでした。

  七夕

 江戸時代の京都庭園ガイドとも言うべき「都林泉名勝図会」(1799年)を見ると、少し変わった七夕風景が紹介されています。

 ひとつは、「七夕 池坊立花」。

 「都林泉名勝図会」より「七夕池坊立花」
  「都林泉名勝図会」巻1より

 座敷に、僧侶や幾人かの人たちが集まり、花瓶に活けられた花を眺めています。

 「都林泉名勝図会」より「七夕池坊立花」

 畳が一段高くなったところに台を置き、花瓶を設えています。後ろには屏風を立てています。
 右端の人物は、剃髪しているから僧侶ですが、刀を持っている人もいて、これは侍でしょう。口々に感想を述べ合っているようですね。

 「都林泉名勝図会」より「七夕池坊立花」

 こちらは、食い入るように見ていますね。熱がこもっています。
 花瓶の前に、文字を書いた札が置いてあります。右の方には、どうやら「正恩寺」と書かれており、左はよく読めないのですが、何々軒かも。
 どうやら、この花を活けた人の名前のような気がします。


 池坊と六角堂

 いけばなと言えば、京都では池坊(いけのぼう)が有名。
 そして、池坊と言えば、六角堂とのかかわりが著名です。

 六角堂
  六角堂

 烏丸通六角東入ルにある頂法寺は、お堂が六角形であることから、六角堂の名で通っています。
 西国三十三所の十八番札所で、本尊は如意輪観音。いにしえ、聖徳太子が四天王寺建立の用材を求められた場所とも伝わり、太子が池で沐浴をされたとも言われています。
 その池が後に伝わり、池の傍に住坊を営んだのが「池坊」なのでした。

 六角堂
  今も聖徳太子が祀られている

 「都林泉名勝図会」には、「六角堂池之坊」の項があります。
 その中に、七夕と関係のある記述があるのです。

(前略)毎歳、七夕の日にハ二星の手向として門子聚[あつま]りて瓶花の精妙をあらハす也。昔ハ此日 帝へも調進あり、将家へ立花を献る事、今に絶る事なし

 文中の「二星」(にせい、じせい)とは、牽牛星(ひこぼし)と織女星(おりひめ)のこと。その供花として、池坊の門弟らが集まって、花を活けたというのです。かつては、天皇へ花を献じていたこともあり、将軍家には今も献花している、と記されています。
 なるほど、ひこ星と織姫に花を供えたわけですね。

 たぶん、先ほどの絵の座敷は六角堂の一画だと思うのですが、そうすると、お寺の中で七夕の供養が行われていたということになるのでしょうか。


 西本願寺でも……

 同じ「都林泉名勝図会」には、こんな絵も掲載されています。

 「都林泉名勝図会」より「西六条本願寺」
 「都林泉名勝図会」巻1より

 「西六条本願寺対面所 七夕籠花」。

 西本願寺の対面所、約200畳もある国宝・鴻の間です。その南縁を描いていて、画面右隅には南能舞台(重文)も描かれています。
 庭に、大勢の人々が集まっています。
 目的は、もちろん、この「籠花」(かごはな)を見ること。

 「都林泉名勝図会」より「西六条本願寺」

 縁に、ずらりと並べられた籠花。いけばなというよりも、盆栽的な雰囲気です。
 よく見ると、右から二つ目のものは、花の輪の中央に、タイに乗った恵比須さん! がいます。その右は、ヒョウタンらしきものを持った人物が。もしかして、養老の滝?
 他の作品にも、小さな人形が置かれていて、造り物的な感じです。

 「都林泉名勝図会」より「西六条本願寺」

 こちらは、先ほどの池坊の絵に近く、立花です。
 ここでも、作者の名前を書いた札が置かれています。

 そして、見物はさまざまで、お侍、お坊さん、商人、ご婦人方、子供まで、かなり人を集めるイベントだったのですね。
 本文には、次のように記されています。

 七夕の籠花数品、家老、候人、院外より献上す。これを対面所椽側に飾りて、参詣の諸人に観せしむ

 室町時代、足利義満の応永6年(1399)には、七夕に花合が行われたという記録があります。
 また、仙洞御所や伏見宮家などでも、七夕に行われていたといいます。これらは七夕法楽とか七夕花合と呼ばれるものです。
 当時、はやりの連歌会などの際に、座敷の飾りとして立花が盛んに行われていました。七夕は五節句のひとつで、供花という意味もあるでしょうが、掛軸をかけて、その前に花瓶を置き花を立て、みんなで見て楽しんでいたのですね。

 のち、七夕に限らず、五節句(元日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)には、花合が行われるようになったようです。

 七夕は、宮中では古くから乞巧奠(きっこうてん)として行われ、のちに民間にも広く流布して、今日まで続いています。
 今回は、ちょっと風変わりな七夕風景をご紹介しました。




 六角堂(頂法寺)

 所在 京都市中京区六角通東洞院西入ル堂之前町
 拝観 境内自由
 交通 地下鉄「烏丸御池」下車、徒歩約5分


 
 【参考文献】
 「都林泉名勝図会」1799年
 西堀一三『日本花道史』創元社、1942年
 小林善帆「たて花」(「日本研究」34、2007年)
 石村貞吉『有職故実』講談社学術文庫、1987年


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