【大学の窓】京都南郊で史跡見学を行いました
|大学の窓|
京田辺市・観音寺を拝観
非常勤で出講している上京大学(仮称)の日本史専攻では、年に2回、史跡の現地見学会を行っています。
歴史を学ぶ上で、文献史料をじっくり読むことはもちろん重要ですが、“歴史の舞台”となった現地を訪れることは同じくらい大切です。
このブログの趣旨も、実はそこにあるのですが、寺社や史跡を自分の眼で見て、よく観察し、考えることが重要です。
上京大学(仮称)の1回生は、春に京田辺市の観音寺とその周辺を訪れ、秋には京都市内の史跡(毎年変わる)を巡ります。
各1日で、物足りない気もするのですが、休日に実施するため、全員で集まるのはこれが限度でしょうか。
今回も、50数名の学生が出席してくれました。
観音寺(京田辺市)
観音寺は、古くは普賢寺と呼ばれた古刹で、ご本尊の十一面観音立像(奈良時代)は、国宝に指定されています。大御堂とも称され、京都南郊にある隠れた名刹です。
毎年、ご住職のご理解をたまわり、ご本尊を拝して、仏教彫刻を専門とする教員が学生にレクチャーします。
境内には、丘上に塔の礎石なども残り、その説明もあります。
「慰霊塔」を見る
私が、いつも学生と一緒に見るのが、こちらです。
観音寺の慰霊塔
「慰霊塔」と刻まれた、背の高い石塔。
実は、少し不思議な点があるものなのです。
まず、正面から。
何と書かれているかから始まり、石塔を見て感じる特徴などを学生に質問していきます。
塔の前に“砲弾形”の石が写っていますが、これは壇上に廻らされた柵です。この石柵には、かつて鎖が付けられていたようなのですが、今ではありません。そのあたりのことも考えます。
そして、側面を見て、そこに刻まれた15字ほどの文字を読みます。
文字は高い場所にあるのでよく見えないのですが、何を書いたものか推理します。
さらに、裏側に回ります。
裏面
裏には、「忠魂碑」という文字が書かれています。
この文字の部分をよく観察していきます。
こんなふうですが、少し不自然さを感じないでしょうか?
これが学生には意外に難しい質問のようです。
こういった Q&A を繰り返しながら、なぜ両面に文字が書かれているのかなど、考察を続けます。
最後に、かつてご住職(年配だったお父さま)にうかがった、この碑の来歴譚を紹介してまとめとします。
この脇にある、もうひとつの石碑も含めて、約20分間、石造物について皆で考えていく授業です。
日露戦争は何年に起こった? と聞かれて、「1904年」と答える学生に、「明治で言うと何年?」と問い直す意地悪な Q&A も含めて(もちろん意味あっての問い掛けですが)、いろいろと考えてもらいます。
私としては、こういう授業をいつもできたら楽しいのですが、カリキュラムの都合もあるので、これを一例として自分自身で現地見学してほしいと思っています。
また来週からは、教室に戻ってグループ研究の再開です。
観音寺
所在 京田辺市普賢寺下大門
拝観 400円
交通 近鉄・JR「三山木」下車、徒歩約30分
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