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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都から比叡山に登る叡山ケーブルは、今年90周年を迎える





叡山ケーブル


 比叡山へはケーブルカーで

 京都盆地の北東にそびえる比叡山。広大な寺域を持つ延暦寺のある山上へ登るには、いくつかの方法があります。

 かつては、もちろん徒歩で雲母(きらら)坂などを登りましたが、この道は今も登山道として残されています。
 一方、戦後のモータリゼーションのなかで、昭和33年(1958)4月に開通した比叡山ドライブウエイを自動車で上がる方法もあります。
 そして、鉄道で登り口までアクセスし、ケーブルカーやロープウェイを使って上ることもできます。

 ケーブルカーは、京都側と滋賀側の双方にあり、それぞれ叡山ケーブル、坂本ケーブルと呼ばれています。今回は、叡山ケーブルを紹介したいと思います。


 叡電「八瀬比叡山口」から

 八瀬比叡山口駅
  八瀬比叡山口駅

 京阪電鉄の終点「出町柳」で、叡山電鉄(叡電)に乗り換えると、15分ほどで「八瀬比叡山口」に行くことができます。
 この駅舎、実に古そうですね。

 八瀬比叡山口駅

 八瀬比叡山口駅

 このトラスの架構など、なんとも言えない工学美を呈しています。

 叡電は昭和60年(1985)に設立された会社なのですが、この路線自体は古く、大正14年(1925)に開通しました。
 つまり、今年で90周年を迎えるわけです。

 当時、この路線は叡山平坦線と通称されていて、出町柳ー八瀬(現・八瀬比叡山口)5.6kmを結ぶ鉄道でした。大正14年9月27日に開通しています。
 もちろん、比叡山へアプローチするために建設されたもので、『京福電気鉄道50年の歩み』には、次のように記されています。

 (前略)当時、京都近郊の交通機関は、国営鉄道(現・JR)を除けば、東に京津電気鉄道(現・京阪京津線)、南に京阪電鉄(現・京阪本線)、西に嵐山電鉄があったが、景勝地と名高い洛北方面にはまったく交通機関がなかった。とりわけ、天台宗総本山延暦寺があり、古来、霊山として名高い比叡山へは、登山道が険しく、屈強の若者でも1日はかかるという状態であったから、京都市民はもとより、京都を訪れる観光客の登山はきわめて困難な状況であった。

 そのため、この方面に鉄道を敷設し、比叡登山を便利にすることは、京都市民の長年にわたる宿願で、明治後期からいくたびか計画された。しかし、山肌の傾斜がきつく、技術的に難しい工事が予測され、膨大な工事費がかかるため、いずれの計画も採算面から挫折していた。(6ページ)


 こんな状況下、計画を実施したのが、当時の京都電灯株式会社でした。
 出町柳から八瀬まで鉄道を敷設し、そこから先は急勾配を上る鋼索線(ケーブルカー)を建設するというものです。
 
 山上からの眺望

 とりわけ、ケーブルカーは難工事でした。
 高低差が日本一の561mもあって、平均勾配が40分の1と急であったこと。国内で初めて、S字のカーブをつけたことなどが要因といいます。
 平坦線を含めた総工費は、500万円。現在との換算は一概には言えませんが、数十億円から百億円といった計算になると思います。

 鋼索線は、西塔橋(現在のケーブル八瀬)と、標高686,5mの四明ケ嶽(現在のケーブル比叡)1.3kmを結びました。平坦線に少し遅れた大正14年12月20日に開通しました。

 なお、経営面ですが、昭和17年(1942)3月に京福電鉄が設立され、この路線を経営することになります。同年8月には鞍馬電鉄を合併します。鞍馬電鉄は、山端(現・宝ヶ池)-鞍馬8.8kmを結ぶ路線で、昭和3年(1928)12月に開業していました。
 この時点で、現在の叡山電車の全路線(といっても2つですが)が、京福電鉄の傘下に入ったということです。

 この平坦線の経営は、昭和61年(1986)からは叡山電鉄に引き継がれましたが、ケーブル線などは現在も京福電鉄の直営となっています。

 まったくの余談ですが、現在の叡電の路線は、出町柳-鞍馬間がメインのように感じられますが、歴史的には八瀬へ至るルートの方が主だったということですね。


 ケーブルカー今昔

 ケーブル八瀬駅
  ケーブル八瀬駅

 今年90周年を迎える叡山ケーブル。
 ここからは、戦前の絵葉書を見ながら今昔比較をしてみましょう。

 叡山ケーブル

 先日(2015年4月)撮影した現在のケーブル車両です。
 戦前は、どうだったかというと……

 「叡山ケーブルカー京都口線路(其ノ二)」 「叡山ケーブルカー京都口車両其一」

 窓は小さいものの、現在と比べても遜色ありませんね。

 「叡山鋼索鉄道四明終点」

 横から見たところ。四明ケ嶽駅に着いた様子です。

 ご存知のように、ケーブルカーは上り下りの2車両が路線の中間点で離合するようになっています。

  叡山ケーブル

 かつては……

  「比叡山ケーブルカー京都口車輪離合所」

 こんな感じですね。撮影アングルが違うので比較しにくいですが。
 建設まもなくなのか、樹木もなく、見晴らし抜群ですね。

 軌道全体の絵葉書もあります(右は現在の車窓から)。

  「叡山ケーブルカー京都口全景」 叡山ケーブル


 大きく逆S字を描いていることが明瞭に分かります。

 「叡山ケーブルカー京都口車両其三」

 横から俯瞰すると、急勾配も見て取れますね。


 山上駅も古い

 平坦線、鋼索線とも、駅舎も古風で見逃せません。
 平坦線の出町柳駅や八瀬比叡山口駅の駅舎も、改造されたりしているものの当初の建築のようです。山上のケーブル比叡駅も、同様と見られます。

 ケーブル比叡駅
  ケーブル比叡駅

 外装はお色直しされていて現代的ですが、柱など細部を見ると明らかに戦前の建築です。

  ケーブル比叡山駅

 戦前の着色絵葉書では……

 「比叡山ケーブルカー四明ケ嶽駅」

 四明ケ嶽駅と言っていた頃の様子。
 白とスカイブルー? のツートンカラーもモダンですね。

 山上からの眺望

 昔も今も、京都市街が一望できます。


 戦前にロープウェイ !?
 
 驚くことに、比叡山には戦前からロープウェイが架設されていました。
 ケーブルの終点から延暦寺まで、谷越えの山道が長かったので、ロープウェイを架け、新道を通して延暦寺へのアクセスを改善したのです。
 
 完成は、昭和3年(1928)10月21日。高祖谷-延暦寺0.6kmです。
 全長は642m、所要4分。総工費30万円。日本初のロープウェイでした。

 「比叡山空中ケーブル進行」

 これが90年近く前にあったのですから、すごいことです。
 絵葉書のタイトルも「比叡山空中ケーブル進行」と、なんだかスゴイですね。

 大正時代から昭和初期にかけて、国内の山岳寺社には数多くの山岳鉄道やケーブルカーが敷設されました。関西でいえば高野山、京都でいえば愛宕山が有名でしょう。
 そのなかで、叡山ケーブルとロープウェイは規模や新規性で群を抜く存在で、絵葉書も誇らしげです。

 ロープウェイは、残念なことに戦時中の昭和19年(1944)に不急不要の施設として撤去されました。

 叡山ロープウェイ
  叡山ロープウェイ

 現在のロープウェイは、戦後、昭和31年(1956)7月5日に復活したもので、四明-比叡山頂0.5kmを結びました。

 霊山の開放というべきか、やはり大正から昭和初期は“大衆の時代”だったということが、ケーブルカーの歴史からも分かります。
 この流れは、戦後加速して、比叡山では山上遊園が開発され、回転展望閣や人工スキー場なども造られていきます。
 
 聖地の静謐性の維持と、宗教の普及という相反することについて、どうバランスを取っていくのか、なかなか難しい問題をはらんでいそうです。


  叡山ケーブル




 叡山ケーブル、ロープウェイ

 所在 京都市左京区上高野東山ほか
 乗車 ケーブル 大人片道540円、ロープウェイ 大人片道310円 ほか
 交通 叡山電車「八瀬比叡山口」下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 『京福電気鉄道50年の歩み』京福電鉄、1993年
 『京阪百年のあゆみ 本文編』京阪電鉄、2011年


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