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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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鞍馬寺にある阿吽の虎像は、超絶的な造形を誇る秀作





鞍馬寺阿吽虎像


 毘沙門天と虎

 京都の北郊にある鞍馬寺。
 出町柳駅から叡山電車で30分。ちょっとした小旅行には最適の地です。最近は、欧米のツーリストがものすごく増えているのも特筆されます。

 この鞍馬寺、伝えによると、平安京が出来た後の延暦15年(796)、王城の北の地に造営されました。
 祀られたのは、毘沙門天。
 四天王でいえば多聞天に当たりますが、北方の守護神です。平安京では、南の羅城門にも毘沙門天を安置したので、南北の守りに毘沙門天を配したということになります。

 その毘沙門天の使いと言われているのが、虎です。
 毘沙門天が寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に出現したためとも言われ、これを祀る寺院には虎の造形が目につきます。

 鞍馬寺金堂
  鞍馬寺本殿金堂

 標高400m余の高みにある鞍馬寺の本殿金堂。
 その脇にも……

 鞍馬寺阿吽虎像

 散り初めの桜とともにたたずむ虎。

 そう、このお堂の左右にも、狛犬の如く一対の虎像が配されているのでした。

 鞍馬寺阿吽虎像
   阿形

 鞍馬寺阿吽虎像
   吽形

 向かって右が、口を開いた阿形(あぎょう)。左が、閉じた吽形(うんぎょう)です。
 仁王さんや狛犬と同様、阿吽(あうん)になっています。


 その造形に瞠目!

 この像は、昭和26年(1951)8月、京都の石田理七郎の寄進によって建てられました。石田理七郎は、戦前には本殿金堂前に銅灯籠一対も奉納しています。
 台座には、「昭和二十六辛卯年八月/奉寄進 京都 石田理七郎/鋳造高尾銅器本店/石匠芳村茂右衛門」と記されています。

  鞍馬寺阿吽虎像  鞍馬寺阿吽虎像

 180cmもある立派な石製の台座に載せられた虎像。像高は、95cmといいます(『守口市史』)。
 
  鞍馬寺阿吽虎像 

 正面から見ると、ごくふつうの獰猛な虎を表しています。
 ところが、これを横から見ると……

 鞍馬寺阿吽虎像

 なんという盛り上がり!
 それも渦巻 !!

 体躯全体が渦巻のように背中へ向かって盛り上がっています。
 しっぽも渦巻。毛に渦巻いている部分も。

  鞍馬寺阿吽虎像  吽形

 背後から観察すると、渦巻が左右にあることも判明。
 巻貝のようにも見えます。

 なんだか、この山の神秘な霊気を表現したようでもあり、特異な虎像といえます。


 作者は、黒岩淡哉

 実は、私がこの虎像に興味を持ったのは、落款からでした。

 鞍馬寺阿吽虎像

 「八十翁/淡哉作(花押)」と立派な字で記されています。

 関西で「淡哉(たんさい)」と言えば、黒岩淡哉かな? と直感しました。
 私のなかで黒岩淡哉は、明治36年(1903)に開催された第五回内国勧業博覧会(大阪)で、会場内の噴水池に楊柳観音像を制作した人物として記憶されています。
 この楊柳観音、写真も残っていますが、塑像で妖艶な観音の姿を表し、足元に童子らを従えている造形。なかなかの力作ですが、博覧会の出品だったので、おそらく会期後に失われたのでしょう。

 調べてみると、淡哉は大正時代に東京から大阪に移住し、昭和初期から没するまでは大阪府守口市にアトリエを構えていました。その詳しい伝記が『守口市史』に掲載されています。

 鞍馬寺の虎像に「八十翁」とあるので、気になるのは生年月日です。
 『守口市史』によると、明治5年(1872)生まれとあります。虎像は1951年制作ですから、ちょうど80歳ですね。やはり黒岩淡哉作でした。
 

 淡作の履歴

 黒岩淡哉について詳細にまとめたものは少ないようなので、ここで『守口市史』によって、その履歴を紹介しておきましょう。

 黒岩淡哉(くろいわたんさい)は、本名・高木倉吉。明治5年(1872)2月8日、東京・芝に生まれました。のち黒岩家に養子として入り、二松学舎を卒業後、明治22年(1889)、東京美術学校に入学します。彫刻(木彫)を学び、明治27年(1894)卒業。いくつかの職を経て、明治31年(1898)、東京美術学校の彫刻科助手兼教務掛となります。

 明治33年(1900)、パリ万博に「子守」を出品、見事金牌を得ました。鋳銅製、子守の女性の半身像だったそうです。
 大正3年(1914)には、東京美術学校から、大阪府立職工学校に出向しました。昭和5年(1930)に、勲六等瑞宝章を受けています。還暦の昭和6年(1931)、同校を退職しました。
 守口市には、昭和11年(1936)の少し前頃に移住し、亡くなる昭和38年(1963)3月1日までここで過ごしたということです。

 主な作品に、普賢菩薩像(昭和5年、四天王寺)、蓮如上人像(昭和9年、山科)、楠木正行像(昭和12年、飯盛山)、芭蕉像(昭和32年、高野山普賢院)、菅原道真像(昭和33年、福岡・水田天満宮)などがあります。

 淡哉は無口な人だったそうですが、この虎像は彼の内に秘めた気迫を雄弁に物語っているように思えます。
 余り知られた彫刻家ではないのですが、この虎を見ると、他の作品にも興味が湧いてきます。


  鞍馬寺の桜




 鞍馬寺

 所在 京都市左京区鞍馬本町
 拝観 大人300円ほか
 交通 叡山電車「鞍馬」下車、金堂までは徒歩約30分(ケーブルあり)



 【参考文献】
 『守口市史 本文編 4』守口市、2000年


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