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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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比叡山延暦寺の高僧・元三大師は、京都でも広い信仰を集めてきた

洛東




尊勝院


 元三大師・良源という僧

 平安時代、天台宗の高僧に良源という人がいました。諡号は、慈恵(じえ)大師、生まれは延喜12年といいますから、912年のこと。
 没したのは、永観3年(985)ですが、正月3日に亡くなったため、「元三(がんざん)」大師という呼び名も生まれ、その後、庶民の間ではこの呼称が通用することになります。

 天台宗のトップ・天台座主(ざす)となり、延暦寺の伽藍を整備して、叡山中興の祖ともいわれます。一方で、僧兵を用いた初めの人とされたり、いやそれを統制しようとしたのだという評価もあったりさまざまですが、当時は山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の対立が激化し、各勢力が衝突していた時代ですから、比叡山にも“剛腕”が求められていたのでしょう。

 良源は、宗派の運営においても指導力を発揮したのですが、同時に“法力”も強い僧として知られています。
 たぶんに伝説的な話ですが、宮中で祈祷をしている最中、その姿が不動明王に変わったと言われ、その験力の強さが伝えられています。


 京都で信仰される元三大師

 このような良源の存在は、没後、比叡山でも崇められ、さらに山を下って都の宮中でも信奉されました。
 寿永元年(1182)、妹・八条院の瘧(おこり)病の祈祷を行った後白河院は、その布施として、「慈恵僧正の五鈷(ごこ)」(または「劔」)を受け取ったといいます(「玉葉」「吉記」寿永元年7月1日条)。「五鈷」は密教法具の一種、劔も同様と考えてよいでしょう。
 すでに良源没後200年が経っていますが、その法具が(良源が使ったものかどうかは別にして)、上皇の祈祷の布施とされているところが、彼の法力が信じられていたことの証しとも言えるでしょう。

 時代は下って、良源への信仰は、都の人々にも広がっていきます。
 江戸時代にもなれば、京都の町中に「元三大師」をお祀りするお堂がいくつも建ったのです。

 盧山寺
  廬山寺 元三大師堂

 例えば、京都御所の東にある廬山寺(ろざんじ)。
 節分会で有名ですが、この寺は、もとは良源が船岡山の南麓に開いたといわれています。天正年間になり、秀吉の都市改造で寺町の現在地に移転してきました。
 いま門を入ると、正面に元三大師堂が立っています。当寺における元三大師の重要性がうかがえます。
 護摩壇のある暗い堂内には、元三大師像などが祀られています。

 このお堂自体は、天明の大火(1788年)で焼失した後、天保6年(1835)に再建されたものです。
 前には石灯籠が立っています。

  盧山寺 盧山寺

 正面に「元三大師拝前」、側面に「安永九庚子年/正月三日/御戸帳講中」とあって、「再建世話人」として近江屋藤兵衛ら3名の名前が刻まれています。
 安永9年というと1780年ですから、天明の大火の前から立っているものということでしょう。
 「正月三日」というところが、元三大師らしい建立月日というわけです。

 「都名所図会」より廬山寺
  「都名所図会」より廬山寺


 東山の尊勝院にも

 円山公園の北には、知恩院や青蓮院といった寺院がありますが、青蓮院の東方に尊勝院というお寺があります。
 こちらにも元三大師が祀られています。

 尊勝院
  尊勝院への道

 青蓮院の北側の道(三条通の1本南の道)を東に進むと、左手に小学校のグラウンドがありますが、右手に写真の道標が現れます。
 「元三大師」とズバリの道しるべですが、文化2年(1805)に建てられたものです。
 道なりに進み、粟田山荘の前を左折すると石段になり、上るとお堂が見えてきます。

  尊勝院

 少し長い道でしたが、尊勝院です。

 尊勝院
  尊勝院 本堂(京都市指定文化財)

 眼下に、京都の街が見渡せます。

 尊勝院

 尊勝院は青蓮院に属する天台宗の寺院です。写真の本堂が、元三大師堂になります。
 文禄年間(1592-96)、秀吉により再建されたお堂といいます。建築様式からみても、桃山時代のものとしてよさそうで、京都市の指定文化財となっています。
 幕末頃の様子は、「花洛名勝図会」(1864年)に描かれています。

 「花洛名勝図会」より尊勝院元三大師堂
  「花洛名勝図会」より尊勝院元三大師堂

 さまざまな小祠があり、信仰のオンパレードという感じの場所ですね。一番上に「元三大師」と書かれ、入母屋造の堂宇が描かれています。
 本文には、「元三大師 座像二尺余自作南面大師と号す」とあります。2尺(約60㎝)ばかりの大師の座像(大師が自分で彫ったもの)があり、南を向いているということですね。

 上の絵を見ると、建物は平入りの入母屋造のようで、前に拝所が付いているように見受けられます。「都名所図会」(1780年)には拝所は描かれていませんので、その後、数十年の間に参拝者も増え、拝所が造られたのでしょう。
 確かに、図では右上が南になりますから、南面大師という称もうなずけます。

 いまは、この図の場所からは移動しているということです(大正4年=1915年、現在地に移築)。


 失われた元三大師堂も……

 かつては存在したけれど、現在ではなくなってしまった元三大師堂もあります。

 「花洛名勝図会」より祇園社元三大師堂
  「花洛名勝図会」より祇園社

 この図は、同じ「花洛名勝図会」(1864年)から、祇園社(八坂神社)の部分図です。
 左端の「西楼門」が、四条通の突き当りにある朱塗りの門ですね。ここをくぐって、やや左前方に進むと、元三大師堂があります。後ろに見えるのは、絵馬堂。
 宝形造の方三間くらいの小さなお堂ですね。そういえば、尊勝院のお堂も、当初は宝形造だったそうです(『京都市の文化財』)。

 祇園社は、10世紀より延暦寺に帰属することになったので、天台座主・元三大師のお堂があるのも不思議ではありません。
 「花洛名勝図会」の本文には、「元三大師堂 薬師堂の北にあり。本尊大師の像二尺余、脇士不動尊、如意輪尊、又北の方に歓喜天を安す」と記されています。ここでも、元三大師像は2尺ほどの像なのです。
 ただ、このお堂も近代になって廃絶してしまいました。

 さらに、現在では参拝できない寺院となっていますが、上京区の般舟院(はんじゅういん、般舟三昧院)に元三大師堂がありました。
 「都名所図会」には、門の脇にお堂が描かれています。

 「都名所図会」より般舟院
  「都名所図会」より般舟院

 ちなみに、貞享2年(1685)に出版された「京羽二重(はぶたえ)」には、観音、地蔵、弁天、不動など、さまざまな験仏が上げられており、その中に「元三大師」もあります。4か所上がっており、

 比叡山  横川[よかわ]飯室
 粟田口  尊勝院
 寺 町  盧山寺
 須磨町通大宮の西  般舟院


 が、元三大師を祀る寺院として紹介されています。

 そんなわけで、たいへんな験力によって後世の人々からも広く信心された元三大師。
 彼の話になると、その「お札」について触れないわけにはいきませんが、長くなりますので次回の続きとしましょう。

【 この項、続く 】




 尊勝院

 所在 京都市東山区粟田口三条坊町東部
 拝観 境内自由
 交通 地下鉄「東山」下車、徒歩約15分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 「花洛名勝図会」1864年
 「京羽二重」(新修京都叢書)
 「玉葉」
 「吉記」(増補史料大成)
 『京都市の文化財 第14集』京都市文化市民局、1997年
 『元三大師良源-比叡山中興の祖』大津市歴史博物館、2010年
 寺島典人「良源像のイメージと姿について」(『美術フォーラム21』22号、2010年所収)
 衣川 仁『僧兵=祈りと暴力の力』講談社選書メチエ、2010年


【お知らせ】
 3月27日(金)、NHK総合「ブラタモリ~京都・完全版~」に出演します。22時~23時08分のオンエアです。
 1月に放映された「ブラタモリ 京都」で、時間の都合によりカットされた映像も含めて、拡大版として再編集されました。ぜひご覧ください。

 

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