10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

本阿弥光悦の作庭という本法寺「巴の庭」は、なかなか巴が探せない難解さ





巴の庭


 中世京都の日蓮宗隆盛

 京都の寺院には、さまざまな宗派の本山が数多くあります。
 こう言われたとき、東西の本願寺に代表される浄土真宗や、知恩院を本山とする浄土宗、さらには五山を筆頭とする臨済宗が思い浮かぶでしょう。また、東寺や醍醐寺の真言宗や比叡山延暦寺の天台宗など、密教をイメージする方もおられるかも知れません。
 そんな中、京都のお寺と言われて、日蓮宗を想起される方は少ないのではないでしょうか。

 ところが、室町時代から戦国時代にかけて、京の町衆の間では、日蓮宗(法華宗)が広く信仰されていました。その勢力は21か寺の本山を持つほどに広まり、他宗と衝突。ついに天文5年(1536)の天文法華の乱で京都退去を余儀なくされ、その後、帰洛するものの往時の勢いを失いました。

 法華宗の拡大には、精力的に布教につとめた僧たちの存在があったわけですが、その中でも迫害されながらも布教を行った僧に日親がいます。
 彼が開いた寺が本法寺です。
 現在は堀川寺之内上ルにあり、これは豊臣秀吉の都市改造に際して、寺院が集積された地区(寺之内)に移転させられたものです。
 この付近には、妙顕寺、妙覚寺、妙蓮寺、本隆寺など、日蓮宗寺院が集まっています。


 裏千家・表千家の向いにある本法寺

 本法寺
  本法寺

 堀川寺之内を上がったところ、正確に言うと、堀川通より1本東にある小川通に山門を開く本法寺。
 通りの向いには、茶道の家元・裏千家と表千家が並んでいます。この山門の左手にはいつも警備員さんが立っていて少々物々しいのですが、茶道具店なども並ぶ界隈はひっそりとした雰囲気です。

 本法寺は、江戸時代の天明の大火(1788年)で、ほとんどの建物を焼失しました。これは他の寺院と同様で、現在の伽藍はそれ以後に整備されたものです。

 「都名所図会」より「本法寺」
  天明の大火前の本法寺(「都名所図会」巻1)

 「都名所図会」は、安永9年(1780)に刊行されているので、この図は大火直前の姿になります。
 中央の広場に向かって、本堂、開山堂(祖師堂)、多宝塔などが並ぶ形は、日蓮宗寺院らしい配置です。
 本堂の北側には、渡り廊で結ばれた方丈があります。
 画面下の川(小川)に架けられた橋を渡ると門があり、さらに楼門が聳えます。その右手には、いくつかの子院があります。
 現在、楼門前の小さな門はありませんが、ほぼ天明の大火前の伽藍配置が今日も引き継がれています。

  本法寺 本法寺多宝塔

 
 光悦の作った「巴」のある庭

 日本史の教科書に、江戸時代、京都・鷹峯に“芸術村”を作ったとして紹介されている人物が、本阿弥光悦です。
 彼が出た京都の町衆・本阿弥家は、法華宗の信者で、本法寺の大檀那でした。
 そのため、当寺の庭も光悦によった作られたといわれています。

 巴の庭
  巴の庭

 書院の縁の北端から眺めた写真です。
 左右に広がる庭は、L字に曲がり、書院の南側へと回り込んでいます。一目で見渡すことはできませんし、現在は南の部分には渡り廊下が架けられています。

 そこで、江戸時代の絵図を見てみましょう。「都林泉名勝図会」(1799年)です。
 寛政11年(1799)に出された本ですから、光悦の没後160年ほど経っているわけで、作庭当初の様子とは異なっているかも知れませんね。

 「都林泉名勝図会」より「本法寺」
  本法寺「巴の庭」(「都林泉名勝図会」巻1坤)
 
 なんとなく左右に真っ直ぐ広がっている庭のように見えますが、実際にはL字形(上図では「ヘ」形)に曲がっているわけです。
 名所図会らしく、上空から俯瞰した図になっていて、実際に縁に座ってみると、このように眺めることはできません。

 本文には、「林泉は光悦の作にして、世に三巴[みつどもえ]の庭と賞す。其形、築山、泉石共に浪の紋を模す」とあります。
 図中には「巴の庭」と記されていますが、本文は「三巴の庭」。

  左三巴
  左三巴(『紋之泉』より)

 これは、三巴の紋のように巴が絡まりあっている「三巴」とも解せますが、巴が3つ庭中にあるという意味にも取れます。図を見ると、3つの巴が点在していると解釈する方がよいような気がします。

 「都林泉名勝図会」より「本法寺」

 例えば、ここですね。
 左上から右に向かって、キツネのしっぽ? のような形が見えるでしょう。これが巴というわけです。
 いま現地で見ると、うまく分からないのですが、図会ではきっちり描かれています。

 おそらく、L字の庭の両端と屈折点の3か所に巴形が配されているのではないでしょうか。

 北端近くにも、キツネのしっぽみたいな巴形が見えます。

 「都林泉名勝図会」より「本法寺」

 現地で確認すると、こんなふうです。

 巴の庭

 まったく分からないのですが、絵と同じような石があります。

 「都林泉名勝図会」より「本法寺」

 そして、屈曲部分に配された枯山水の滝と石橋。
 こちらは現在でも、この通り。

 巴の庭

 こんな感じなのですが、図会ではこの部分がクロワッサンのような形? になっており、“これが巴なのでは?”と思わせます。
 なにか判じ物みたいな、難解な庭ですね。


 モダンな蓮池の造形

 この庭を特徴付ける存在に、奇妙な形の蓮池があります。

 「都林泉名勝図会」より「本法寺」

 現在の姿。

 巴の庭

 10本の細長い切石を組み、池を形作っています。何角形とも言い難い、珍しい池です。
 白幡洋三郎氏は、次のように述べています。

 さて本法寺の庭園は、きわめて特徴的な池をもっている。幅およそ15センチメートル、長さ7、80センチから1.5メートルの切石10個で取囲み、護岸としている。円形に近い不等辺の十角形がつくられているのである。
 その池の左方に半月形の板石を2枚合わせて円形の置石がつくられている。
 一般に日本庭園といわれているものにはみられない斬新、もしくはモダンなデザインの造形ができあがっているのである。(『都林泉名勝図会』講談社学術文庫版、271ページ)


 確かに、他に類をみない池です。
 私が訪ねたのは冬の一日だったので、蓮は枯れていて、ぽっかりと池がうがたれているだけでした。

 ただ、左にある2枚の半月形の石は、「都林泉名勝図会」には現れていません。いつ置かれたものなのか、詳らかにしません。

 最後に、図会には、下のような手水鉢(ちょうずばち)が描かれています。

 巴の庭

 光悦遺愛の手水鉢と言われています。
 これもおもしろい形だと思うのですが、私はせっかくの名物を見逃してしまったのでした。やはり、先達はあらまほしき事なり、というところでしょうか。



 本法寺 巴の庭 (国名勝)

 所在 京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町
 拝観 大人500円ほか (境内は自由)
 交通 市バス「堀川寺之内」下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 「都林泉名勝図会」1799年
 『都林泉名勝図会 上下』講談社学術文庫、1999-2000年(白幡洋三郎監修)
 『紋の泉』洛東書院、1926年
 

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント