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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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嵯峨・清凉寺の釈迦如来は奥深い (その2)

洛西




清凉寺の栴檀瑞像扁額


 嵯峨のお釈迦さん、江戸にくだる!

 お寺の経営は、いつの時代もたいへんです。とりわけ、立派な伽藍を持つ寺院は、火災後の新築はもちろんのこと、修繕だけでも莫大な経費がかかります。江戸時代の初めは、幕府の援助によって整備された寺院も多々ありますが、次第にそれもなくなり、諸寺は自らの才覚で金銭を集め、経営に腐心することになります。

 そのお金集めで、最も短期に多額を集めることができたのが「開帳」でした。
 開帳とは、秘仏の特別公開です。自分のお寺で厨子を開けて見せる「居開帳」と、京・大坂・江戸などの大都市へ仏さまを“出張”させて公開する「出開帳」がありました。
 
 今回は、嵯峨・清凉寺の釈迦如来像が、はるばる江戸に下って出開帳をしたという話題にスポットを当ててみましょう。


 江戸の出開帳

 比留間尚氏の研究によると、江戸では17世紀半ばから幕末までの200年余りのあいだに、1,500回以上の開帳が行われたそうです。そのうち、居開帳は824回、出開帳は741回だったといいます。
 その741回の出開帳、つまり地方からの出張のうち、最も多かったお寺はどこでしょうか?

 第1位は、成田山新勝寺の12回です。つづく第2位が、わが清凉寺で10回、第3位が下総の法華経寺(日蓮宗で鬼子母神で有名)の9回だったそうです。
 ちなみに、京都の寺社で他に多かったのは、北野の天神さんが6回、清水寺が5回(奥の院を含む)、本国寺5回、妙満寺・青蓮院・真如堂が各3回などとなっています。

 江戸っ子にとって楽しみな“出開帳ベスト4”は、信濃の善光寺如来、嵯峨の釈迦如来、成田山のお不動さん、そして身延山(久遠寺)の日蓮上人だったとか。
 清凉寺の釈迦如来は、回数も多く人気も高く、江戸でも誰もが知っている有名な存在だったのです。

清凉寺門標 「三国伝来 釈迦如来」 清凉寺仁王門前にて


 移動もひと苦労!

 清凉寺の釈迦如来の出開帳は、初回(元禄13年=1700、護国寺)を除いて、すべて本所の回向院で開催されました。回向院は、特定の宗派に属さない無縁仏を供養する寺院で、各宗派の開帳が行いやすい寺でした。盛り場である両国の広小路にも近く、出開帳の好適地です。のべ166回も出開帳が行われており、ダントツの回数を誇りました。

 清凉寺の出開帳の行われた年を、まとめておきましょう。

   1.元禄13年(1700)
   2.享保18年(1733)
   3.明和 7年(1770)
   4.天明 5年(1785)
   5.享和元年(1801)
   6.文化 7年(1810)
   7.文政 2年(1819)
   8.天保 7年(1836)
   9.嘉永元年(1848)
   10.万延元年(1860)

 なぜか、だいたいが夏の暑い時期(旧暦の6月~8月)に60日、あるいは80日、開催されています。「参詣も開帳仏も汗をかき」という川柳があるくらいです。

 さて、お釈迦さんが江戸に下るルートは、どのようだったのでしょうか。さそかし、東海道を一直線、あるいは船で、と思いきや、そこにも意外なアイデアが!

 ここでは享和元年(1801)のルートを見てみると……(以下は、海原亮氏の詳細な研究による)

清凉寺釈迦如来の江戸行ルート
  海原亮「嵯峨清凉寺釈尊の江戸出開帳と住友」より

 地図のように、京都を出発してから北陸を回り、信濃の善光寺を経て、八王子から神奈川、江戸へと入っています。その間、なんと2か月!
 途中で、お釈迦さまを開帳しながら進んだのです。確かに、ただ運ぶだけではもったいない、道筋でも喜捨を集めよう、というわけでしょう。

 ところが、進むうちに、だんだん6月15日から始まる江戸出開帳に間に合わなくなりそうな気配になってきます。近道(地図の予定ルート2)を取ろうとも考えたのですがうまく行かず、最後は多摩川が川止め !! 結局、江戸の回向院に入ったのは、開帳予定日の6月15日の夜でした!

 こんなにタイトな予定を組んでも、開帳しながら進むのですから、喜捨を集める熱意も、なかなかのものがあったようです。


 出開帳の収支報告

 回向院では、本堂で開帳するわけではなく、特別に「開帳場」という仮設建物を造って開帳しました。桁行が18間(実長、約32m)という、かなり大きな仮堂です。中にはお釈迦さまを据える須弥壇を置き、霊宝を公開する「霊宝場」も作りました。
 外には、2か所の手水場や3か所の焼香場を設け、最も肝心な寄付を受け付ける「奉加場」を4か所建設し、賽銭箱も作りました。
 また、参詣者に売る“グッズ”類も準備。お釈迦さまの由来を印刷した「縁起」や、お姿を刷った「御影」などを十分に用意して、副収入も確保します。

 こんなふうに、江戸出開帳は収入もたくさん見込めるのですが、支出も多く、その差引が利益となりました。
 では、利益はいったいいくらだったのか?

 享保18年(1733)の場合、およそ金2,500両もの利益が上がったといいます。現在の貨幣価値にしてどのくらいかは明確にはいえないわけですが、およそ数千万円から数億円と考えてよいでしょう。
 初回の元禄13年(1700)は金6,000両以上もあったといいますから、かなり目減りしているものの、結構優秀な成績です。
 19世紀になると、金700両~1,200両程度に減りますが、赤字になることはなかったようで、出開帳の効果が実感されます。
 出開帳の実務は、清凉寺の場合、同寺を菩提寺とした住友家が担当していました。お寺だけではなかなかこれだけの大仕事はできず、住友家の経済的・実務的な助力に依存していたわけです。

 海原亮氏の優れた論文を読みながら、ふと思ったことがあります。
 清凉寺本堂の前に、こんな天水桶があるのですが、

清凉寺

清凉寺

 台の石には「京都 大阪 銅鉄釘元問屋講中」と刻まれています。住友家といえば銅の精錬、輸出で財を成した家柄です。この台石は近代のものでしょうが、奉納した講も、もしかすると住友関係だったのでは? と想像したりするのでした。


清凉寺手水鉢 手水鉢




 清凉寺(嵯峨釈迦堂)

 *所在:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町
 *拝観:境内自由 ※ただし、本堂400円、経蔵100円など
 *交通:市バス嵯峨釈迦堂前下車



 【参考文献】
 比留間尚「江戸の開帳」(『江戸町人の研究』2、吉川弘文館、1973年)
 海原 亮「嵯峨清凉寺釈尊の江戸出開帳と住友」(「住友史料館報」第36号、2005年)
 『[縮刷版]江戸学事典』弘文堂、1994年


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コメント

出開帳について

はじめまして私は成田山新勝寺の江戸時代の出開帳は11回と思われますが。12回の記述を見てあと一回は何時どこで実施したのかお教えいただければ幸いです。
開 帳 の 記 録
回 貫   首 年  代 開帳種別 場  所
 1 中興第 1世 照範 元禄14年 (1701年) 1居開帳 自 寺
 2 中興第 1世 照範 元禄16年 (1703年) 1出開帳 深川永代寺八幡宮社寺  
 3 中興第 1世 照範 享保 6年 (1721年) 巡行開帳 下総国ほか
 4 中興第 2世 快盛 享保11年 (1726年) 巡行開帳 常陸・下野国ほか
 5 中興第 3世 照朝 享保18年 (1733年) 2出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
 6 中興第 5世 照峰 宝暦 元年 (1751年) 巡行開帳 江戸府内ほか
 7 中興第 5世 照峰 宝暦12年 (1763年) 3出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
 8 中興第 5世 照峰 明和 元年 (1764年) 巡行開帳 常陸・武蔵国ほか
 9 中興第 6世 照乗 寛政 元年 (1789年) 4出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
10 中興第 7世 照誉 文化 3年 (1806年) 5出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
11 中興第 7世 照誉 文化 4年 (1807年) 2居開帳 自 寺
12 中興第 7世 照誉 文化 6年 (1809年) 6出開帳 匝瑳郡八日市場見徳寺
13 中興第 7世 照誉 文化11年 (1814年) 7出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
14 中興第 7世 照誉 文化12年 (1815年) 3居開帳 自 寺
15 中興第 8世 照胤 文政 4年 (1821年) 8出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
16 中興第 8世 照胤 文政 5年 (1822年) 4居開帳 自 寺
17 中興第 9世 照融 天保 4年 (1833年) 9出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
18 中興第 9世 照融 天保 6年 (1835年) 5居開帳 自 寺
19 中興第10世 照阿 天保13年 (1842年) 10出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
20 中興第10世 照阿 天保15年 (1844年) 6居開帳 自 寺
21 中興第11世 照嶽 安政 2年 (1855年) 7居開帳 自 寺
22 中興第11世 照嶽 安政 3年 (1856年) 11出開帳 深川永代寺八幡宮社寺
23 中興第11世 照嶽 安政 4年 (1857年) 8居開帳 自 寺

Re: 出開帳について

井上 様

御教示ありがとうございます。御礼申し上げます。
本文中に記しましたように、比留間尚氏「江戸の開帳」(『江戸町人の研究2』所収)にもとづいた数字で、同書373ページに、新勝寺が12回の出開帳を行った旨、記されております。
ただし、御教示いただいたものと、比留間氏のものとは、かなり食い違っております。
下に、比留間氏のものを転記します。

元禄16(永代寺)、宝永2(永代寺)、享保18(永代寺)、宝暦元(平井澄明寺)、宝暦12(永代寺)、寛政元(永代寺)、文化3(永代寺)、文化11(永代寺)、文政4(永代寺)、天保4(永代寺)、天保13(永代寺)、安政3(永代寺)

以上の通りで、かなり齟齬があるようです。理由などお分かりになれば御教示いただければと存じます。
取り急ぎ御礼まで。
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