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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都市内の現存最古の道しるべは、三条通・白川橋のたもとにある

洛東




白川橋道標


 文化財としての道しるべ

 今回は、道標、すなわち道しるべのお話です。

 昔の街道を歩いていると、各所で道しるべに出会いますね。京都だと、町なかにも道しるべが残っています。
 どこにどんな道しるべがあるかは、自治体や研究者が調査していますが、全国でいくつあるのか、ちょっと想像が付きませんね。

 今回、まず思ったのが、国指定文化財の道標はあるのか? という疑問。
 あとでふれますが、道しるべは美術品などではなくて、「史跡」の範疇に入るようなので、国史跡の道しるべはあるのか? を探してみることにしました。

  兵庫・中山寺付近の道標 路傍の道しるべ(兵庫・中山寺付近)

 文化庁の「国指定文化財等データベース」で検索してみました。
 
 すると、結果はゼロ件。
 どうやら、国指定の道しるべ(道標)は、ないようなのです(探し方が悪くて見落としていたら、すみません)。

 ただ、それに類似したものは、史跡指定されています。
 例えば、町石(ちょういし、丁石)。
 寺社への参詣道に立っている距離表示の石柱です。これは、高野山町石など4件が国の史跡になっています。
 これなどは、道しるべに最も似た存在といえるでしょう。

  鞍馬寺町石 町石の例(鞍馬寺)

 別のものでは、一里塚があります。東海道など、主要な街道に設置された“マイルストーン”的な土盛りですね。こちらは、16件が国の史跡になっていてポピュラーなようですが、道標とは少々掛け離れています。


 古い道標は?

 道しるべは、不特定多数の人々が旅をするから建てられるものでしょう。そのため、江戸時代より前には、そんなにたくさん作られたとは思えません。
 ふだん路傍で見掛ける道標も、多くは江戸後期か、明治時代以降のものです。

 京都の道しるべについて早くから調査を行っていた出雲路敬直氏は、1970年代に各種の報告書などを参照して、全国で最も古い道標は万治4年(1661)のものであると述べています(神奈川県藤沢市の道標)。
 つまり、江戸時代よりも古い道標は報告されていないということでした。

 もちろん、現在ではそれよりも古い道しるべが数多く発見されています。
 例えば、大阪の道標については、武藤善一郎氏が労作『大阪の街道と道標』(1988年)にまとめています。
 それによると、大阪府内の場合、現存最古の道しるべは宝徳3年(1451)のもので、亀岡市の穴太寺へ向かう巡礼道に建てられたものといいます。場所は、高槻市内ですが山の中です。
 次に古いのが、天文元年(1532)の道標で、大阪市福島区の春日神社にあります。
 ただ、江戸時代までのものは、この2つだけ。江戸時代に入っても、17世紀のものは僅か13基にすぎません(調査総数は685基です)。
 今日でも、江戸時代より古い道しるべは、依然珍しいといえるでしょう。


 京都市内で最古の道しるべ

 では、京都市内の道しるべは、どんなものが残っているのでしょうか?
 出雲路敬直氏は、約400基の道しるべを調べたと著書に記しているので、少なくともその程度の数はあるのでしょう。
 これらのうち重要なものは、京都市によって史跡に登録されています(冒頭にも述べたように、道標は「史跡」に属するようです)。
 昭和62年(1987)5月に、次の5つが登録されています。

 ・今出川通寺町東入表町(大原口)道標(慶応4年=1868)
 ・北白川西町道標(嘉永2年=1849)
 ・吉田本町道標(宝永6年=1709)
 ・三条通白川橋東入五軒町(三条白川橋)道標(延宝6年=1678)
 ・御陵中内町(五条別れ)道標(宝永4年=1707)

 大原口道標
  大原口道標

 いずれも立派な道しるべで、建立年が分かっています。建てた人の名前や、作った石工の名が判明するものもあります。
 京都市の史跡となった道標は、それ以後はありませんので、この5件のみです。

 5つのうち、最も古いのが、延宝6年(1678)に建てられた三条通白川橋東入五軒町(三条白川橋)道標です。
 白川に架かる白川橋の東南の橋詰にあります。

 白川橋
  白川橋

 白川橋道標
  白川橋道標

 『京都市の文化財 第五集』に記載されている白川橋道標の特徴を引いておきましょう。

 延宝6年(1678)の年号をもち、良質の花崗岩に彫られた文字にはほとんど損傷が無く、市内最古の道標としての風格をそなえています。
 東海道を京都にやってきた人々を対象に建てられたもので、建立目的や建立意図も知ることができます。また、初期の道標の姿を知るうえで大変貴重なものです。(37ページ)


 いまから約340年前に建立された道しるべ。どんな文字が刻まれているのでしょうか?

  白川橋道標
  北面

 まず、北側の面。
 ひときわ大きな文字で、「三条通白川橋」と大書されています。三条通が白川を越えるところに架けられた白川橋。その位置を示しています。

  白川橋道標
  東面

 東側には、「是ゟ[より]ひだり/ちおんゐんぎおんきよ水みち」。流麗な文字ですが、一文字ずつ丁寧に書かれていて、「是」と「水」以外は平仮名です。
 漢字にすると、“是(これ)より左/知恩院・祇園・清水道」。この道標を左へ、つまり南に曲がって白川に沿って進むと、知恩院、祇園、清水寺に至るという意味です。

  白川橋道標
  南面

 南面には、「京都為無案内旅人立之」とあって、その下に、

  白川橋道標

 「延宝六戊午三月吉日/施主/為二世安楽」と記されています。

 京都に不案内な旅人のために建てたということが、道しるべ自身に彫られているのです。
 建てた人の名前は記されていないものの、現世と来世(二世)の安楽を願う、その心が示されています。古風な、また仏教的な言い回しですが、大変興味深いですね。

 残る西面なのですが、ここには文言は刻まれていません。

 「花洛名勝図会」より「白川橋」
  幕末の白川橋(「花洛名勝図会」巻2、1864年より)
  左上に「大津海道」、右上に「知恩院道」とあり、
  ここが分岐点だと分かる


 文面から見えてくること
  
 この道しるべの特徴は、まず、方面の表示が東面にしかないことです。
 多くの道標は、“左 ○○、右 ○○”のように各方面の行先表示がしてあります。出雲路敬直氏は、「この道標には「三条白川橋」という現在地が示されているけれども「東海道」とか「江戸」とかいう文字を見ることはできない」と述べています(『京のしるべ石』148ページ)。
 お分かりのように、この道標は東からやってくる人、つまり東海道を下って大津方面から京に来る旅人のために建てられた道標なのです。だから、京都から東へ向かう人のための表示は必要ない、ということになります。

 その方面表示は、知恩院、祇園、清水寺を示しています。
 この場所は東海道の路上ですが、まっすぐ行くと約800mで三条大橋です。このことをあえて記す必要もありません。
 ところが、白川に沿って南へ分岐する道があり、ここを通ると知恩院などへ早道になるのです。知恩院の古門前には約350m。さらに進むと祇園、これは八坂神社を意味するのだと思いますが、そこへ通じ、さらに清水寺に至ることができます。実に親切な位置に建てられた道しるべといえるでしょう。

 白川
  白川に沿って進むと知恩院に至る

 また、文字がほとんど平仮名なのは、多くの人に読める配慮をしたのでしょう。昔の人は耳で聞いて覚えることが多いでしょうから、「知恩院」などと書くより「ちおんゐん」とした方が分かりやすいということです。

 そして、この道しるべを建てること、つまり道案内をすることが、現世と来世の安楽につながるという考えが記されています。ひとを助けることが功徳になるというわけです。昔の人たちの考え方を知る上で、とても大切です。
 このような道しるべが文化財とみなされて、現地で大事に残されているということは大変うれしいですね。
 



 三条白川橋道標 (京都市史跡)

 所在 京都市東山区三条通白川橋東入五軒町
 見学 自由
 交通 地下鉄「東山」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1864年
 出雲路敬直『京のしるべ石』泰流社、1975年
 『京都市の文化財-京都市指定・登録文化財 第五集-』京都市文化観光局、1988年
 武藤善一郎『大阪の街道と道標』サンケイ新聞生活情報センター、1988年


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