08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
MENU

NEW ARRIVAL

PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

80年余り前の京都の大学を振り返ってみる

洛東




京都府立医科大学


 受験のシーズン

 いまや「共通一次試験」などという言葉も死語になりましたが、私などは完全に共通一次世代に属します。
 現在の大学入試センター試験の開始前に、共通一次試験という統一テストが行われていました。1979年に始まり1989年まで11回実施されたそうです。私も、そのうちの1回を受験したことがあるわけです。不思議なことに、今となっては受験会場がどこだったかさえ満足に思い出せない、そんな遠い昔のことです。

 昨今も受験制度の改革が話題になっていますが、明治時代の帝国大学に始まって、大正8年(1919)の大学令施行、そして戦後へと、日本の大学は連綿と続いてきたのでした。


 京都の旧制大学

 戦前、いわゆる旧制大学は、京都には6校ありました。
 京都帝国大学、京都府立医科大学、同志社大学、大谷大学、龍谷大学、立命館大学です。
 京都帝大以外の5校は、大学令以降に「大学」となりました。同志社が大正9年(1920)、府立医大が大正10年(1921)、大谷、龍谷、立命館が大正11年(1922)です。

 今回は、昭和3年(1928)に刊行された『京都名勝誌』に掲載された各大学の写真を紹介しながら、『大京都誌』(昭和7年=1932)の本文などにより、各校をスケッチしてみたいと思います。

 京都帝国大学
  京都帝国大学

 時計台のある建物は、現在も健在の京都帝国大学(現京都大学)。
 近代建築に関心のある向きからすると、京都帝大の校舎のいくつかは、教授だった武田五一の設計にかかり、そのため少々地味な色彩を帯びています。

 『大京都誌』には、学部学科の紹介とともに、文学部の「図書館及び陳列館」、医学部附属の「病院」や、花山の「天文台」、大阪・高槻の「農園」もあげられていて、施設の充実が強調されています。


 仏教系の大学

 神社仏閣の多い京都のこと、大学にもその香りがするのは当然。とりわけ、仏教系の大学は多数あります。
 旧制大学としてあったのは、龍谷大学、大谷大学ですが、専門学校としていくつかの学校がありました。ここでいう「専門学校」は現在のそれとは異なり、戦後、新制の大学になっていくものです。
 『京都名勝誌』があげる昭和初期の代表的な専門学校は、

  臨済宗大学
  仏教専門学校
  京都専門学校

 があります。
 現在の何大学か分かりますか?

 臨済宗大学は、臨済宗妙心寺派が設置した専門学校。つまり、現在の花園大学です。
 仏教専門学校は、浄土宗により置かれた学校で、いまは佛教大学となっています。
 京都専門学校は、宗教らしからぬ名前ですけれど、真言宗の各寺が共に設置した学校で、戦後、種智院大学になりました。学校法人名は、空海以来の由緒ある綜芸種智院ですね。

 大正時代に大学に昇格した龍谷と大谷。
 
 龍谷大学
  龍谷大学

 龍谷大学は、大学になる前には「仏教大学」とか「仏教専門大学」と称していました。現在の佛教大学とは全く関係ないのですが、ちょっと紛らわしいネーミング。大正11年(1922)に大学となった際、「龍谷」の名を付けました。

 と書くと、「龍谷」ってなに? という疑問が湧きますよね。
 大学のウェブサイトには、次のように記されています。

 大学の校名は、本願寺の山号である「龍谷」に由来します。
 親鸞聖人の廟地「大谷」を漢字にあてた「豅」(訓はオオタニ)を分かち書きにしたものです。
 大正7年に発令された大学令にもとづき、同11年、文部省に昇格の申請をしましたが、その際、大学は宗教・宗派の名称を付してはならないことになり、従来の「仏教大学」の名称を急に改める必要が生じたので、熟考の上、さだめたもので、新制大学においてもこれを継承しました。

 
 なるほど。西本願寺の山号「龍谷山」に由来していたわけです。浄土真宗でも西本願寺の方の大学が、龍谷大学。大宮キャンパスも西本願寺に隣接していますしね。

 それにしても、「豅」(ロウ、谷へんに龍)という漢字があったことが驚きですが、その偏と旁を引っ繰り返したものなんですね、龍谷は。

 「仏教大学の名称を急に改める」云々についてですが、大学令の条文には校名のことは触れられていません。国から宗教教育を控えるようにとの指示が出ていたので、その関係もあって、校名もそうなっていったのでしょう。
 
 大谷大学
  大谷大学

 大谷大学は、さほど大きくありませんが、龍谷同様に老舗です。こちらは、東本願寺が開いた大学。
 大正時代から、現在地(烏丸北大路)にあって、当時のことですから郊外に広いキャンパスを確保していたわけです。
 『大京都誌』には、「洛北烏丸頭に広汎な地域を占め、その宏壮雄麗なる赤煉瓦の建築は、宛かも教祖親鸞聖人の至誠を如実化せるに似ている」と述べています。

 こちらは、大谷大学と称する前には、「真宗大学」とか「真宗大谷大学」と言っていました。特に後者は分かりやすいネーミングでしたね。

 ということで、京都の仏教系の大学は、戦前には龍谷、大谷がありました。専門学校としては、先にあげたもののほか西山専門学校(西山浄土宗の系統、現京都西山短大)や京都女子専門学校(西本願寺の系統、現京都女子大)や光華女子専門学校(東本願寺の系統、現京都光華女子大学)などがありました。

 禅宗でも曹洞宗はないけれど、これは東京に駒澤大学がありました。日蓮宗もないですが、これも東京に立正大学がありました。京都は、やはり浄土宗、浄土真宗の学校が多かったわけです。


 広小路の立命館、そして府立医大
 
 京都御所の東側、清和院門外に広小路通という通りがあります。立命館は、戦前は御所と河原町通に挟まれたこの広小路にキャンパスがありました。府立医大の向かいですね。

 立命館大学
  立命館大学

 写真の校舎は存心館といい、前の道路が広小路通です。連続するアーチ窓が美しいですね。
 衣笠キャンパスに移転したのは、昭和56年(1981)だそうですから、80年間、広小路でやっていたわけです。現在、いくつかの校舎は売却され、転用されています。

 河原町通を挟んだ東には、京都府立医科大学。

 京都府立医科大学
  京都府立医科大学

 ずいぶん古そうな木造校舎ですね。
 すでに明治13年(1880)には、梶井門跡の跡地だった現在地に移転しています。
 いま戦前の附属図書館の建物が残されていますが、あとは最新の病院施設に建て直されました。


 キリスト教系の同志社大学

 同志社大学は、明治8年(1885)の開設ですから、歴史があります。創立者の新島襄と妻・八重、兄の山本覚馬は、大河ドラマで有名になりました。
 京都御所の北、相国寺門前にキャンパスを整備し、明治20年代に煉瓦造の校舎を建築していきます。

 同志社大学
  同志社大学

 クラーク記念館(塔のある建物)やハリス理化学館など、米国人の名を付した校舎が多いのは、それが彼らの寄付によるものだからです。
 明治から大正にかけての建築5棟が重要文化財に指定されています。大学キャンパスで重文が5棟もあるのは、おそらくここだけでしょう。寄付されたものは壊しにくい、という法則が働いている気がします。

 戦前の京都の大学。
 帝大、医大、仏教系、キリスト教系など、バラエティーに富んでいて京都らしいですね。




 京都大学

 所在 京都市左京区吉田本町
 見学 時計台記念館など一部公開
 交通 市バス「京大正門前」下車、すぐ



 【参考文献】
 『京都名勝誌』京都市、1928年
 『大京都誌』東亜通信社、1932年


スポンサーサイト

コメント

非公開コメント