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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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愛らしい牛の石像がある菅大臣神社は、学問の神さま・菅原道真の生誕地とされている





菅大臣社


 道真の生誕地は?

 学問の神さまとして知られる菅原道真(845-903)。
 道真を祀った北野天満宮(上京区)は、このお正月も初詣の人たちで賑わっていました。

 北野天満宮
  北野天満宮(2014年1月撮影)

 ところで、みなさんは「菅原道真がどこで生まれたか?」について考えたことはありますか。まあ、多くの参拝者にとっては余り関係のない話なのですが、今日はそれについて紹介してみましょう。

 上京区にある菅原院天満宮。名前からして、ゆかりの神社らしいですね。
 御所の西側、烏丸丸太町上ルにあります。平安女学院の隣接地です。

 菅原院天満宮
  菅原院天満宮

  こちらには、道真が産湯を使ったと伝えられる井戸があります。

 菅原院天満宮
  菅公産湯の井戸

 なぜ、ここが生誕地とされるかというと、道真の父・是善(これよし)の邸があった場所だからです。
 是善(812-880)は、文章博士などを務めた漢学者で、ここに彼の居宅「菅原院」がありました。いま神社の名前が「菅原院」天満宮となっているのは、そのためですね。

  菅原院天満宮 菅家邸址碑

 昭和13年(1938)に京都市教育会によって邸跡を示す碑が建てられています。


 別の場所にも“生誕地”が? 

 ところが、歴史とは厄介なもので、他の場所にも道真の生誕地といわれるところがあるのです。 

 京都には、彼の生誕地とされる場所が複数あって、上の菅原院天満宮(上京区)のほか、菅大臣(かんだいじん)神社(下京区)、吉祥院天満宮(南区)などがあります。
 これらはいずれも、菅家ゆかりの地で、京都の旧市街にあるのは菅原院天満宮と菅大臣神社です。

 菅大臣神社は、下京区の西洞院高辻上ルにあります。
 ビジネスの中心地・四条烏丸から、南西の方角です。ちなみに高辻(たかつじ)通は、“四・綾・仏・高”というわらべ歌の詞の通り、四条通-綾小路通-仏光寺通-高辻通と下がったところですね。

 四条烏丸から行く場合、仏光寺通を歩いて尋ねるのがおすすめです。なぜなら、仏光寺通の北側にも由縁の地があるからです。

 紅梅殿

 この場所は、菅大臣神社から道を挟んだ北側なのですが、先程と同じ「菅家邸址」の碑が建っています。
 こちらも、昭和13年に建てられたものですが、よく見ると、さらに「紅梅殿」と刻んであります。
 ここには、かつて道真の邸宅「紅梅殿」があり、お邸から廊下続きに書斎があって、「菅家廊下」の名で知られていました。
 この路地の奥に、小社が祀られています。

 紅梅殿
  北菅大臣神社(紅梅殿跡)

 額や提灯にも「紅梅殿」と記され、そう呼ばれているようですが、社号は北菅大臣神社というそうです。

 勘のよい方は、“紅梅があったら白梅もあるのでは?”と思われましたか。
 そう、白梅殿もあったのです、この南に。


 白梅殿跡には菅大臣神社

 この「白梅殿」が父・是善の邸宅であったと伝えられ、そのために道真の誕生地だといわれています。
 こちらにも昭和13年に邸跡の建碑がなされ、また生誕地の碑も建てられています。

  菅大臣社 「天満宮降誕之地」碑

 西の鳥居と北の鳥居の脇に、同じ碑が建っています(写真は西側=西洞院側)。
 裏面に、「明治八年六月再建」とありますから、明治8年(1875)に建ったものですが、「再建」なのでそれ以前にも同様のものがあったということでしょう。となると、江戸時代からここが道真生誕地だと喧伝されていたことになりますね。
 黒川道祐の『雍州府志』(1686年)の「菅大臣の社」の項にも、「是れ則ち菅神降誕の地なり。故に、社を建てて之を祭る」と記されています(厳密には紅梅殿の故地を「降誕の地」と考えているような記載です)。


 境内をめぐる

 菅大臣神社は、広い境内を持っています。まず、江戸時代の「都名所図会」(1780年)を見てみましょう。

 「都名所図会」より菅大臣社
  「都名所図会」巻1

 画面の左が北です。
 少なくとも、北と西に鳥居があったことが分かります。これは現在と同じですね(位置は違うようですが)。
 
 一番下の道路は、西洞院通です。しかし、よく見ると川が流れていますね。これが、今はなき西洞院川です。

 「都名所図会」より菅大臣社
  西洞院川

 石段で川に降りられるようになっていて、川の中や川端で何やら作業をしています。
 染物をしているのです。「西洞院/染物屋のてい」と書かれています。
 西洞院川は、染物をする川として知られていて、付近には多くの染物屋がありました。明治37年(1904)に暗渠化されたそうです。
 本文では触れていない、こういう風俗を描き込んでいるところが、「都名所図会」の隠れた愉しさですね。

 菅大臣社

 西洞院通の鳥居です。この先に参道が続いています。

 菅大臣社

 現在の社殿。西向きです。
 流造の本殿は見えていませんが、明治2年(1869)に下鴨神社から移築したそうで、幣殿なども近代の建築です。
 
 天神さんですので、もちろん牛の石像がたくさんあります。江戸後期のもの(天保年間)もありますが、可愛らしいのは手水舎の牛でしょう。

 菅大臣社

 手水鉢の後ろに鎮座しています(笑) テーブルのような台に載っていて、置き方も秀逸ですね。明治時代のもののようです。

 菅大臣社

 ちなみに、この上に掲げられている絵馬も、絵「馬」ならぬ絵「牛」でした。
 
 菅大臣社


 道真生誕の痕跡

 境内を見て回ると、西参道に3m位はありそうな大きな石碑がありました。

 菅大臣社
  
 題額には、単に「彰徳碑」と書かれています。内容を読んでみると(大意です)、
 
 菅公没後千年(明治35年=1902)を迎え、その後、社格も府社に昇格したので、拝殿や廻廊を増築し、神池や神園の拡張を行い、また摂末社の改修や社務所の新築を行った。このことは「白梅講」(信者たちの団体)が多額の寄付をして成ったものである。

 およそ、こんなことが書かれています。明治41年(1908)に白梅講が建てた碑です。
 さらに裏面を見てみると、びっしりと氏名が刻まれており、500人ほどの講員たちがいた(そして寄付した)ようなのです。これが壮観で、この神社が多くの人たちに信心されていたことがうかがえます。

 そして、肝心の道真生誕を示す痕跡が、ここにもあったのでした。
 それが、菅原院天満宮と同じく、井戸だったのです!

  菅大臣社 誕生水

 玉垣に囲まれた井戸が見えますね。背後には石碑があって、「天満宮誕生水」と記されています。やはり、産湯を使った井戸なのでしょう。
 こちらは社殿の南側にあるのですが、柵に囲まれた内にあるので近寄ることはできません。

 それにしても、市内に2か所も産湯を使った井戸があるとは……
 近代人の合理的思考によると、どっちが本当なの! と、邪念が沸き起こってしまいます。

 私は、どちらも本当と思っておけばよいと考えるのですが、そうもいかないので宗教文化史の専門家で天神信仰に詳しい竹居明男教授の解説を引用しておきたいと思います。

 [菅原院天満宮の]南面する本殿の傍らに「菅公産湯の井戸」があり、道真生誕の地と伝える。
 ちなみに、このほかにも道真生誕の地と伝える場所は少なからずあるが、当時の慣例として、道真は母方(母は「伴氏」とのみしか伝わらない)の家で出生したと考えられるので、結局は不明としか言いようがないようである。(『大学的京都ガイド』44-45ページ)


 なーんだ、という結論で、すみません。
 でも、この問題、おもしろそうなので、もう少し考えてみたいと思います。




 菅大臣神社

 所在 京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町
 拝観 境内自由
 交通 地下鉄「四条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 黒川道祐『雍州府志(上)』岩波文庫、2002年
 同志社大学京都観学研究会編『大学的京都ガイド-こだわりの歩き方』昭和堂、2012年


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