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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

いにしえのシネマパラダイス・新京極、帝国館跡の裏を抜けると、そこには…





ダイアモンドビル


 新京極のダイアモンドビルは、元はお寺

 京都の目抜き通り・四条通と三条通を結ぶ新京極。
 約550mある繁華なアーケード街で、観光客や修学旅行生相手の土産物店や若者向けのショップが立ち並んでいます。

 ここは、かつては劇場、さらには映画館が林立する興行街でした。私が学生だった20、30年前も、まだまだ多くの映画館が建っていたものです。それが今ではシネコンのMOVIX京都だけになってしまいました。

 新京極の南端、四条通から約150m上がったところに、ダイアモンドビルというファッションビルがあります。

 ダイアモンドビル
  ダイアモンドビル

 古くはダイアモンド靴店という靴屋さんで、昭和47年(1972)から営業されているそうです。小さな店舗が多い新京極では、大きなビルの商店として早い方だったと記憶します。
 広い敷地であることから想像されるように、ここがダイアモンド靴店になる前は、京都日活という映画館でした(昭和20年~)。この館は、戦前には帝国館という名で興行していました(大正2年~)。

 さらにさかのぼると、かつてこの場所には、了蓮寺という寺院があったのです。
 このあたりは、新京極が出来る前、つまり江戸時代は寺町ですから、お寺が立ち並んでいました。南の四条通から北の蛸薬師通まで、金蓮寺(四条道場)、歓喜光寺、了蓮寺、錦天満宮、善長寺(くさがみさん)、安養寺(さかれんげ)というふうに並んでいました。

 了蓮寺は、明治22年(1889)の火災で堂宇を失い、明治末年になって、本山である百万遍・知恩寺内に移転しました。そのあとに劇場、映画館が建設されたわけです。


 吉本興業「花月」の跡地

 ダイアモンドビルの北に隣接して、京都吉本ビルがあります。ここにはかつて、吉本興業の劇場「花月(京都花月)」がありました。

 京都吉本ビル
  京都吉本ビル・パッサージュ

 花月は、昭和9年(1934)にオープンし、戦後も続きましたが、昭和62年(1987)に閉館しました。そのあとに、現在のビルが建設されたのです。
 このビルの1階奥にはアウトドアショップ・モンベルがあり、私も時折利用します。


  ナゾの細道

 このあたりを先日、戦前の地図を片手に散歩していました。
 昭和9年(1934)6月に発行された「京極と其[その]附近案内」。新京極を中心に、寺町通や裏寺町、河原町通や四条通の店舗名を記載している地図です。

 現在のダイアモンドビルの場所には、当時、帝国館がありました。
 その北には、田毎そば、左馬雑貨、大黒屋そば、ハマヤ帽子と並び、その北が立江地蔵尊(くさがみさん)でした。
 
 地図をよく見ると、田毎そばと帝国館の間に、新京極から東に入って行く、逆L字に曲がった路地が描かれています。

 附近図 (手書き略図で恐縮です)
  昭和9年の帝国館(現ダイアモンドビル)附近図

 路地を入ると、奥に中座という劇場があり、そこで道は南に折れて、すし屋や食堂、バー、興業組合の事務所など10軒足らずが並んでいます。ちなみに、中座はこのあと花月になったそうです。
 そして、路地はその先、中央館(中央電気館)という映画館の脇を通って、第二京極へと抜けていきます。

 こんな路地あった? 

 不思議に思って、現地で考えました。

 京都吉本ビル

 どこに路地があるのか?
 思い切って吉本ビルに入って行くと、前にはモンベルの入り口が見えます。

 京都吉本ビル

 さらに、進むと……

 京都吉本ビル

 モンベルの脇に通路があり、その先が明るく光っています。
 そうか!

 京都吉本ビル

 突き当たって右を見ると、ビルの外の空間が見えてきたのです。

 そう、このビル内の通路こそ、カギ形に曲がった、かつての路地の痕跡だったのです。

 外には、2人の男性が座って話をしています。果たして、ここはどこなのか?

 新京極公園

 なんと、そこは、いつも見慣れた新京極公園なのでした。
 ふだんは南側からばかり見ている公園を今日は北から見ているのです。

 新京極公園

 吉本ビルの出口を南から見たところ。自販機の左が出入り口です。
 当時は、右側の自転車置き場のあたりに中座があり、京極興業組合の事務所があり、遊技場や食堂があったのです。
 また左側には、すし屋やバー、遊技場が並んでいました。
 それが、今ではすっかり公園になっているのです。

 新京極公園
  新京極公園(南側から望む) ビルはダイアモンドビル

 上の写真には、ダイアモンドビルが大きく写っていますが、左側には錦天満宮の本殿(背面)が見えています。
 かつて、その手前あたりには、中央館という老舗の映画館がありました。
 そして、その向い(南側)には、通りを挟んで八千代館があったのです。

 旧八千代館(WEGO)
  旧八千代館(WEGO)

 八千代館は、少し前まで映画館として営業されていましたが、今はファッション関係のショップ・WEGOです。
 ここは、明治末に開かれた「第二京極」でした。
 ところが、太平洋戦争中の建物疎開で、中央館やその東にあった杵屋食堂などが取り壊され、空地になったのでした。それが現在の新京極公園です。
 そのため、細く曲がった路地も完全に姿を消したのでした。

 第二京極
  第二京極(写真奥が新京極)

 思えば、吉本ビルには「パッサージュ」という愛称が付いていますが、この言葉はパリなどにあるアーケード付きの通りを意味します。それはもしかすると、いま私が通ってきたビル内の小径を指しているのかも知れず、さらには戦前ここにあった小さな路地の暗喩なのかも知れません。

 いつも歩いている新京極にも、まだまだ知らないところがあるものです。




 ダイアモンドビル、京都吉本ビル・パッサージュ

 所在 京都市中京区四条通新京極上ル東側町
 見学 商店として営業されています。通路は通り抜け可
 交通 阪急電車「河原町」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「京極と其附近案内」、市民風景社、1934年
 「京都市劇場史略図」(『近代歌舞伎年表 京都篇 7』所収)
 田中紅緑『新京極今昔話 その一』京を語る会、1959年
 柴田勝『京都新京極映画常設館の変遷』私家版、1971年
 大槻洋二「日本近代都市における歓楽街の成立と展開に関する史的研究」九州芸術工科大学博士論文、1998年


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