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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都の西国三十三所(6) - 三室戸寺 その3 -

宇治




三室戸寺本堂



 「講」でお参り

 かつて、寺社への参拝は「講」を組んで行うことが多かったのです。最も著名なものは、お伊勢参りの伊勢講ですが、会費(旅費)を積み立てて、毎年代表者がお参りに行く(代参)スタイルをとることが一般的でした。

 西国三十三所の信仰にも、講があります。たとえば、第二十六番・中山寺へ行くと、境内の玉垣や石碑などに数多くの講名が刻まれています。傘講、元蝋燭講、永代講、安産講など無数の講が組織され、大きな講には「支部」もあったりして、とても盛んだったのです。
 中山寺の講は大阪のものが多かったようで、大阪からは5~6里(20~24km)程の距離ですから、代参という大仰な形をとらず、みんなでお参り(総参り、惣参り)したのでしょう。

 ここ三室戸寺でも、同じように講による信仰がありました。

三室戸寺

 お寺への入口の手前(駐車場の脇)に、このような石碑が立っています。石碑の中央には、「観世音出現渕」と書いてあります。これは、三室戸寺の観音さんが川の淵から取り上げられたという縁起にちなんだものです。
 その左には、「いわま/石山/ちか道」と、十二番・十三番の道案内があります。
 そして、右には、「大阪 三室講」と刻まれています。
 明治25年(1892)の建碑ですが、遠く離れた大阪に三室戸観音を信心する講があったことがわかります。

 石段を上って本堂前に至ると、手水舎があります。

三室戸寺

 これは手水鉢。上の水盤は蓮弁の形をしていますが、胴の部分に「大阪福寿講」と刻まれています。昭和に入ってからのものですが、こちらも大阪の講が奉納したものです。


 額を奉納する

三室戸寺本堂

 本堂へお参りして上を見ると、多くの額が奉献されているのが目に付きます。
 そのなかに、再び「大阪福寿講」の額を見ることができます。

三室戸寺

 時期ははっきりしないのですが、明治時代くらいでしょうか、講で納めた額が掛けられています。
 額には、次のように書かれています。


      大阪福寿講     講元 加茂屋禎七
    
  奉納 千手観世音菩薩    世話人 銭谷与平治
                    (ほか15名)

                世話元 奴 定吉
                    播磨屋嘉蔵
                    京屋彌兵衛
  
 金文字で記された立派な額です。講元の加茂屋禎七は、いわばこの講の代表者であり、世話人の16名がこの額を奉納する事業の実際のお世話した人達なのでしょう。世話元は、この額をお寺に奉納する際の仲立ちをした人達でしょうか。
 福寿講のメンバーが何名かは定かではありませんが、おそらくは数百名もいて、大阪でお金を集めて額を作り、こうして奉献したものでしょう。

三室戸寺おみくじ奉納額

 おみくじを奉納した人達もいました。
 額は「御鬮[みくじ]奉納」と題され、明治34年(1901)10月、大阪の森本伝兵衛を発起人として、86名が出資しておみくじを作り、奉納したのでした。女性も6名います。特に講名は記されていませんが、講の一種と捉えてよいでしょう。
 この額は、おみくじを奉納した印に掲げたものです。


 ご開帳にあわせて奉納

 ところで、三室戸寺の御本尊千手観音像は秘仏です。先頃2009年に御開帳がありましたが(花山院千年忌に各寺で開帳)、その前は84年さかのぼった大正14年(1925)でした。
 三室戸寺のホームページに過去の詳しい開帳記録が掲載されています。
  *ホームページは、こちら ⇒ 三室戸寺ホームページ
 
 それによると、記録上わかる範囲で、次の年に御開帳があったそうです。

  延徳元年(1489年)
  慶長16年(1610年)
  寛永16年(1639年)
  万治 2年(1659年)
  元禄 2年(1689年)
  正徳 4年(1717年)
  享保 5年(1720年)
  元文元年(1736年)
  寛延元年(1748年)
  宝暦元年(1751年)
  明和元年(1764年)
  明和 6年(1769年)
  安永元年(1772年)
  天明元年(1781年)
  文政元年(1818年)
  安政 3年(1856年)
  明治22年(1889年)
  大正14年(1925年)
  平成21年(2009年)

 18世紀には頻繁に御開帳が行われていますが(9回)、これは天皇即位の際に御開帳されていたためのようで、年表的にみると、桜町・桃園・後桜町・後桃園・光格・仁孝天皇の即位後に行われている様子がうかがえます。

三室戸寺御詠歌

 この額、三室戸寺の御詠歌「夜もすがら月を三室戸わけゆけば 宇治の川瀬に立つは白波」が記されているのですが、よく見ると額の下端に「開帳紀念」と書いてあります。
 右端には「大正拾四[14]年四月調」とあり、大正14年(1925)の御開帳にあわせて奉献されたものだとわかります。
 大阪朝日講と、これも大阪の講で、講元は永田吉松、世話係が鵜鷹春夫ほか4名、そして尼講として乾ふさほか9名の名前があります。なかには、鵜鷹春夫の妻でしょうか、鵜鷹まつという名も見えます。尼講は、今でいうと「女性部」ということになるでしょう。額を作った額師は、穂積誠進と記されています。

 御詠歌の額を奉納して掲げることは西国三十三所の札所ではよく行われますが、これは明治22年(1889)から36年ぶりの御開帳での奉納です。納めた人達も、明治の開帳のときは子供だったかも知れません。三室戸寺ホームページには御開帳時の写真が掲載されていますが、現在のように蓮池もなかったようで、本堂前に立錐の余地がないほど善男善女が詰め掛けています。

 ≪ いま自分は御開帳にやって来たけれども、明治の御開帳のときは亡くなった父母がこの観音さまを信心していたのだなぁ ≫ という感慨を抱いた人もいたかも知れません。
 そんな想像をしながら、額に記された一人ひとりの名前を見ていると、ひとつのことを永らく守り続ける尊さと、信心することの有り難さが伝わってきます。




 三室戸寺

 *所在 宇治市菟道滋賀谷
 *拝観 大人500円ほか (宝物殿は毎月17日公開、300円)
 *交通 京阪宇治線三室戸駅より、徒歩約15分



 【参考文献】
 浅野清編『西国三十三所霊場寺院の総合的研究』中央公論美術出版、1990年




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