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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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一遍上人と和泉式部が時空を超えてめぐり合う新京極の誓願寺には、芸道精進を願う扇塚がある





扇塚


 謡ゆかりの名所旧跡

 京都の街を歩いていると、謡(うたい)との出会いを頻繁に経験します。
 神社を訪れると、謡の奉納が行われたことを示す額が掲げられているのを数多く見掛けます。
 また、謡の題材となった人物や場所にしばしば巡り合います。謡曲史跡保存会による解説板も、よく目にしますね。

 それらに接するたびに、ストーリーや背景を確認して勉強していきます。

 先日来、誓願寺を訪れる機会が多いのですが、この門前にも謡曲「誓願寺」の説明板が立てられています。

 誓願寺
  誓願寺


 謡曲「誓願寺」のあらすじ

 謡曲「誓願寺」のあらすじを紹介しておきましょう(大意です)。

 紀州・熊野に参籠した一遍上人は、諸国で「六十万人決定往生」の御札を配るようにという霊夢を得て、都へと上ります。
 誓願寺に着いて札を配り始めると、多くの人々が集まってきました。

 その中に一人の女性が現れ、上人に問い掛けます。

 女「この御札を見ると、『六十万人決定往生』と書かれていますが、六十万人より他の人は、往生できないのでしょうか」

 と、不審がります。

 上人「これは、熊野の夢想にあった四句の文の頭文字を取って、札に書きつけたものです」

 女「さて、その四句の文というのは、どういう文句なのですか」

 上人「それは『六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離一遍証 人中上々妙好華』の四句の一文字目を取って『六十万人』と書いているのです。どうして往生できる人数を決めるなどということをしましょうか」

 女「それはうれしい。人数とは関係なく、南無阿弥陀仏と唱えれば皆往生できるのですね」

 いつのまにか夕月が上り、夜の念仏となった。
 女性がまた上人に話し掛けます。

 女「お堂に『誓願寺』と書いている額を懸けていますが、上人が手づから書かれた『南無阿弥陀仏』という文字の額に懸け替えていただけないでしょうか」

 上人「これは不思議なことを言われる。『誓願寺』の額をはずして『南無阿弥陀仏』の名号に替えるとは、思いもよらないことです」

 女「いや、これもご本尊のお告げだとお考えください」

 上人「ご本尊のお告げとは、あなたはいったいどこにお住まいの方ですか」

 女「私の住みかは、あの石塔でございます」

 上人「これまた不思議なこと、その石塔は和泉式部のお墓と聞いておりますが、そこにお住まいとは不審なことです」

 女「そのようにお疑いにならないでください。私も昔はこの寺に縁があって住んでいたのですから」

 と、女性は言って、「偽りはありません、私こそが和泉式部なのです」と告げて、石塔の蔭に消えてしまった。

 上人が額を懸け替えると、あたりに異香が漂って音楽が聞こえてきた。和泉式部は仏果を得て、極楽の歌舞の菩薩となったのである。式部は、誓願寺の由来を語りながら、舞い踊るのであった。


 この話は、この寺の縁起を記した「洛陽誓願寺縁起」にも記されています。


 一遍上人の賦算

 時宗の開祖・一遍上人が、各地でお札を配る「賦算(ふさん)」を行ったことは、よく知られています。
 京都でも、この誓願寺の近くに、こんな碑が立っていますね。

  染殿院 染殿院の碑

 「時宗開祖 一遍上人 念仏賦算遺跡」と刻まれています。
 新京極の入り口(四条通側)にある染殿院の前に建てられています。かつて「釈迦堂」(四条道場)で一遍が賦算したことを示すものです。

 一遍が配った札には、「南無阿弥陀仏」という六字の名号と、「決定往生六十万人」という字句が刷られていました。
 人々に札を配って、南無阿弥陀仏と唱えれば救われます、と伝えたわけです。

 そこで、謡曲「誓願寺」です。
 なぞの女性が現れて、上人に「六十万人以外は往生できないんですか?」と、少し変わった疑問を投げかけたのです。ちょっとクレームみたいな感じにも聞こえます。
 しかし考えてみれば、「決定往生六十万人」と書いてあれば、“限定60万人様”と受け取って当然ですよね。
 それに対して、上人は「違います」と言い切って、4句からなる偈(げ)の頭文字を取ったものだと説明します。
 
 意外な展開なのですが、この謡曲が出来た頃(室町時代)には、こんな疑問が多く抱かれていて、それを解説する意味があったのかも知れませんね。


 和泉式部の石塔は誠心院に

 女性はさらに、「『誓願寺』と書かれた額を『南無阿弥陀仏』に代えてよ」と懇願します。
 そこで上人は、自ら筆でしたためた六字名号の額に懸け替えます。まあ、すぐに額が出来るのか!? という点はさておき、今でも誓願寺に行くと、本堂に「南無阿弥陀仏」の額が掲げられています。

 ストーリーが進むにつれて、この女性が和泉式部だと分かってきます。それも、石塔の下に住んでいるという、ちょっとホラーな展開!

 和泉式部といえば、王朝文学で有名な平安時代、10世紀後半から11世紀前半にかけての人物です。
 一方、一遍上人は、鎌倉時代、13世紀の僧。
 両者が生きた時代には、250年ほどの開きがあります。

 その二人が、誓願寺でご対面とは!
 実に奇想天外で、どうしても和泉式部は幽霊? でなければなりません。
 
 話に登場する式部の石塔は、誓願寺の南にある誠心院に残されています。

 和泉式部石塔

 立派な宝篋印塔で、現在は綺麗に整備され、自由に参拝できます。

 もともと誓願寺と誠心院は、上京区の元誓願寺通小川にあり、天正年間、秀吉が寺町を作った際に、ここに移転してきました。
 江戸時代の「都名所図会」(1780年)を見ると、すでに和泉式部の石塔が描かれています。

 「都名所図会」より「泉式部」
  「誠心院」「泉式部塔」とある(「都名所図会」巻1)
 
 江戸時代から、この石塔が有名で、人々がお詣りしていたことがうかがえます。


 柳田国男と和泉式部伝説

 そうすると、和泉式部のお墓はここなんだ、と考えるわけですが、事態は少々複雑です。
 実は、“和泉式部の墓”と称するものは、全国に数十も残っているというのです!

 『日本架空伝承人名事典』には、「式部の誕生地と伝える所は岩手県から佐賀県まで数十カ所に及び、墓の数もそれに劣らない」と書かれています。そもそも、架空人名事典に出てくるところが凄くて、ナゾに満ちた女性だということが分かります。

 この、いわゆる和泉式部伝説について、幅広く考察したのが民俗学の先駆者・柳田国男でした。
 柳田の「女性と民間伝承」という論文は、和泉式部をめぐるナゾについて延々と、かつ広範囲に考察を展開しています。ここでその全体を紹介することはできないのですが、重要な指摘に、式部の説話は旅する女性たちが語り広めたということがあります。
 とりわけ「歌比丘尼(熊野比丘尼)」といった旅する女性宗教者が、全国をめぐって「歌にして聴かせた物語」の中に、和泉式部の話もあったのでしょう。
 こういった熊野にゆかりのある比丘尼の拠点のひとつが誓願寺であったと考えられます。根井浄氏は、次のように述べています。

 時衆が式部説話に関与したことは、熊野権現が女人参詣を忌避しないことを説いた「晴れやらぬ身のむき雲のたなびきて、月のさはりとなるぞかなしき」という式部の歌と「もろともに塵にまじはる神なれば、月のさはりもなにかくるしき」という熊野権現との歌問答を唱導したところに早く示されている。
 したがって誓願寺に式部の話を持ち込んだのは、時衆化した熊野山伏や比丘尼であったと考えられ、式部説話の背景に熊野信仰があることが注意されよう。
 このように誓願寺には熊野系の時衆が多く集まり、式部説話が全国に弘まってゆく拠点であったことが確認される。



 芸道精進の扇塚

 和泉式部伝説は、追究し始めるとエンドレスになりそうなのですが、謡曲「誓願寺」のラストに、式部が歌舞の菩薩と化して舞い踊るくだりがあります。
 この部分が、江戸時代になって舞踊家たちに信仰され、扇の奉納などが行われるようになったといいます。
 現在でも、本堂に絵馬ならぬ扇が納められています。

 誓願寺

 やはり芸道精進の願いです。

 そして、山門を入って右側には、扇塚が。

 扇塚
  扇塚

 五輪塔に扇形が彫られています。
 扇の供養塔といったところでしょうか。
 
 和泉式部と一遍上人の意外な出会い。
 そして、その伝説を広めた女性宗教者たち。
 このような語り物の拠点となった誓願寺が、現在の新京極を生み出すカギになったことは、実に興味深く思われます。


  新京極




 誓願寺 (扇塚)

 所在 京都市中京区新京極通三条下ル桜之町
 拝観 境内自由
 交通 京阪電車「三条」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 柳田国男「女性と民間伝承」(『定本柳田国男全集 8』筑摩書房、1962年 所収)
 根井浄「廻国の比丘尼」(『仏教民俗学大系 2』名著出版、1986年 所収)
 『日本架空伝承人名事典』平凡社、1986年
 「誓願寺」(『新日本古典文学大系 57 謡曲百番』岩波書店、1998年 所収)
 「洛陽誓願寺縁起」(『続群書類従 27上』所収)
 「都名所図会」1780年


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