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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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お百度参りは、祈願の個人化によって誕生した

洛西




梅宮大社


 この棒は?

 先日、松尾大社(京都市西京区)を訪れた際、拝殿の前にこんな木の箱が置かれていることに気付きました。

 松尾大社

 なかをのぞきこんで見ると、

 松尾大社

 竹の棒が、無造作にたくさん入れられていました。

 これは、いったい何なのか?

 貼り紙には、こう記してあります。
 「お願い  御千度串入れに付、古神札等を入れないで下さい」

 お千度串。

 つまり、千度参りをするとき、何回拝礼したかを数えるための串(棒)なのです。

 松尾大社
  松尾大社


 百度参りと千度参り

 そのあと、桂川を渡って、梅宮大社に参拝しました。

 梅宮大社
  梅宮大社

 すると、こちらには拝殿の右側に、このような場所がありました。

 梅宮大社

 ふたつの石の間が石畳になっています。
 向こうの石には「百度石」と彫られていますので、ここを往復して百度参りをするということのようです。

 手前の石には、

梅宮大社

 このような札が。
 百度参り用の「こより」は、社務所で100本100円で売られている旨が記され、「従来の竹串」は手水舎の後ろにあると書かれています。

 そこで手水舎に行ってみました。
 すると、ありました。

 梅宮大社

 「お百度参り竹串在中/ここへ古札やごみを入れないで下さい」と書かれています。

梅宮大社

 なかには竹串が入っていて、小分けに結えてあります。

 松尾大社は千度参り、梅宮大社は百度参り。
 回数は違いますが、近くの神社だけに細かいところは似ていますね。

 江戸時代の人も、お百度やお千度を踏んだわけですが、絵で見てみましょう。

 「花洛名勝図会」より頂妙寺
 「花洛名勝図会」(1865年)より「頂妙寺二天門」

 これは、洛東にある頂妙寺の仁王門(二天門)のようすを幕末に描いたものです。
 門に祀られた持国天と多聞天が広く信仰を集めていたので、人々が時計回りに門を回って参拝しています。

 「花洛名勝図会」より頂妙寺

 拡大すると、左の女性は右手に「こより」を持っています。これで回数を勘定しているのです。
 「花洛名勝図会」には、このように記されています。

 此[この]尊天、霊験あらたなるが故に、陰晴をいはず朝より暮に至るまで、詣人しばしの間断なく、老若男女群つどひて、かちはだしにて門をめぐり千度をうつことおびただし

 裸足で門を回って「千度」を打っている、というのです。
 これを読むと、梅宮大社の百度石のところに敷石があったわけがわかるでしょう。たぶん、裸足で百度参りする方がいるのだと思います。

 頂妙寺の仁王門について以前書きましたので、ご覧ください。 記事は、こちら! ⇒  <仁王門通の由来である頂妙寺とナゾの絵>


 柳田国男の説

 百度参り、千度参りのあり方や変遷について、民俗学者・柳田国男は「千駄焚き」という文章の中で、興味深い説を述べています。

 柳田によると、神への祈りは、もともとは村などの共同体で行われるものでした。それが、時代を経るにつれて、「個人祈願」、つまり「一人限りの願ひごと」を神さまに頼むようになったのです。

 千度参りについては、次のように述べています。

 斯ういふ信心の最も明らかに顕はれて居るのは、村で大事な氏子が大病にかゝつて命危いときに、多くの人が出て祈願をする千度参り、又は数参り度(たび)参りともいふものであるが、是なども最初はもつと弘く、村に何事か大きな憂ひ事が有る場合、殊に五月六月におしめりが無くて、田が植ゑられなくて苦しむ時などの方が多かつた。
 女や子供までを加へても、村では千人といふ人は中々揃はない。多分はめいめいが二度も三度も、還つては又御参りに行くので、千といふのは精確で無くとも、実際は千度よりも多く、一日の内に神様の前に出て、口々に同じ言葉を申し上げて、神様を動かそうとしたことゝ思ふ。(『定本柳田国男集』21、396ページ)


 ここから分かるように、千度参りは、もとは一人で千回お参りするのではなく、千人、あるいは多人数でお参りすることを指していたのです。

 隠岐島の海士(あま)村などでは、この日の祈願に先だつて、浜の小石を千個だけ拾ひ寄せて、めいめいがそれを一つづゝ手に持つて、御参りしては拝殿に置いて来るさうである。(同)

 千個の小石を数を数える道具にしています。
 しかし柳田は、「この浜の小石といふのは、本来はたゞの数取りではなかつたのである。すなはち海の潮を以て、まづ身と心を潔くしてから、祈りを神に申すといふ意味があつた」と指摘しています。
 こういったことは水垢離(みずごり)の一種ですから、「千度垢離」とか「千願垢離」と呼ぶ場合もあったようです。

 しかし、時代とともに、お百度やお千度も、ひとりで百回、千回行うものと解釈されるようになってきました。

 ところがこの千度参りの人の数といふものは、実際は段々に少なくなつて来て居る。殊に交際の限られた都会の人々などは、御百度はたゞ一人で踏むものと思ひ、何べんも同じ処へ行くことを、御百度を踏むといふ諺[ことわざ]さへ有る。
 大きな御社の鳥居の脇には、御百度石といふ石が立つて居て、手に数取りの紙縒[こより]や竹の串を持つて、脇目も振らずにそこと社殿との間を、往き返りする人を毎度見かける。是も病人の為か、又は遠い処に居る旅人の為かの、切なる願ひ事であることは同じなのだが、今ではそれがもう純然たる個人祈願になつてしまつて居るのである。(398ページ)


 ひとりでお百度やお千度を踏むという信仰が、都市的で近代的な営為だとは、少し意外な感じがします。
 ただ、祈願内容が個別バラバラになってくる都市社会では、さまざまな神さまが並立するとともに、流行神なども生まれます。そんな中で、百度参りや千度参りが行われるのも、うなずけるでしょう。

 なお、柳田は、仲間で「続けて数多くの宮を巡つてあるく」百社参り、千社参りの風も紹介しています。
 いま私たちが知っている「千社札」は、元来は千社参りの人々が貼付した札でした。

 今日、お百度参りがはやるのも、柳田の説に立てばよく理解できます。




 梅宮大社

 所在 京都市右京区梅津フケノ川町
 拝観 境内自由
 交通 市バス「梅宮大社前」下車、徒歩約3分



 【参考文献】
 「花洛名勝図会」1865年
 柳田国男「千駄焚き」(『村と学童』所収)、『定本柳田国男集』21、筑摩書房、1962年


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