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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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江戸時代の京都ガイド本「京城勝覧」に沿って、三条大橋から嵯峨・嵐山へと歩いてみた - 後編 -

洛西




嵯峨大念仏狂言


 嵯峨の田園を歩く

 前編では、三条大橋から広沢池までの行程をご紹介しました。後編では、さらに歩を西へ進めます。ここまで、すでに10km近い歩行距離です。

 広沢池
  スタートから約10kmの広沢池 愛宕山を遠望

 広沢池の南西角に児神社があり、その西の分岐を右へ入って行きます。

 千代の古道
  右が「千代の古道」

 これが、「都名所図会」などにも紹介されている“千代の古道”だと、道標は示しています。田んぼの中を、ぐねぐねと曲がっていく道です。

 それにしても、このあたりの田園風景は美しいですね。
 “京に田舎あり”という言葉が思い浮かびます。のどかな景色で、「京城勝覧」の著者・貝原益軒もこんな風景を見たのでしょうか。

 嵯峨の田園
  嵯峨の田園

 嵯峨の田園

 その道沿いに、ユーモラスな案山子が!
 案山子コンテストに出された作品だそうで、今年(2014年)の流行をうつして、「ダメよ、ダメ、ダメ」の案山子が目立ちます。
 
  千代の古道

 高い梢で鳴くモズの声を聞きながら、大覚寺へ到着。
 9時45分。
 ようやく観光客も増え始めました。

 大覚寺
  大覚寺


 清凉寺へ

 今日は先を急ぐので、大覚寺には入らず、そのまま西へ進みます。
 やはり、ところどころに田畑が残り、ここが京都市内かと思わせる茅葺民家もありました。

 嵯峨の茅葺民家

 『京郊民家譜』などに登場しそうなお宅ですね。

 そして、清凉寺へ。
 嵯峨の釈迦堂として知られる古寺です。

 清凉寺
  清凉寺(釈迦堂)

 時刻は、ちょうど10時。
 広沢池から約2.3kmです。出発した三条大橋からは、およそ12kmになりました。昔風に言うと3里で、ひたすら歩き続けると3時間の道程ということになります。

 清凉寺
  「栴檀瑞像」の扁額(隠元筆)

 清凉寺を「釈迦堂」と呼びならわすのは、ご本尊が釈迦如来だからです。三国伝来の瑞像として著名で、江戸時代には大人気となり各地の出開帳に大忙しでした。
 僧・奝然(ちょうねん)が中国の宋に赴き、そこで模刻した像を寛和3年(987)に持ち帰り、祀ったものです。
 モデルになった仏像は、優填王(うでんのう)が刻んだとされるお釈迦さまの姿で、仏教史上“最初の仏像”とされ、とりわけ篤く信仰されました。そのため、清凉寺の像も深く信心されたのです。

 ご参考までに、この像については、こちらの記事をご覧ください! ⇒ <嵯峨・清凉寺の釈迦如来は奥深い(その1)>  < 同 (その2)>


 嵯峨大念仏狂言に遭遇!

 ちょうど秋の公開期間だったので、本堂に上がって、釈迦如来を拝しました。
 立派な厨子に入っておられ、切れ長の目が特徴的な独特のお顔と、波打つような衣紋を持ったタイトな衣が印象的です。

 しばらくお詣りしたあと、堂を後にすると、寺内に何やらマイクの声が響いています。かまわず御手洗いに行こうとすると、なんと、手洗いの横(失礼)で、「嵯峨大念仏狂言」が始まろうとしているではありませんか!
 ちょうどこの日は、秋の公演の日で、西門の脇に狂言堂があるのでした。

 午前10時半。なんという幸運でしょう。
 ここは時間を気にせず、最後まで拝見することにしました。

 嵯峨大念仏狂言
 
 嵯峨大念仏狂言は、弘安2年(1279)に円覚上人(道御)によって始められた大念仏に由来し、その教えを広めるために創始された宗教的な無言劇です。
 少なくとも室町時代には行われており、江戸時代には能や狂言の影響を受けながら充実していきました。京都では、壬生狂言や千本えんま堂大念仏狂言とともに、よく知られています。
 昭和61年(1986)に、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 文化庁の国指定文化財等データベースより、解説文を引用しておきます。

 嵯峨大念仏狂言は清凉寺(嵯峨釈迦堂ともいう)の法会に行われる狂言で、鎌倉時代末、京都で円覚十万上人が遊戯即念仏の妙理を広めるために始めたという三大念仏狂言(壬生・嵯峨・千本)の一つであり、狂言の演じられる大念仏会は能の「百万」という演目にも扱われている由緒あるもので、所蔵狂言面には天文18年(1549)在銘のものがあるなどこの狂言の歴史の古さが知られる。

 能楽ことに狂言の変遷過程を知る上にも重要な芸能史的価値の高いものである(昭和39年からは後継者養成が困難なため一時中断されたが、昭和50年に復活され、従来の演目を今日では充分な状態で上演できるようになった)。

 この嵯峨大念仏狂言は、清凉寺狂言堂で無言劇として演じられる。演目は、「夜討曽我」、「羅生門」などカタモンと称される能風の演目12番、「愛宕詣」、「餓鬼角力」などヤワラカモンと称される狂言風の演目12番とがあり、演技、曲種とも壬生狂言に似ているが、「釈迦如来」の演目は、ここ嵯峨のみの独自の演目であり、全体的に壬生狂言より、おおらかな古風さをよく保存しているものとして重要である。


 
 子供が演じる「蟹殿」を見物

 午前の部は、子供たちが演じる狂言でした。演目は、「蟹殿(かにどん)」。いわゆる“猿蟹合戦”の筋のようです。

 嵯峨大念仏狂言
  「蟹殿」

 鉦(かね)、太鼓、笛で行われる囃子(はやし)は、「カンデンデン」で知られるリズムです。
 せりふが全くない無言劇なので、さすがにストーリーは十分つかめません。

 額縁のようになった横長の舞台には、右端に柿の木があり、実が成っています。これを猿が取りに来ます。蟹も取りたいけれど、うまく取れない--といった感じのようです。
 
 面を付けて演じるのですが、頭上に、蟹とか臼とかを載せて、それが何の役か一目瞭然に分かるようにしています。

  嵯峨大念仏狂言
  頭上に蟹を付けている(右)
 
 また、舞台の上に綱が張ってあり、そこにぶら下がる場面や、舞台から下方へ飛び降りる場面など、アクション的にも充実。上演時間も40分ほどあり、本格的です。
 
 後半は、猿に親蟹を殺された子蟹が、臼、栗、鋏(はさみ)に助力を得て、敵討ちするくだりです。

 嵯峨大念仏狂言

 倒れた猿の上に、臼がドーンと飛び降り、さらに蟹と臼が刀で猿を斬る! という、意外にリアルな演出。
 そのあと、猿の首を掻き切って掲げます。

  嵯峨大念仏狂言 首を掲げる臼

 おそらく昔の人達は、話の筋を教えたり教えられたりしながら、見物していたのでしょう。
 子供さんが演じた狂言とは思えない、立派な舞台でした。

 嵯峨大念仏狂言

 見終えて、明治時代に建ったという狂言堂の修復のため、瓦代の寄進(ほんの少し)をして、先を急ぎます。

 嵯峨大念仏狂言
  清凉寺 狂言堂


 雑踏する秋の嵐山
 
 貝原益軒が、嵯峨から嵐山で見るべしという名所は、次の通りです。

 ○大沢の池
 ○名社(なこそ)の滝の跡
 ○釈迦堂[清凉寺]
 ○往生院[祇王寺]
 ○三宝寺
 ○二尊院
 ○小倉山
 ○野々宮[野宮神社]
 ○天竜寺
 ○大井川[大堰川]
 ○嵐山
 ○臨川寺
 ○法輪寺
 ○櫟谷(いちゐたに)
 ○大悲閣


 これだけ回るのに、何時間かかるのか!
 今回は、清凉寺以外は門前通過としました。

 清凉寺の西門を出て、二尊院、さらに西へ。

 落柿舎
  落柿舎

 落柿舎の遠望。
 秋らしく美しい風景です。これだけ綺麗だと、入らなくても満足。

 嵐山竹間の小径

 竹藪の中を抜ける小径を進むと、少し混雑が……

  野宮神社の斎宮行列(準備)

 山陰線の踏切。平安時代と現代との融合のような光景ですが、実は、この日は野宮神社の斎宮行列があったのでした。

野宮神社
  野宮神社

 このあと、嵐電の駅から渡月橋までも、ものすごい人出でした。
 清凉寺から嵐山・渡月橋まで、約2km。スタートから14kmほど。
 時刻は、11時50分。
 ようやくお昼前で、三条大橋から4時間が経過していました。

 渡月橋
  渡月橋
 

 旅のゴールは、松尾大社

 渡月橋を渡り、十三まいりで有名な法輪寺を過ぎると、観光客の姿はなくなります。
 阪急嵐山駅の方には行かず、まっすぐ南下する古そうな街道を進みます。

 松尾大社への道
  渡月橋から松尾大社への道

 曲がりくねった道を約2km進むと、松尾大社に到着です。

 松尾大社
  松尾大社 楼門

 時刻は、12時15分。
 6時50分に歩き始めてから、5時間25分経っていました。歩いた距離は、およそ16km。ちょうど4里あったことになります。
 
 お祭りを見て、清凉寺をお詣りした上に嵯峨大念仏狂言まで見物したのですから、意外に早かった? というべきでしょうか。

 貝原益軒の「京城勝覧」では、松尾大社について、こう記されています。

○松尾  法輪寺より四、五町南にあり。明神のやしろあり。是より京に帰るに大井河を舟にてわたり、梅津にゆくべし

 なるほど、橋が架かっていないので、渡し船で戻るのですね。

 松尾大社
  大学生たちと松尾大社を参拝

 ひとりぼっちでも愉しかった小旅行を終え、午後1時からは60人ほどの大学生、教員のみなさんと、松尾大社、梅宮大社、蛇塚古墳を回りました。
 私達は、午後4時前に、そこまでで終了したのですが、本来の「京城勝覧」のルートでは、京への帰途に太秦・広隆寺や、蚕ノ社として知られる木の島(このしま)神社も参拝する予定になっています。

 私もよく歩く方だと思いますが、さすがに貝原益軒の健脚には、かないません。




 清凉寺

 所在 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町
 拝観 境内自由(本堂などは有料) 嵯峨大念仏狂言は無料
 交通 JR山陰線「嵯峨嵐山」下車、徒歩約15分



 【参考文献】
 「京城勝覧」(『新修京都叢書』所収)
 『嵯峨狂言』嵯峨大念仏狂言保存会、1997年
 『京都市の文化財[民俗文化財]』京都市文化観光局文化部文化財保護課、1992年
 『京都府の歴史散歩 上』山川出版社、2011年
  国指定文化財等データベース(ウェブサイト)、文化庁


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