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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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江戸時代の京都ガイド本「京城勝覧」に沿って、三条大橋から嵯峨・嵐山へと歩いてみた - 前編 -

洛西





妙心寺北門前の祭礼準備


 「京城勝覧」に沿って歩く

 江戸時代の儒者・貝原益軒が著した京都ガイドブック「京城勝覧」。
 いまから300年も昔の宝永3年(1706)の書物です。

 今回は、この案内書に紹介された第7日のコースを歩いてみることにしました。嵯峨、嵐山をめざして観光するコースです。
 以前、伏見に行くコースや、宇治に行くコースも歩いたことがあります。
 特に、三条大橋から伏見に行って、また戻ってくるルートは、とても長くて日が暮れてしまいました。

 今日は、第7日を完全に歩くわけではなく、前回ご紹介した事情で、三条大橋-松尾大社に限って歩くことにします。
 それでも、全体(5里半=約22㎞)の2/3ほどに相当すると思います。

 
 早朝、三条大橋をスタート

 三条大橋

 2014年10月19日、日曜の朝、6時50分。
 三条大橋を西へ向かってスタートします。

 この日は見事な秋晴れで、雲一つない快晴。このあと登場する写真も、すべて青空になりました。

 三条通

 まずは、三条通をひたすら西へ。にぎわう河原町三条あたりも、日曜の早朝だと、この通り。
 堀川まで西進しました。

 「京城勝覧」が、最初に紹介する名所旧跡は、内野(うちの)です。

○内野  一条の南の野也。今ハ民家立て野ハなし

 「内」とは、天皇が住まいする内裏(だいり)を意味する言葉で、「大内」などとも言います。
 ここで益軒が指すのは、もちろん平安京のもの。
 内裏が建っていた場所も、時代がくだるにつれて荒廃し、野原になってしまいました。それを“内裏の跡の野原”という意味で「内野」と呼んだのです。

 平安京の内裏は、現在の千本丸太町の北東にありました。
 北西には、大極殿跡を示す記念碑も建っています。

 千本丸太町(平安宮跡)
  千本丸太町の交差点には、平安宮跡の案内板も

 今日は、千本丸太町の交差点を通過したということで、内野を見物したことにしましょう。
 ここで、まだ7時30分。距離にして、約3.7kmです。


 妙心寺につづく御旅商店街

 次の行先は、妙心寺になっています。
 円町(西大路丸太町)から北上して、西大路通と下立売通の交差点にやってきました。
 このあたりは母の実家の近くで、これから歩く商店街は、みんな「おたび」と呼んでいました。

 漢字で書くと「御旅」。
 商店街名は、天神御旅商店街となっています。

 天神御旅商店街
  天神御旅商店街
 
 実は、この道沿いには北野天満宮の御旅所があり、それに由来する名前でした。
 久しぶりに歩くと、懇意の呉服屋さんや法事を行った料亭などが今もあって、懐かしいですね。

 北野天満宮御旅所
  北野天満宮御旅所

 この道をまっすぐ西に進むと、まもなく妙心寺です。


 今宮神社の祭礼に遭遇

 江戸時代の歩く旅をトレースすると、とにかく時間がありません。
 今日は、松尾大社に午後1時に到着しなければならないので、あまり寄り道はできません。

 ところが、妙心寺の手前の民家で、こんなものと出会いました。

 今宮神社祭礼

 お祭りですね。秋の日曜日ですから。

 今宮神社祭礼

 近づいてみると、これは剣鉾(けんぼこ)です。
 京都の神社の祭礼で用いられる祭具の一種。
 先端に剣が付いていますが、武器というよりも、悪霊退散を願う祭器と考えられるものです。古くは御霊会に端を発するものでしょうから、祇園祭の鉾と同じ意味を持つ、ということになります。

 通常は、神輿の渡御とともに巡行すると思いますが、こちらの場合は据え置いておく形ですね。

 ご参考のため、『京都市の文化財』から、剣鉾についての説明を引用しておきましょう。

  祭礼の神輿渡御の先導に鉾を出すのは、京都の祭礼に古くから見られる風俗で、鉾本来の形態である長い棒の先に金属製の剣を付けるという形状のものは、一般に剣鉾の名称で呼ばれています。

 現在見られる鉾祭の形態が、直接的に史料に見られるのは室町時代初頭で、絵画資料では、上杉家本「洛中洛外図」屏風に御霊社の剣鉾渡御が描かれています。

 この剣鉾は、神輿渡御に際して人が差して神輿の前を渡りますが、鉾を車屋台のうえに載せる祇園会と比べて原初的であるといえます。(21ページ)


 ここは木辻北町町内会だそうで、幡には橘の紋が入っています。そして上部の額には「今宮大明神」とあり、これは今宮神社の祭礼らしい……

 ちょうどお宅のお嬢さんが出てきたので、この今宮神社ってどこ? と尋ねてみると、親切に場所を教えてくれました。中学生だと思うのですが、その教えてくれ方が丁寧で、これもお祭りを担う人たちの誇りなんだろうと感じました。

 今宮神社は、妙心寺の南側を少し入ったところにありました。
 行ってみると、今まさに子供御輿が出発するところでした。

 今宮神社祭礼

 地域の小学生が、狭い境内に集まっています。
 そして神輿の渡御。

 今宮神社祭礼

 今宮神社祭礼

 子供が担ぐのではなく、あとを付いていくみたいな形らしいのです。
 朝8時。
 この今宮神社は旧村社で、今日はその神幸祭でした。午後は、大御輿の巡行となります。


 妙心寺から仁和寺へ

 まったく予定外でしたが、30分ほど祭礼の様子を見ていました。これも旅の愉しさでしょうか。
 再び、妙心寺門前へ戻ります。

 妙心寺
  妙心寺総門

○妙心寺  禅宗五山の外、大徳寺、妙心寺を大寺とす。京都下立売通を西にゆけバ、妙心寺の南門の前にいたる。南の門より入て北門に出、西へ三町程ゆけバ、仁和寺にいたる。

 私が先ほど歩いてきた天神御旅商店街は下立売(しもだちうり)通でしたが、そこに面する妙心寺の南門から入って、お寺の中を突っ切って北門に出る、というのです。
 なるほど。寺内を見学しつつ仁和寺へ向かうわけです。

 妙心寺
  妙心寺 仏殿と法堂

 妙心寺

 北側の塔頭の間を歩くと、遠くに丸い山が見えて、あれが御室の大内山かなと思ったりします。
 生新な朝の風景。
 8時35分、妙心寺の北門に着きました。

 ここで道路は分岐し、右手のバス通りを進みます。

 妙心寺北門前

 すぐに嵐電(らんでん、京福電鉄)の妙心寺駅の踏切に至ります。

 嵐電「妙心寺」駅

 ゆるやかな坂道をのぼると、まもなく仁和寺です。
 この間、5分ほど。

 仁和寺
  仁和寺

 時刻は、8時40分。
 三条大橋を出発してから2時間足らず。お祭りも見て、この時間です。あまり遠いという感じにはなりません。
 三条大橋から仁和寺まで、距離にして約7.5kmです。


 御室から広沢池へ

 仁和寺のある御室(おむろ)の次は、嵯峨(さが)が目的地です。
 益軒の書物には、一旦、常盤(ときわ)の方に南下して嵯峨へ行く道筋を紹介しています。
 しかし現在では、御室から西へ進み、福王子の交差点を経て、鳴滝を越えて行くルートがあります。たぶん江戸時代にはない道だとは思いますが、時間短縮のため通ることにしました。

 福王寺

 福王子の交差点。
 右へ行くと周山街道に、まっすぐ行くと鳴滝です。今日は鳴滝の方へ。
 その先には少しアップダウンがあり、山越に至ります。

 山越
 鳴滝から山越へ 長い下り坂

 坂を下り切ると景観が変り、広沢池が現れます。

 広沢池
  広沢池

 仁和寺からおよそ2.2km、三条大橋から約9.7kmです。
 まだ9時15分。
 おだやかな日曜日の朝ですが、この先は景色ものどかな田園風景になっていきます。

(この項、つづく)



 妙心寺

 所在 京都市右京区花園妙心寺町
 拝観 境内自由(法堂などは有料)
 交通 JR山陰線「花園」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「京城勝覧」(『新修京都叢書』所収)
 『京都市の文化財[民俗文化財]』京都市文化観光局文化部文化財保護課、1992年
 『京都府の歴史散歩 上』山川出版社、2011年



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