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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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高島屋の創業地に記念碑が完成、そして因幡堂との関係とは?





高島屋創業地碑


 高島屋の創業地は、どこ?

 高島屋といえば、京都、大阪をはじめ、東京・日本橋や新宿、横浜など、全国に店舗を持つ大手百貨店です。

 私も日頃、京都店をよく利用するのですが、高島屋がいつ、どこで創業したかを深く考えたことはありませんでした。
 日経新聞の近畿経済面(京都・滋賀、2014年10月9日付)に、10月8日、創業地に記念碑が完成したという記事が出ていました。ちょうど時間があったので、さっそく見てきました。


 瓦をのせた記念碑が完成

 高島屋創業地碑

 平瓦をのせた和風の記念碑で、碑というよりも説明板の体裁を取っています。
 中央に記された標題は、「烏丸松原界隈の今昔」というもので、極力企業色を抑えています。あの丸に高のマークも、下部の格子越しにチラリと見えるだけ。結構なセンスだと思います。

 高島屋創業地碑
  高島屋創業地の記念碑

 この場所は、下京区の烏丸通松原上ル(あるいは高辻下ル)で、「烏丸松原」のバス停脇です。
 いま、ここに建っている建物は……

 京都銀行本店

 京都銀行本店。
 そのため、記念碑には京都銀行のことも記され、社章も入っています。


 店名の由来は、近江国高島郡から

 高島屋の創業は、天保2年(1831)のことで、初代新七は越前・敦賀の生まれ。京都の呉服商に奉公に上がっていました。
 文政11年(1828)、米穀商・高島屋こと飯田儀兵衛の女婿になります。この飯田家が、もとは近江国、湖西の高島郡(現在の滋賀県高島市)の出であったので、屋号も高島屋となっていました。
 新七は、分家して古着の行商を始め、天保2年に「たかしまや」の屋号で古着・木綿商を創業したのでした。

 その場所が、烏丸通高辻下ルの西側3軒目、つまり今の京都銀行本店がある場所だったそうです。
 当時の烏丸通は、道幅が約4間半といいますから、およそ8m。現在の烏丸通に比べると狭いかも知れませんが、江戸時代とすれば広い街路といってよいと思います。
 一方、松原通といえば、清水寺の方へと続くにぎやかな道でした。
 さらに、通りの東側奥には、因幡堂(因幡薬師、平等寺)という篤い信仰を集めた薬師如来がおられる寺院がありました。そのため、高島屋があった町の名も、薬師前町といったのです。

 因幡堂
  烏丸通の向いには、因幡堂への道がある

 そんなわけで、この創業地は人の集まる、にぎやかなよい場所だったといえるでしょう。

 初代新七は、明治7年(1874)に亡くなります。
 高島屋は代々新七を名乗りますが、明治21年(1888)に四代目が襲名し、近代化を進めていくことになります。


 店舗の改築と移転計画

 記念碑には、2枚の写真が掲出されています。
 ひとつは、明治中期の店舗の写真で、これは丸に高の商標を染め抜いた暖簾を掛ける町家です。
 もう1枚は、土蔵造風の3階建の大きな建物です。これが、明治45年(1912)に建築された鉄筋コンクリート造の新店舗です。
 高島屋は、明治30年代には大阪や東京にも進出していました。しかし、創業地の店は古いままだったので、明治末年に広壮な建物に改築したのです。

 ところが、時代が進んで昭和になると、各地で百貨店の近代化がはかられ、この店舗ではさすがに狭いという話になってきました。

 『高島屋百年史』には、全国の主要百貨店の売り場面積が記されています(昭和14年現在)。

 ・三越本店(東京)    5万3245㎡
 ・阪急(大阪)      5万1123㎡
 ・大丸本店(東京)    4万2074㎡
 ・松坂屋本店(名古屋)  3万6184㎡
 ・十合(大阪)      3万4967㎡

 これに対して、高島屋は大阪支店(これは難波店でしょうか)が、4万3411㎡、東京支店が3万2752㎡でしたが、創業地にある京都店は、わずか3,759㎡でした。他の百貨店と桁違いだったのです。
 当然、移転して増床、という計画が模索されたのでした。
 
 ちょうど、昭和6年(1931)、四条河原町の南西角に均一店(いわゆる十銭ストア)を借家で出店していました。その場所は、複数の人達の土地でしたが、彼らと交渉して、共同出資で高栄土地建物という会社を設立し、昭和12年(1937)から新店舗の建築を始めることにしました。用地は、5,120㎡あって、地上7階・地下2階のビルですから、他の大型店に匹敵する大規模店が完成するはずです。

 ところが、着工してまもなく、戦時下のあおりで鉄鋼工作物築造許可規則なるものが発令され、昭和13年(1938)、工事は中止となります。
 不急不要の建築を禁止して、鉄材を戦争資源に集中しようというわけです。

 これにより、高島屋は戦中戦後と、烏丸通松原上ルで営業を続けることを余儀なくされたのでした。


 飯田新七、因幡堂を信心する

 因幡堂
  因幡堂(平等寺)

 記念碑を見たあと、烏丸通を渡って、因幡堂にお詣りしました。
 すると、入口の提灯のなかに、高島屋の献灯がありました。

 因幡堂

 京都の繁華街の寺社をお参りすると、高島屋や大丸の奉納品が多く見られます。ここは創業地の向いですから、なおさらですね。さらに詳しく見ていきます。

 すると、烏丸通からの導入路(つまり高島屋の向い側)に、寺名を書いた石標と、一対の灯籠がありました。

 因幡堂石造物

 因幡堂石造物 因幡堂石造物


 左側にある石標には、「いなはやくし(因幡薬師)」と刻まれています。
 背後には、建立年が記されています。「弘化五申年二月/明治廿五年九月再建」。
 弘化5年は、1848年。初代新七が創業してから17年後のことで、これもまずは初代が建てたのでしょう。それが、おそらく傷んだりしたので、明治25年(1892)に四代目が再建した、ということになります。
 石標の裏に、「薬師前町/ますや利助/高島屋儀兵衛/同 新七」とあります。儀兵衛は、新七の義父(奥さんの父)ですね。この標石が建った翌年に亡くなりました。

 因幡堂石造物 因幡堂石造物
 飯田儀兵衛、新七の名  石工の名

 石工は(写真右)、「愛宕[おたぎ]郡白川村/石工 岡野傳三郎」。北白川は、白川石が名産ですね。

 次は、立派な灯籠です。

 因幡堂石造物
  石灯籠(西から見たところ。道路は烏丸通)

 因幡堂石造物 因幡堂石造物

 安政4年(1857)に建てられ、明治25年(1892)9月に再建されています。
 こちらも、初代が建立し、のちに四代目が建て直したということになるでしょう。笠の部分が丸い、特徴的な形です。

 因幡堂石造物

 北側の台座に、「発起/高島屋/新七」とあり、丸に高の商標が入っています。

 このように、烏丸通からの道しるべとなる石標と石灯籠が建てられました。
 進んでいくと、因幡堂の裏側に当たります。

 因幡堂


 高島屋から京都銀行へ

 最後に、戦後の創業地の変遷をおさらいしておきましょう。

 京都銀行のもとをたどると、昭和16年(1941)に4行が合併してできた丹和銀行にさかのぼります。名前からも想像できるように、丹後(京都府北部)を地盤とした銀行で、本店は福知山でした。
 終戦後、京都市内への伸張を意図し、昭和25年(1950)頃から支店を設け始めます。
 昭和26年(1951)、行名を「京都銀行」とし、昭和28年(1953)4月に、本店所在地を京都市内に移します。
 その場所が、烏丸通松原上ルの高島屋“跡地”でした。

 高島屋は、戦後すぐに四条河原町角で店舗展開し、昭和25年、26年には増築も果たしていました。
 そのため、創業地の店舗は、昭和27年(1952)8月をもって閉店していました。

 その跡地に京都銀行が入るわけですが、そのあたりの事情を『京都銀行七十年史』は、次のように記しています。

 京都が発祥の地である高島屋としては、由緒ある烏丸店の売却先については厳選の態度をとっていた。その点、地域社会の発展に寄与する公共的な機関であり、しかも京都の地元銀行である当行なら売却先として最適との意向があったため、交渉は順調に進展し、同28年の春、当行がこれを譲り受けることになった。(112ページ)
 
 「厳選の態度」という言葉に、創業地に対する高島屋の思いがうかがえます。
 
 ちなみに、高島屋時代の古風な建物は、昭和30年代末まで使用され続けました。
 昭和39年(1964)年末に、現在の京都銀行本店ビルの建設が着工され、昭和41年(1966)8月に竣工しています。この年の10月は、丹和銀行の発足から25周年に当たりました。

 高島屋と京都銀行が絡み合う烏丸松原。松原通は、いま歩いてみても、かつてはにぎわった商店街だったのだろうと想像できるのですが、その要因のひとつが高島屋だったのでしょう。
 ひとつの場所からも、いろいろな歴史が垣間見えて、おもしろいですね。


  高島屋創業地碑




 高島屋創業地の碑

 所在 京都市下京区烏丸通松原上ル薬師前町
 見学 自由(歩道上にあります)
 交通 地下鉄「四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 『高島屋百年史』高島屋、1941年
 『高島屋百三十五年史』高島屋、1968年
 『高島屋百五十年史』高島屋、1982年
 『京都銀行七十年史』京都銀行、2012年


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