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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

島原・角屋にある臥龍松の庭を名所図会と比べてみた





角屋


 戦前の島原

 昨今、京都の花街は「五花街」と呼ばれ、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東を指しています。
 30年余り前までは、島原も京都花街組合連合会に加盟しており、六花街ともいえました。もっとも、広く考えれば、これ以外にも京都の花街はあったのだし、五つだ六つだというのも歴史的には余り意味があるとも思えません。
 いずれにせよ、島原が、天正17年(1589)に開かれた二条柳町、さらに移転して六条柳町(三筋町)から、寛永18年(1641)に現在地に移転したという、由緒ある花街であることは確かでしょう。

 「都名所図会」より「嶋原」
  「都名所図会」より「嶋原」

 昭和の初め、島原を訪れた松川二郎は、次のような感想をもらしています。

 電車を降りてまつすぐに西へ約三町、場末めいた町を歩いてゆくと、普通の町家の間に交つて小料理屋や仕出し屋、すし屋、うどん屋などが漸やく多くなつてくるのは矢張り場所柄である。
 突当りに寺の山門のやうな大門があつて、傍らにお約束の柳の古木が一株、房々と緑の枝を垂れてゐる。但し見返り柳とは呼ばず「出口の柳」である。
 廓内は中之町、上之町、中堂前町、太夫町、下之町、揚屋町と六箇町に分れてゐるが、これが島原かと怪しまれるほどの寂しさ、素見客[ぞめき]の出さかる時刻にも人の往き来は稀れで、中央の柳と桜の並木に沿ふてゆくと、ところどころにある薄暗い行燈の蔭から、ちよいとちよいとと婢[おんな]が客を手招きするなど、曽[かつ]ては夜々の蘭灯に不夜城をあらはし、才情双絶の名妓雲のごとく群集せる島原の権式も糸瓜[へちま]もあつたものではない。(『全国花街めぐり』514ページ)


  『全国花街めぐり』より「島原の大門と出口の柳」 『全国花街めぐり』の挿図

 こんなふうに、さしもの島原も寂しい状況だったといいます。 
 ただ、著名な角屋だけはいつも満員で、シーズンには2、3日前から予約しておかなければ座敷が取れないと記しています。


 大門から角屋へ

 島原の大門

 松川二郎の著書の写真と同じ場所です。
 大門の脇にある「出口の柳」は、白黒写真では細い若木ですが、青々と成長しています。この柳は、枯れかけていたものを明治中期に植え直したものだそうです(『京の花街ものがたり』)。

 そして廓内の西の端、揚屋町にある角屋(すみや)へ。
 格子も美しく、17世紀中頃の揚屋(あげや)建築で、重要文化財に指定されています。

 角屋

 表の建屋を入ると、すぐ小さな庭に出ます。
 京都の商家にみる表屋造と同じ構造で、この奥に主屋があります。
 下の写真の右が玄関、人物が立っている左の口を入ると土間になっています。土間は広い台所になっており、その脇は帳場で、お稲荷さんなども祀られています。

 角屋

 この暖簾が、本来、台所への入口に掛けてあるもので、蔓三つ蔦(つるみつつた)の紋です。

 角屋 蔓三つ蔦紋の暖簾

 このあたりの空間から、まず驚かされ、なかの座敷もまた素晴らしい造りです。


 「都林泉名勝図会」の絵

 角屋
  松の間

 1階の一番奥には、松の間があります。この部分は、大正15年(1926)の再建です。
 今日注目したいのは、庭。

 角屋

 実は、この庭、江戸中期の名所図会にも描かれています。

 「都林泉名勝図会」より「島原角屋雪興」

 寛政11年(1799)に刊行された「都林泉名勝図会」巻5、「島原角屋雪興」と題された図です。

 みんなが楽しげに集っている座敷が「大座鋪」と書かれています。これが松の間。

 「都林泉名勝図会」より「島原角屋雪興」

 この図は、雪の日の様子で、庭で雪だるまを作って遊んでいるんですね。

 「都林泉名勝図会」より「島原角屋雪興」

 左端に、茶室の曲木亭が見えています。

 庭を細かく見ていると、こんなものが。

 角屋

 手水鉢です。
 なんとなく、橋脚のような石材ですね。「都林泉名勝図会」にも描かれています。

 「都林泉名勝図会」より「島原角屋雪興」

 いまと同じ位置に置かれています。
 黒い羽織の男性が向かうのが御手洗いですかね。


 庭の名物「臥龍松」

 いよいよ、名物の臥龍松です。文字通り、龍が伏したような姿の巨松。

 「都林泉名勝図会」より「島原角屋雪興」

 右から左へ伸びる大きな松。画面一杯に広がっています。

 現在の姿は……

 角屋の臥竜松
 
 角屋の臥竜松

 庭一杯に松が広がっています。けれども、少しさびしいような印象が……
 それもそのはずで、大正時代に枯死したので、植え直したものだそうです。

 初代の幹は、背後に保存されていました。

 角屋の臥竜松

 左から右へ、長く幹が伸びています。
 これなら、「都林泉名勝図会」の絵のように、巨木だったことも納得いきますね。
 図会には、「つむ雪に尾上を思ふ庭の松」の句が記されていて、つとに有名な播州・尾上の松がイメージされています。

 角屋の臥竜松 初代臥龍松

 現在では屋根を掛けて保護されています。
 いくら名松といえども、松はどうしても枯れてしまうので、江戸時代の巨松はどちらでも残っていませんね。残念ですが仕方ありません。

 角屋

 昔は、寺社でも料亭や宿屋でも、松が名物というところが数多くありました。
 角屋の初代臥龍松は枯れてしまったけれど、江戸時代の人たちが松の前で遊ぶ風景を見ていると、心がなごみますね。




 角屋 (重要文化財)

 所在 京都市下京区西新屋敷揚屋町
 見学 角屋もてなしの文化美術館とあわせて公開(有料)
 交通 市バス「梅小路公園前」下車、徒歩約10分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 「都林泉名勝図会」1799年
 「京都府下遊廓由緒」1872年(『新撰京都叢書』所収)
 中川徳右衛門『角屋案内記』長松株式会社文芸部、1989年
 松川二郎『全国花街めぐり』誠文堂、1929年
 渡会恵介『京の花街』大陸書房、1977年
 加藤政洋『京の花街ものがたり』角川選書、2009年


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