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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都市内に点在する神明社は、神明造の立派な社殿が特徴的 - その1 -





朝日神明


 江戸時代にはやった神明社めぐり

 江戸時代、京や大坂、江戸のような大都市では、庶民の間で「〇〇めぐり」といった信仰が盛んになりました。
 観音霊場めぐりとか、六地蔵めぐりとか、七福神めぐりといった、特定の神仏を詣でるスタイルです。

 貞享2年(1685)に刊行された「京羽二重(きょうはぶたえ)」を見ると、さまざまな「〇〇めぐり」が載せられていますが、その中に「神明二十一箇所参」というものがあります。
 京都にある神明社を1番から21番まで順々にお参りするための案内です。

 神明社(神明宮)は、前回ふれたように、いわゆる“お伊勢さん”を勧請したもので、天照大神や豊受大神を祀っている神社です。

 少々わずらわしいのですが、21か所を転記しておきましょう(「京羽二重」巻2より)。

 一番   吉田本社後の宮
 二番   寺町通下御霊の内
 三番   寺町今出川上ル長福寺の内
 四番   塔の段ぎやうじくはんの内
 五番   上御霊の内
 六番   柳原川勝の辻子
 七番   北野東の鳥居二丁上ル所
 八番   出水通千本東へ入町
 九番   姉小路通新町西へ入町
 十番   仏光寺通新町西へ入町
 十一番  寺町通四条の辻
 十二番  四条通建仁寺町角
 十三番  三条通黒谷車道一町東
 十四番  粟田口山上
 十五番  祇園塔の下
 十六番  霊山国阿上人の上
 十七番  五条若宮八幡の内
 十八番  稲荷之内奥の社へ行道
 十九番  ふや町通五条上ル町
 二十番  富小路通五条上ル町
 二十一番 綾小路通東洞院東へ入


 神社名がなく、場所だけを記しています。寺社などの中にあるものも多いですね。
 21社をすべてめぐってもよいし、個々のものを詣でてもかまわないわけです。


 現代に残る神明社の数々

 これら21社のうち、今ではなくなったものもありますが、300年以上の時を超えて現存するものも多くあります。
 そのいくつかを紹介してみましょう。

 12番「四条通建仁寺町角」というのは、前回取り上げた太神宮ですね。

 14番「粟田口山上」とあるのは、おそらく京都の神明社の中で最も著名な日向大神宮を指しています。
 「都名所図会」には、「粟田神明宮」の名で現れます。図には、蹴上から日ノ岡の峠を越える途中、山上に描かれています。また、幕末の「花洛名勝図会」には、「日山(ひのやま)神明宮」の名前で記載され、「日向(ひむき)の社」とも「朝日宮」とも呼ばれると記されています。

 「花洛名勝図会」より「日山神明宮」
  「日山神明宮」(「花洛名勝図会」巻2)

 そして、1番にあがっている「吉田本社後の宮」。
 吉田神社の大元宮の背後には、内宮と外宮が祀られていました。

 「花洛名勝図会」より「神楽岡斎場所」
 「神楽岡斎場所」(「花洛名勝図会」巻3)

 八角形をした「本社」の左奥に「内宮」と「外宮」が描かれています。この社殿も、現在祀られています。


 市街地に残る小さな社

 「京羽二重」の19番と20番は、「ふや[麩屋]町通五条上ル町」と「富小路通五条上ル町」で、隣接した場所になっています。麩屋町通と富小路通は、南北に並行して走る通りです。
 実際に、現地へ行ってみました。

 まず、麩屋町通五条上ルの場所。

 朝日神明
  朝日神明宮

 ここは、下鱗形町といいますが、朝日神明宮という神社が鎮座していました。
 北側は空地(駐車場)になっており、境内は広くないのですが、かつては広大な社地を持っていたようです。

 社殿は、一見、瓦葺の入母屋造のようにみえます。

 朝日神明

 しかし、実はこれは覆屋(おおいや)で、本殿はこの中に収まっているのです。

 朝日神明

 茅葺の神明造の社殿です。
 “お伊勢さん”を祀っていることがよく示されています。
 覆屋との落差があって、少し驚きますね。

 この社殿の背後には空地があり、その東端に末社の猿田彦社があります。

 朝日神明

 額には、猿田彦命と宇寿女命(うずめのみこと)を祀っていることが記されています。
 サルタヒコは「古事記」などの天孫降臨神話で登場しますが、伊勢にも内宮の近くに猿田彦神社もあり、そういった関係でここにも祀られているのでしょう。

 朝日神明


 移転された神明社

 つづいて、1本西の通り、富小路通に行ってみました。
 ここには、社殿はないのですが、町名表示板には、

  朝日神明

 「本上神明町」と記されています。「もとかみしんめいちょう」ですね。
 元来ここにあった神社がどこかに移ったという雰囲気の町名ですが、さてどこに移転したのか?

 それがかなり離れた泉涌寺(東山区)のあたりだったのです。

 京都国立博物館のある東山七条を南へ下がり、泉涌寺道の1本北側の道を東へ入ります。この道は、地元では「剣道」(けんどうではなく、つるぎみちです)と呼んでいるようですが、その坂の上に剣神社(剣宮)があります。

 剣神社

 この神社の境内東側に、神明社が遷座しているのでした。

 剣神社朝日神明

 鳥居は、伊勢神宮に用いられる神明鳥居です。
 社号を確認してみると、

 剣神社朝日神明

 「朝日神明宮」となっています。
 さきほどの麩屋町通の社と同名ですね。この部分は、よく考えるべきところなのですが、少し分かりかねているので保留しておきましょう。

 社殿はというと、切妻造瓦葺の立派な覆屋があり、その中に神明造の本殿があるのでした。

 剣神社朝日神明

 剣神社朝日神明

 やはり、みんな神明造だと思うと、次が楽しみになってきますね。


 ヌエ退治伝説がある頼政神明

 また市街中心部に戻って、綾小路通烏丸西入ルへ。
 「京羽二重」の21番に当たる場所。ここに、頼政神明があります。

 頼政神明
  頼政神明

 社号標には、単に「神明神社」とあります。いまは同じ境内に文子天満宮も祀られています。
 こちらは、社名の由来にもなった源頼政(よりまさ)の説話が、他社に比べて目を引きます。

 源頼政は、平安時代終わり頃の武将で、弓の名手としても知られますが、以仁王の乱(1180年)で敗死しました。
 彼の「ヌエ退治」伝説はよく知られています。
 朝廷の警護をしている時、あらわれたヌエ(鵺)を退治し、天皇の病を治したというものです。ヌエは、頭が猿、胴または手足が虎、尾が蛇という怪獣です。
 弓の名手であった頼政は、退治の大役を仰せつかり、見事ヌエを射止めて、その矢じりを当社に奉納したと伝えられています。

 頼政神明
  奉納絵馬に描かれた頼政のヌエ退治
 
 奉納された矢じり2本は、現在も当社に納められていて、ふだんは写真が掲出されています。かなり大きめの矢じりでした。

 頼政神明

 社殿は、こちらも神明造。屋根は桧皮葺です。
 かつては榎の大木があったことから、榎神明とも呼ばれたといいます。

 実は、まだあるのですが、長くなってきたので続きは次回に。




 朝日神明宮

 所在 京都市下京区麩屋町五条上る下鱗形町
 拝観 境内自由
 交通 京阪電車「清水五条」下車、徒歩約10分


 剣神社(朝日神明宮)

 所在 京都市東山区今熊野剣宮町
 拝観 境内自由
 交通 市バス「泉涌寺道」下車、徒歩約10分


 神明神社(頼政神明)

 所在 京都市下京区綾小路通高倉西入る神明町
 拝観 境内自由
 交通 地下鉄「四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 「花洛名勝図会」1864年
 「京羽二重」(『京都叢書』所収)
 萩原龍夫「京都の神明社」(『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣、1985年所収)


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