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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

ARCHIVE

森浩一先生の思い出を、今回は少し“ゆるめ”で

その他




  『戦後50年古代史発掘総まくり』


 脱領域の学問スタイル

 本棚をさぐってみたら、『戦後50年 古代史発掘総まくり』という「アサヒグラフ」の別冊が出てきました。1996年4月に発行されたものです。
 2,500円で、結構いいお値段ですから、たぶん誰かにもらったのだと思います。

 「アサヒグラフ」というと、かつて毎年末に、1年間の発掘回顧の特集が組まれていたのが名物でした。その取り仕切りをされていたのが森浩一先生です。
 別冊『古代史発掘総まくり』も、その延長で編集されたものなのでしょう。先生の「終戦前後の考古学と僕」という原稿が掲載されています。

 8月6日は、考古学者・森浩一先生の命日です。今年は一周忌。少しだけお付き合いください。

 なお、昨年書いたものは、こちらです ⇒ <社会に対する強い「信頼」が生んだ学問-森浩一先生を悼む―>

 『古代史発掘総まくり』には、「画期をつくった50の遺跡」が取り上げられていて、1946年の岩宿遺跡から1994年の三内丸山遺跡まで、各時代各地域の遺跡が並んでいます。

 私が大学に入ったのは1984年でした。その前後を見てみると、

 ・1980年  新保本町チカモリ遺跡 (コラム:真脇遺跡)
 
 ・1984年  荒神谷遺跡

 ・1985年  藤ノ木古墳

 などが上げられています。

 おそらく、一般的には、豪華な馬具が出た藤ノ木古墳(奈良県)が有名ですね。

 私にとっては、1回生の年、出雲から大量の銅剣が出土して話題になった荒神谷遺跡(島根県)が印象的です。森先生が現地で実際に見られた知見などをもとに授業で話され、私達も自分で見たかのようなリアルさをもって受け止めていました。

 また、一般には余りなじみのないチカモリ遺跡と真脇遺跡(石川県)も、授業によく登場し、おなじみでした。日本海側にある縄文時代の巨木文化を示す遺跡として、重視されていたのでした。
 これらの遺跡に注目されたのは、そのころ日本海側の文化に関心を持っておられ、巨木文化がそこにあったという先進性に着目されたのだと思います。
 日本海の話では、「潟湖」(かたこ、せきこ。先生の読み方では「かたこ」)、すなわちラグーンの港としての機能の話も出てきました。交通、流通を陸からだけでなく海からも見る視点ですね。
 このあたりからも分かるように、考古学の授業だけれど、非常に幅広い着眼点があって、そこから社会や文化を解き明かそうという試みがなされていたのでした。ノンジャンル、脱領域なのですね。

 ある意味、とても専門的だと思うのですが、おもしろく分かりやすい話なのです。たぶん、森先生は、物事の理解の仕方が普通の専門家とは違って、一足飛びに昇華して他のものと結び付いてしまうタチなのでしょう。
 先生は、例えば江上波夫先生の騎馬民族説について、“スケールの大きな仮説”、“雄大な仮説”というふうに言っておられた記憶があります。イマジネーションを大きく広げていくことを好まれていたのです。

 授業は、講義ノートを読むようなものではなく、先週末に見てきた遺跡を語るというスタイルでした。その話から、「現地」でモノを見、体験する重要性を学んだと思います。若い時に、それを教わったことはたいへん幸運でした。


 高校時代、新聞連載を読んでいた

  「森浩一の考古学」ポスター

 この4月、同志社大学で森先生の回顧展が開かれました(同志社ギャラリー「森浩一の考古学」)。
 その展示には、非常に詳しい著作目録が掲出されました。大きなパネルになった目録は、前期と後期で展示替えされたので、私も2度見に行き、細かい文字を目を皿のようにして見ていきました。

 特に興味を持ったのは、自分が大学に入学した1984年前後でした。

 目録によると、その頃、先生はサンケイ新聞(現・産経新聞)に古代史の連載をされていたことが分かります。
 当時、我が家では、朝日とサンケイという、対極的な2紙を購読していたので、高校生の私はサンケイも読み、森先生の古代史の記事をいつも楽しみにしていたのでした。その紙面のイメージが、おぼろげに思い出されます。

 いま改めて思うのですが、高校生にも学問の愉しさを伝えられるなんて、なんとすごいことでしょうか。
 
 そんな新聞記事を読み、またテレビのニュースなどで話される姿を見て、歴史が好きだった高校生の私はこの先生の大学で勉強したいと思うようになったのです。

 大学に入って、体育館のような広い教室で毎週聞く先生の講義は、最新のトピックスと独自の見解に満ちていて、若い私達をあきさせることのない授業でした。
 授業が終わって、外付けになった鉄の階段を降りて行く先生の姿が、いまでも印象に残っています。

 ところで……
 実は、こんなふうに書いているのですが、私は余り森先生の著書を持っていません。
 初期の代表作『古墳の発掘』(中公新書)でさえ、勤め始めてからかなり経って買い求めたくらいです。
 では、どのように先生の考えを吸収していったかといえば、それは授業であり、新聞・雑誌であり、テレビであったのです。
 思い出すと、私が学生だった1980年代は、そんなにたくさんの著書は出しておられず、むしろ新聞・雑誌などのメディアに精力的に寄稿されていたように思います。
 このあたりも、常に社会と接点を持つことに努められた森先生らしいですね。

 改めて昨年の訃報について検索してみると、先生の学問スタイルを「お茶の間考古学」と呼んでいるものがありました(産経新聞)。
 “お茶の間考古学”とは、少し奇妙な言葉遣いですが、考古学を一般の人々に親しみやすくした、という意味のようです。確かに、お茶の間のテレビで見たり新聞で読んだりできるのですから、文字通りそうですね。おもしろいネーミングだと思いました。


 刺激的なシリーズ『日本民俗文化大系』

 私にとって思い出深いのは、小学館から発行された『日本民俗文化大系』(1983-87年)です。

 先生のおもしろいところは、自分ひとりで書く本(単著)だけでなく、共著や編著がたくさんあり、そのなかに優れたものが多いことです。
 『日本民俗文化大系』は、森先生が大林太良さんや網野善彦さん、宮田登さんらと共編で出されたもので、全15巻の本格的なもの。
 函入りクロス装の立派な本で、「稲と鉄」「漂泊と定着」「都市と田舎」「家と女性」「技術と民俗」など、魅力的なテーマが立てられたシリーズでした。私はいつもそれを繙き、多様なジャンルの成果を学んでいったのでした。

 その本は実家に置いたままなので、長く手に取っていません。近いうちに読み直して、また紹介してみることにしましょう。
 
 このシリーズからも分かるように、先生は学問的な人のつながりを大事にされ、とりわけ異分野の方と積極的に交流されていました。お酒が好きなので、飲みながら話をして、「箸袋にメモするんや」と笑っておられました。
 また、つながりができた若い方を含め、多くの研究者に執筆を依頼されていました。
 このシリーズも、そんな姿勢がうかがえて、私の好きなもののひとつです。

 とりとめもない話になってしまいましたが、今回は『日本民俗文化大系』の存在を思い起こせたことが収穫でした(笑)
 

【参考】
『日本民俗文化大系』(小学館、1983-87年)各巻タイトル

 1.風土と文化 日本列島の位相
 2.太陽と月 古代人の宇宙観と死生観
 3.稲と鉄 さまざまな王権の基盤
 4.神と仏 民俗宗教の諸相
 5.山民と海人 非平地民の生活と伝承
 6.漂泊と定着 定住社会への道
 7.演者と観客 生活の中の遊び
 8.村と村人 共同体の生活と儀礼
 9.暦と祭事 日本人の季節感覚
10.家と女性 暮しの文化史
11.都市と田舎 マチの生活文化
12.現代と民俗 伝統の変容と再生
13.技術と民俗(上) 海と山の生活技術誌
14.技術と民俗(下) 都市・町・村の生活技術誌
15.総索引



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