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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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懐かしい香りのする辛口京都論 - 梅棹忠夫『梅棹忠夫の京都案内』『京都の精神』 -

京都本




  『梅棹忠夫の京都案内』『京都の精神』


 梅棹忠夫さんの京都論

 梅棹忠夫氏による2冊の京都論。
 いずれも、昭和62年(1987)に角川選書として刊行されたものですが、のちに文庫化され、現在も角川ソフィア文庫で読むことができます。

 以前に『京都の精神』は読んでいたのですが、今回『梅棹忠夫の京都案内』(以下、『京都案内』とします)を読んでみたので、あわせて紹介します。

 梅棹忠夫さんについて、念のため簡単に紹介しておきます。
 大正9年(1920)、京都の西陣に生まれ、京都一中(現洛北高校)から、三高、京都帝大へ進みました。つまり、生粋の京都人で、学校的にもエリートコースを歩まれたということです。出生地は千本通中立売上ルで正親小学校卒ですから、私の父の先輩です(笑) 
 学者としては、モンゴル探検(当時の言葉でいうと「モゴール」ですね)を行い、『文明の生態史観』を著して反響を呼びました。大阪市大助教授、京大人文研教授を経て、国立民族学博物館(大阪府吹田市)の建設を主導し、昭和49年(1974)、初代館長に就任。梅棹さんといえば、この民博館長というイメージが強いです。
 ローマ字論の支持者でもあって、今回紹介する2著にも漢字が少なくカナが多い印象です。そして、岩波新書『知的生産の技術』(1969年)は、カードを用いた学問のすすめとして、現代的な研究方法に大きな影響を与えたと思います(私も愛読しました)。

 私は一度、「タイムカプセル」に関するシンポジウムでご一緒したことがありました。梅棹館長は、ほんの少しだけコメントされたのですが、タイムカプセルを「悪の思想」である、と喝破されたのです。なぜかというと、タイムカプセルは現代のみならず未来の時間をも支配しようとする思想だから、というのです。一同、うーん、とうなったものです。さすが梅棹さん。


 1950-60年代に書かれたエッセイ

 この2冊のうち、『京都の精神』には1980年代までの文章を収めていますが、『京都案内』収録のエッセイ、講演録は、なんと1950年代から60年代にかけて執筆、講演されたものがほとんどです。いまから半世紀も前のもの。それゆえ、なにか懐かしい香りのする京都論になっているのです。言い換えると、“こういうこと、昔よく聞いたなあ”というもので、現在では余り聞かなくなった言説です。

 例えば、こんな感じ。

 東京、大阪では、「なんだ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば依然として「学生はん」である。
 (中略)
 学生の情熱は爆発的にほとばしり、しばしば社会通念から逸脱する。その思想は急進的であり、その行動は矯激である。しかし、京都市民は学生のめちゃくちゃにはむかしからなれている。学生には寛容である。みんな、卒業すればおちついてえらくなるひとだ。わかいときは、まあよいではないか。(50ページ)

 
 京都では、学生が「学生はん(さん)」と、さん付けで呼ばれ、一般市民もそれなりに大事に扱うという話。

 こちらは、言葉について。

 おなじように、数字の七も「しち」ではなくて、「ひち」である。わたしは、かなりおとなになるまで、東京語で「しち」であることをしらなかった。
 (中略)
 この七条もよいかたは、「ひっちょう」で、「ひち」である。私鉄の駅名板などには「しちじょう」と表記してあるが、発音は「ひっちょう」である。(189-190ページ)


 七を「しち」ではなく、「ひち」と発音する話。
 質屋も「ひちや」になり、その看板すら「ひち」と大書されている、有名な話です。

 このような事柄は、昔はよく言ったり聞いたりしたものですが、最近は廃れてしまいましたね。


 ブブヅケ神話
 
 その典型的な「神話」が、『京都の精神』に書かれている“ブブヅケ”の逸話です。
 なお、ブブヅケとはお茶漬けのこと。辞書を引くと、「ぶぶ」はお茶を意味する女性ことば、幼児ことば、などとあります。そういえば、昔は「おぶ」という女性ことばを耳にしましたね。

 京都に関してひとつの伝説がある。京都でちょっとした訪問のおり、「まああがっといきやす、ブブヅケでもどうぞ」といわれても、それを本気にしてあがってはいけない。もしあがったら、ごはんがでるどころか、それからたきはじめるのだという。地方のひとはこの話をしては京都人の意地のわるさを批判する。しかしこれは京都にまつわる一種の伝説である。
 (中略)
 だいたい正式の招待は別として、中戸のなかまではいりこんで、食事にあずかるというのは、京都ではありえない。
 他人の家の玄関先より奥にはいるということは、いなかではそうめずらしいことではない。しかし京都では、奥には一歩もはいらないのが礼儀である。それをやぶってあがりこめば、これはもう不作法きわまりない行為ということになる。
 いちおう、「ブブヅケでも」とかるくさそい、相手はそれをやわらかくことわる。それはつきあいの一連のつらなりのなかに組みこまれた、社交的会話にすぎない。(234-235ページ)


 この話は、いまでも物の本で時折紹介されるのでしょうか。


 京都の人はイカ

 そんな中で、私も聞いたことがないたとえが出てきました。

 京都にすもうかというひとのために一言。京都のひとは、かなりつきあいにくいです。あるひとは、こう批評した。
 「京都のひとはイカだ。しろくすきとおるように上品だ。気をゆるしていると、いきなり墨をぶっかけた」。またあるひとはこういう。
 「京都のひとは冷蔵庫だ。面とむかってはさわやかだが、背をむけると首すじにゾッとするものを感じる」。
 いずれもいいえて妙である。つまり、ある点までくると、なにかひややかな頭[ず]のたかさがでてくるのだ。(『京都案内』80ページ)


 イカとか冷蔵庫とか、真夏には涼しそうですね(笑)
 よく、京都の人は裏表(本音と建て前)がある、と言われます。それをちょっと言い換えると、こんな具合になるのかも。


 非観光都市・京都

 梅棹さんの2著は、京都以外の方が読むと、鼻に付くところがあるかも知れません。なんとなく、京都中心主義的な印象もあるし、尊大な雰囲気が感じられなくもないからです。
 『京都案内』に収録された「非観光都市・京都」(1961年)は、そんな文章の代表格です。旅行雑誌に掲載された文章なのに、観光客に説教するような内容なのです。
 抜粋的に紹介してみましょう。

・観光が中心の考え方では「お客はいつも王さま」となるが、こんな無茶な話はない。観光に関係ない市民だっていっぱいいる。

・新聞の投書に、「祇園祭でチマキを買って、なかを開けたらカラだった。京都の商売はインチキだ」というものがあった。京都市民なら、なかがカラなのは幼児だって知っている。祇園祭の前後に来るのに、そんな風習も知らないようでは困る。祭のしきたりについて理解の努力を払うべきである。

・宿屋のドテラやネマキで街を歩く連中がいるが、たいへん評判が悪い。そんな恰好で歩きたければ、本当の「観光都市」へ行ったらよい。少なくとも京都では、観光客はもっと都市生活のマナーを守らなければいけない。

・京都は戦後、「文化観光都市」を宣言したが、文化と観光とは相反する概念である。文化は見世物ではないし、観光化するというのはたいていの場合、文化の破壊である。市民には文化を、おのぼりさんには観光を!

 【「連中」とか「おのぼりさん」とか、刺激的な言葉が並びますが、当時の梅棹さんの表現です、念のため】

・京名物を大衆化して安く買えるようにせよという声があるが、それは無理というものだ。祇園や先斗町を大衆食堂に開放せよというようなものである。もし旅行者が、市民とともに京都の文化を享受しようと思えば、高くつくのは当然だ。

・京都の文化財は日本民族全体の共有物であって、京都市民だけが独占すべきものではない、という批判は、おおいに警戒を要する。所有と使用の権利だけは国民全体で、管理と保護の責任は京都市民に押し付けるということになる。

・祇園祭も送り火も立派な文化である。文化は、それを担う主体者がその文化について確信と誇りを持った場合だけ、盛んにもなるし続きもする。観光化することで主体者である市民に疑惑を持たせ始めており、危険なことである。


 このような調子で、雑誌『旅』の京都・奈良特集に書かれたのですから、編集部はさぞかし困ったでしょうね!

 観光化に対する警戒感が強く出ているのは、例えば1950年代後半から60年代にかけて、祇園祭が大きく変化していったことが象徴的です。そこでは、“信仰か観光か”が議論され、後祭が昭和40年(1965)で廃止されて合同巡行が導入されるなど、大きく変化していったのです。
 そのような時代背景を踏まえて、上の意見を聞くと、信仰や祭礼なども含めた文化の継承を重視される梅棹さんのスタンスが伝わってきます。


 ひと付き合いと物の言い方

 『京都案内』の中で、私が一番納得がいったのは、次のことでした。
 そこには、たぶん梅棹さんが最も言いたかったことも潜んでいる気がします。

 京ことばについてかんがえるとき、無階層的、市民対等意識という基本原則をぬきにすることはできないだろう。京都では、だれしもが自由なる個人という意識が根底にある。社会的には貧富の差やら、ふるい都ならではの、身分的なややこしいことがいろいろあるにもかかわらず、一歩外へでたらみな対等である。ことばづかいに上下関係はありえない。
 わたしは京都大学にいたが、大学にはよそかあはいってきたひともかなりたくさんいた。その人たちのことばづかいをきいて、ほんとうにおどろいた経験がしばしばある。
 たとえば、民主主義者として名声をはせていたある大学の先生が、近所のタバコ屋でタバコをかうのに、「おい、タバコくれ」といった。そういういいかたは、京都では絶対にありえない。「すんまへんけど、タバコおくれやす」となる。「おいタバコくれ」は、京都人の市民原則からは完全にはずれる。わたしらの感覚からすると、信じられない傲慢無礼ないいかたである。(210-211ページ)


 実は、今回『京都案内』を読んでいて、私自身、ひどい衝撃を覚えたのがこの部分でした。
 そんな言い方をする人が本当にいるのか? という偽らざる気持ち。
 タバコを買うときに、「おい、タバコくれ」は絶対にありえないという梅棹さんの感覚が、私の中にもあるのです。想像つかない表現ともいえます。
 たぶん、いまの私なら、「すんませんけど、タバコもらえますか」くらいの言い方だと思います。「もらう」というのは、分けてもらう、というニュアンスですね。こちらが買うのだけれど、あくまでも“買ってやる”ではなくて、“分けてもらう”のです。

 この、市民同士の対等意識ということを、梅棹さんは強調しておられます。
 京都では、およそ、えらそぶるということが嫌がられます。世間的にいう「上下」関係は、ここでは意味がなく、「上」だからといって「下」を蔑むような表現は嫌われるのです。
 それはきっと、この対等意識と関係しています。また、学生を「学生さん」と言い、大事にするというのも、たぶんこれと関係があるのでしょう。

 本書の、京ことばについての細かい実例もたいへんおもしろいのですが、こういう指摘が梅棹さんならではで感心させられます。

 辛口の京都本として、一度手に取られてみてはと思います。




 書 名 :『梅棹忠夫の京都案内』、『京都の精神』 
 著 者 : 梅棹忠夫
 出版社 : 角川書店(角川ソフィア文庫)
 刊行年 : 原著 1987年(文庫版は2004年、2005年)


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