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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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祇園祭 前祭、今年の「山一番」は占出山





占出山


 「山一番」の占出山

 今年から、山鉾巡行が前祭と後祭に分かれた祇園祭。
 いつもと同じ7月17日は前祭(さきのまつり/さきまつり)で、23基の山と鉾が巡行しました。

 今回、まず見ておきたかったのは、占出山です。「うらでやま」と読みます。

  占出山 占出山

 烏丸錦小路を西に入ったところにあります。
 今年は、くじで「山一番」になりました。長刀鉾の次に巡行します。

  占出山 「御山一番」

 巡行は午前9時のスタートですが、占出山は8時から動き始めました。

 とにかく、狭い街路にある山は、烏丸通や四条通に出るまでが一苦労。

  占出山

 山の上に付けられた松などが、電線に引っかかります。それを刺股のような道具で掻き分けながら進むのです。
 占出山は、烏丸通まで僅か100mほどの位置にあるので、わりとすぐに出られました。

 占出山
  烏丸通に出る占出山

 ここで、右折。
 山の場合、舁(か)いて曲がります。

 占出山

 そして、四条烏丸の交差点北側で、待つこと45分。巡行は、まだまだ先の9時にスタートします。
 
 占出山


 神功皇后の説話

 今回、なぜ占出山を見たかったかというと、この山には神功皇后が乗っているからです。

  占出山 神功皇后(占出山)

 右手に、逆J形に曲がった釣ざおを持っています。
 左手には、釣れた鮎(アユ)をさげているのですが、これは隠れていて見えません。あとで見ると、実物より遥かに大きいものでした。

 いま、神功(じんぐう)皇后といっても知名度がありませんが、戦前までは広く知られていた人物で、紙幣の肖像になっていたこともあります。
 朝鮮半島の新羅を攻めたという神話、かつては「三韓征伐」と呼ばれましたが、これで著名な女性です(詳細は文末をご覧ください)。
 京都の寺社に行くと、よく神功皇后と武内宿祢の絵馬が奉納されていて、いつも気になる存在でした。

 神功皇后図絵馬(今宮神社)
  神功皇后図絵馬(今宮神社)
  釣ざおを持ち釣をしている(寛政10年(1798)、海北友徳筆)
 
 神功皇后は、九州から朝鮮半島に向かう前、肥前国の松浦で、鮎を釣って戦さの勝ち負けを占います。見事釣れたので、よい結果になるという話ですが、その故事にちなんで作られたのが占出山です。鮎釣山ともいいます。
 
 宵山の際、占出山をのぞくと、通りの南側に門があり、入ってみると、前懸、胴懸などが公開されていました。

 占出山

 水引は三十六歌仙、前懸と胴懸は日本三景(松島・天橋立・宮島)です。

 その向いが、神功皇后が祀られている御宮です。
 奥に、皇后のおられる厨子があります。

 占出山

 通りからの門は、ふだんも開いているそうですが、この御宮は板戸で閉じられているそうです。
 御宮の名前を町の方に尋ねると、「占出山」ということでした。山の名前そのままなのですね。

 絵馬も奉納されていました。

 占出山

 安産の祈願です。
 神功皇后は、懐胎したまま新羅征討に赴き、帰国後、応神天皇を産んだという説話があるため、安産の信仰を集めています。巡行の順序が早い年は、なおさら産が軽くなるそうで、今年は「一番」ですから効き目は絶大ですね。

 絵馬の絵柄もスイスイ泳ぐ鮎で、元気な赤ちゃんが生まれそうです。

 ちなみに、船鉾や大船鉾なども神功皇后を祀っています。これらでは腹帯や安産御守の授与も行われるそうです。

  船鉾 船鉾の腹帯授与

 巡行が始まってしまうと、なかなか慌ただしいのですが、巡行前の時間帯は町の人たちの和気あいあいとした姿や、準備の様子がうかがえて、とても愉しめます。



 <神功皇后の新羅征討説話(1)> (『日本伝奇伝説大事典』より)

 筑紫にあって熊曾[くまそ]を討とうとする仲哀が神の意志を尋ねたとき、皇后息長帯比売[おきながたらしひめ]は、神懸かりし、金銀や宝がいっぱいある西の国(新羅)を討てと告げる。それを信じない仲哀天皇は神の怒りにふれて死ぬ。
 腹に子を宿した皇后は軍を整え、住吉三神の加護を得て海を渡り、新羅の国の王を服属せしめ、産まれそうになった子を腹に石を纏いて鎮め、筑紫に凱旋したのちに子を生む。
 その後、御子を連れて倭に上る途中、敵対する香坂王・忍熊王を討ち破り、皇后の御子品陀和気命(ほんだわけのみこと)が天皇の位につくのである。それが第十五代応神天皇で、皇后は、のち、百歳で没したという。


 <神功皇后の新羅征討説話(2)> (『国史大辞典』より)

 『日本書紀』によれば、仲哀天皇8年、熊襲[くまそ]を討つため筑紫の橿日宮(かしいのみや)に居る時、皇后は空国(むなしくに)の熊襲よりも宝の国の新羅を帰服させよとの神託を受けたが、天皇はこの神託を疑って従わなかったため、神の怒りを受け急死した。
 翌9年、皇后はまた神託を受け、その神託に従って、熊襲を帰服させ、当時妊娠の身ながら新羅親征を決し、軍船を集め対馬の和珥津(わにつ)より進発し、新羅王を降服させ人質をとり貢調を誓わせた。
 さらに百済・高麗(こま)を帰順させて帰還し、筑紫宇瀰(うみ、福岡県糟屋郡宇美町)で誉田別(ほむだわけ)皇子を生んだ。のちの応神天皇である。
 これがいわゆる新羅征討説話である。



  占出山




 占出山

 所在 京都市中京区錦小路通室町東入ル占出山町
 見学 自由
 交通 地下鉄「四条」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 『日本伝奇伝説大事典』角川書店、1986年
 『国史大辞典』吉川弘文館、1979年


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