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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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きょうの散歩 - 「大将軍」の地名の由来、大将軍八神社を訪ねて - 2014.6.29





大将軍八神社


 「大将軍」という地名

 「大将軍」という言葉、なんだか厳めしく偉そうな感じがします。
 しかし京都では、「大将軍(たいしょうぐん)」といえば、白梅町を少し下がったところ、府立体育館があるあたり、という感覚、つまり地名ですね。
 白梅町とは、今出川通と西大路通の交差点のこと。北野天満宮の西方です(天神さんにちなんで梅の名前です)。

 私も、昔は府立体育館によく行っていましたから、この辺にはしばしば来ていました。
 しかしそれ以上に、この少し下(しも=南)は母の実家があったため大変馴染み深い場所で、その上に、これから紹介する神社のごく近所で、私は生まれたのでした。

 今日は、右京区の鳴滝に行ってきて、その帰り、自転車で一条通を東行しているうちに、知らず知らず通りかかったのです。
 久しぶりです、ここを通るのは。しかし、その神社の境内に入るのは、今日がたぶん初めてだったと思います。


 大内裏の西北に当たる神社

 大将軍八神社
  
 大将軍という珍しい地名の由来になったのが、この大将軍八神社。「たいしょうぐんはちじんじゃ」と読みます。
 30年近く前、大学の某講義で、先生が「グンパチ神社」と言っていたのが未だに忘れられず、今日もそれを思い出して自転車を停め、お詣りしてみました。

 社名は、古くは大将軍堂、のち大将軍社とされたそうで、上の写真にある鳥居の額は「大将軍社」ですね。
 ここでいう「大将軍」は、武将の意味ではありません。『日本国語大辞典』の説明を引いておきましょう。

 陰陽道でまつる八将神の一つ。太白星の精で、地に降り四方をつかさどるといわれる。
 [えとの]巳午未の年は東、申酉戌の年は南、亥子丑の年は西、寅卯辰の年は北というように、3年ごとに四方をめぐって12年目にもとの方位へもどる。
 この神のいる方角は、三年塞(ふさが)りといって、なにごとにも忌まれた。


 方位をつかさどる神なのですね。
 この神社の場所は、平安京大内裏の西北にあたることから、祭祀が行われ、神社につながったと考えられています。

  大将軍八神社

 方除守護と記しています。
 『京都市の地名』によると、江戸後期には大将軍八神宮と呼ばれ、大将軍中心の信仰から、八将軍神の信仰へと幅を広げたといいます。この八将軍(大将軍、太歳神、大陰神など)への信仰から「八神社」と呼ばれるようになったわけですね。
 
 大将軍八神社
  本殿

 6月30日は「夏越しの祓」ということで、茅の輪が作られていました。

 大将軍八神社

 1日早く、茅の輪くぐりをしてきました。




 大将軍八神社

 所在 京都市上京区一条通御前西入ル
 拝観 境内自由
 交通 市バス「北野白梅町」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 『日本歴史地名大系27 京都市の地名』平凡社、1979年
 『日本国語大辞典』小学館、1976年


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