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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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愛宕山の石灯籠は、300年以上前、大阪の豪商により寄進された

洛西




愛宕山


 意外に険しい愛宕山

 京都は、盆地の三方を山に囲まれていますが、その北東には比叡山が、北西には愛宕山がそびえています。
 
 愛宕山(あたごやま)は、標高924m。
 京都府には1000m以上の山がなく、最高峰は971mの皆子山。900m級の山も10数峰で、愛宕山は11位だそうです。

 観光名所の嵐山や嵯峨を奥に進むと、清滝に至ります。2年前、私たちが登ったときは、阪急「嵐山」駅で集合し、そこからバスに乗って清滝まで行きました。

 愛宕山

 登り口は至って分かりやすく、山上に愛宕神社があるため、鳥居も立っています。

 かつて、この山には参詣のためのケーブルカーが敷設されていました。
 昭和4年(1929)の開設ですが、この時期、各地の山上にある寺社にケーブルカーや山岳鉄道が設けられたのでした。高野山や生駒山、信貴山など数多いのですが、京都では大正14年(1925)、すでに比叡山にケーブルカーが開通していました。

 比叡山のケーブルカーについては、こちら! ⇒ <日本画家・福田平八郎が洛北高校前から見た比叡山には、新時代の息吹が…>

 愛宕山も、比叡山に少し遅れてケーブルカーができたわけです。

 愛宕山

 登り口にある駅の跡。
 下は、軌道の名残です。

 愛宕山



 かわらけ投げ

 しかし、ケーブルカーは戦時中に廃止になったため、現在は歩いて登るしかありません。
 その昔は、参詣者が一服するため、登り道の各所に茶屋が設けられ、かわらけ投げのスポットもありました。

 雑誌「上方」より愛宕山かわらけ投げ
  愛宕山のかわらけ投げ(雑誌「上方」42号より)

 谷に向かって素焼きの小皿を投げる「かわらけ投げ」。

 上り坂には、石地蔵と町石が置かれています。

 愛宕山
  町石(左)と石地蔵

 写真の町石(丁石)には、地蔵菩薩を示す種字と、25丁の距離が記されています。愛宕山は、山下から50丁(約5.5㎞)の道のりがあるそうで、かなり険しい参道といえるでしょう。


 大阪商人の信仰を集めて

 愛宕山にも、多くの寺社と同じく、数多くの石造物があり、それらは信者から奉納されたものです。
 地元の人に加えて、大阪の人たちからの奉納品も多くなっています。

 愛宕山

 この立派な石灯籠には、「大坂益組 月参構[講]」と刻まれています。
 大阪から、ここまではかなり遠い気がしますが、嵐山・法輪寺の十三詣りも、「なにわより十三詣り十三里……」と言われたほどですから、大阪から約50㎞!、淀川を遡行し、さらに歩いてやってくれば、お参りできるというわけです。
 「月参講」ですから、月参りしたのでしょうね。

 ほかにも、

 愛宕山

 「大坂天満天神前/阪卯」の文字。
 大阪で著名な料亭「堺卯」と同じ読みですが、違う店だと思われます。

 このように大阪関係のものが多いのですが、一番気になるのは、やはりこちらでしょうか?

 愛宕山

 黒門の手前の石段に転用されている、この石柱です。
 「摂州大坂住人 山中氏之宗/同氏宗利」と刻まれています。

 この「山中氏」とは、いったい?


 大阪の豪商・鴻池家が寄進

 山中氏は、大阪随一の豪商として知られた鴻池(こうのいけ)家を示しています。
 鴻池家は、その初め(同家では「遠祖」と呼ぶ)を山中幸盛としています。幸盛は、出雲の戦国大名・尼子氏の武将で、山中鹿介(しかのすけ、鹿之介)のことです。山中は、播州の村の名前だといいます。

 鹿介の長男は、始祖・新六幸元。そして、その八男は正成で、初代善右衛門となります。

 石造物に刻まれた「之宗」は、鴻池家の二代となる喜右衛門之宗(ゆきむね)、「宗利」はその長男、三代善右衛門宗利です。
 鴻池家は、もとは伊丹で酒造業をはじめ、その江戸廻漕の必要から海運業も手掛けていました。しかし、三代宗利のときにこれらの事業から手を引き、両替商に集中していきます。

 二人の生没年は、之宗は寛永20年(1643)~元禄9年(1696)、宗利は寛文7年(1667)~元文7年(1736)です。
 すると、この石刻の年代も17世紀後半と絞られてくるわけですが、果たして?


 山上の灯籠群

 愛宕山
  黒門

 この黒門、かつての白雲寺の総門です。これをくぐってしばらく行くと、山上の平坦地に至ります。
 そこには、ずらっと石灯籠が建てられています。

 愛宕山

 愛宕山

 単体で見ると、こんな感じで、「奉寄進永代常夜灯」の文字が読めます。右面には「愛宕山宿坊/教学院」とあります。
 そして、左には……

 愛宕山

 「摂州大坂住人 山中氏之宗/同氏宗利」と、先ほどと同じ刻銘です。
 つまり、この灯籠の胴の部分が、石段のところに置かれていたのです。おそらく、壊れた際に再利用されたのでしょう。

 いつ建立されたかというと、正面の「奉寄進永代常夜灯」の左右に、小さめの文字で、「貞享四丁卯年/五月吉日」と刻まれているのです。貞享4年は、約330年前の1687年。二人の生没年とも合致します。

 念のため、『鴻池家年表』を参照すると、二代之宗の項に、「又、喜右衛門は大変信心深い性格でもあり先祖や一門を手厚く祭り、又、京都の愛宕神社へは何度も参詣しており宗利と連名で50数基の石灯籠を寄進している」(9ページ)と記載されています。

 さすが鴻池家。50数基も奉納したのですね。
 それにしても、この山の上に多数の石灯籠を運び上げる労力は大変だったでしょうね。やっぱり、お金が掛かっていそうです。




 愛宕山

 所在 京都市右京区嵯峨愛宕町
 拝観 自由
 交通 京都バス「清滝」下車、徒歩



 【参考文献】
 鴻池統男『鴻池家年表』鴻池合名会社、1991年 


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