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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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珍しい名前の通り、「正面通」を歩いてみた





正面通


 西本願寺の門前は「御前通」とも呼ばれた

 先日、西本願寺の御影堂、阿弥陀堂が国宝になることが報じられました。
 京都駅の近くで集まりがあったので、その前に西本願寺に立ち寄りました。5月21日のことで、ちょうど親鸞上人の誕生日! で、「親鸞聖人降誕会」が執り行われていたようです。

 阿弥陀堂門を出ると、堀川通の東に総門がそびえています。

 正面通
 
 この門の向こうが、正面通です。
 「正面通」、読みは「しょうめんどおり」です。全国的にも珍しい名前ではないでしょうか。
 何の“正面”かは、最後にお話しするとして、まずは歩き始めましょう。

 正面通

 総門を東に出ると、この風景。
 仏具店や数珠店が軒を連ねます。奥に建っているのが、伝道院。こちらも、このたび重要文化財に指定されることが決まりました。

 有名な石像群も、これからは重文ですね。

 正面通
 正面通

 このあたりの正面通は、別名「御前通」とも呼ばれていました。読み方は「おんまえどおり」。
 御前通というと、北野天満宮の南に伸びる街路が著名です。
 しかし、「都名所図会」にも、西本願寺の前の通りを「御前通」と記しています。

 「都名所図会」より本願寺
  「都名所図会」巻2  右下に「御前通」とある

 今は専ら正面通と呼ぶようです。
 仁丹の町名表示も、この通り。

  正面通


 2度突き当たる街路

 伝道院からしばらく歩くと、道路は突き当りになります。

  正面通

 向こうが東本願寺のため、正面通は一旦途切れます。

 ぐるっと迂回して、烏丸通を東へ渡り、書店の法蔵館を横目に見ながら進みます。
 この部分の街路は、中数珠屋町通(なかじゅずやまちどおり)と呼ばれています。
 地図を見ると、正面通とは少しだけ食い違っています。通りの名前は、北に上数珠屋町通、南に下数珠屋町通があり、その真ん中に当たるためです。「数珠屋町」とは、お寺の門前らしい名前ですね。

 ここに気になる近代建築が。

  正面通

 今は使われていないようですが、東本願寺に関係のある建物のようです。
 丸窓に特徴があり、玄関まわりなどに装飾があります。昭和初期頃の建築でしょうか。

 このあたりにも法衣店や表具店があり、前には渉成園(枳殻邸)の黒い門が開いています。

 正面通

 通りは、ここで再び途切れることになります。


 ふたつの正面橋

 渉成園を越えると、河原町通です。道路の向こうから、また正面通が始まります。
 
 正面通

 正面通

 この先に、小さな橋が架かっています。

 正面通

 正面通

 正面橋。
 高瀬川に架かる小さな橋です。
 京都は、タテヨコの通り名で地点を表します。 この橋詰の某社の看板には、「高瀬正面」と書かれていました。高瀬川筋正面通、ということだと思いますが、ぱっと見ると何の意味か全く分かりませんね。


 有名ゲーム機メーカーの旧社屋も

 正面通

 正面通

 当たり前ですが、どこまで行っても正面通。ようやく遠くに東山が見えてきました。
 表示板の「面」の字が時代を感じさせます。

 少し行くと、こんな建物があります。

 正面通

 ゲーム機で有名な任天堂の旧社屋です。
 任天堂は、山内房治郎が明治22年(1889)に花札製造で創業しました。私の少年時代は、任天堂といえば、花札やトランプを作っている会社として知られていました。
 今も付けられたプレートには、「かるた・トランプ 製造元 山内任天堂」とあり、かつての社号でもあった「丸福」のマークも。建物は、昭和初期のもの。
 
 正面通

 さらに進むと、

 正面通

 鴨川に架かる橋。
 その名は、

  正面通

 正面橋。

 先ほどと同じ……

 任天堂のプレートには「正面大橋」とあったので、<四条大橋-四条小橋>のようなパターンからすると、<正面大橋>と<正面小橋>という関係です。しかし、地図などには、どちらも「正面橋」となってるようです。正式名称は、調べていないのですが、どうなのでしょうか?


 そして「正面」へ

 橋を渡って川端通を横断すると、和菓子の甘春堂があり、通りはぐっと狭くなります。

 正面通

 この先には、銭湯の「正面湯」もあります。

 正面通
 
 そして、いよいよ最後の突き当りが見えてきました。
 その右手には、耳塚も。

 正面通
  耳塚

 通りの由来になった何の正面か、ということですが、かつて豊臣秀吉が築いた大仏のある寺、方広寺の正面に当たることから、この名になったのでした。

 「花洛名勝図会」より方広寺
  方広寺  左上が大仏殿 (「花洛名勝図会」巻7より)

 絵に描かれた楼門の前の道ですね。
 現在は、豊国神社になっています。京都国立博物館の北側です。

 正面通

 西本願寺の門前から豊国神社まで、写真を撮りながらゆっくり歩いても1時間ほど。距離にして、直線距離で約1.7㎞、迂回した実際の歩行距離で2.3㎞。案外短いですね。

 振り返ると、夕景の正面通が。

 正面通

 やった、完歩! と思って気づきました。
 西本願寺から西にも正面通があったことを。
 JR山陰線(千本通)までの通りも、正面通でした。これは、また今度歩きましょう。

 意外におもしろい小旅行でした。

 


 正面通
 
 所在 京都市下京区~東山区
 拝観 西本願寺、東本願寺、豊国神社は境内自由
 交通 JR「京都」、京阪電車「七条」下車ほか



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 「花洛名勝図会」1864年
 『ビジュアル・ワイド 京都の大路小路』小学館、2003年


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