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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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絵馬堂が意外におもしろい!(7) - 瀧尾神社 -

洛東




瀧尾神社絵馬舎


 伏見街道に面した瀧尾神社

 京都の市街と伏見を結ぶ伏見街道。本町通とも呼ばれ、「本町」は町名にもなっています。
 伏見と京都市街とは意外に近くて、例えば三条大橋から伏見稲荷大社へ歩いてみると、ほぼ1時間、1里(約4km)の道程です。
 国立博物館や三十三間堂のある七条通を渡り、JR東海道線を越えてしばらく南へ行くと、通りに面して瀧尾神社が建っています。

 瀧尾神社
  瀧尾神社  藤森神社の祭礼の準備が行われていた

 石鳥居は西向きです。別に、南向きの朱塗りの鳥居があり、そちらが正面ということになるのでしょう。
 この鳥居の右側(境内の南西隅)に、絵馬舎があります。


 こぢんまりとした絵馬舎

 切妻造の屋根に、組物も舟肘木という簡素で小さな絵馬舎。

 瀧尾神社絵馬舎
  瀧尾神社 絵馬舎 北側より

 瀧尾神社絵馬舎
  南側より

 これまで、北野天満宮や八坂神社、今宮神社など大規模な絵馬舎を見てきました。それらは桁行も六、七間、屋根も入母屋造だったりしましたが(八坂、今宮)、それに比べると、かなり小ぶりで簡素です。桁行二間、梁間一間。もちろん、神社の規模に照らし合わせると、程よい造りだと思います。

 この建物は、天保11年(1840)に建てられたものなので、細部には少し“おっ”と思うところがあるのです。

 瀧尾神社絵馬舎
  象鼻

 貫(ぬき)の突き出した部分、木鼻ですが、これがゾウの形をした「象鼻」になっています。
 ハナが「の」字になっているうえ、表情も、どうでしょう少し笑っているように見えませんか? 江戸時代のゾウの絵画などを見ると、なぜか笑っているような顔を見掛けますけれど、これもその仲間でしょうか。
 木鼻はおもしろいので、いずれ特集するとして、今日は掛かっている絵馬を見ていきましょう。


 少年少女の習字は何を書く?

 絵馬舎の内外には、十数面の絵馬が掲げられています。興味深いものも多いのですが、退色も進んでいます。

 瀧尾神社絵馬舎

 今日は、2種類ほど紹介したいのですが、まずはこちら。

 瀧尾神社絵馬舎

 昭和7年(1932)4月に、角熊嘉一郎という人が奉献した「少年一字書」と題した絵馬です。
 額はガラスがはめられていて、その中に少年少女が書いた習字が貼付されています。
 左半分は痛みが激しく、剥がれていて読めません。
 彼らの年齢は、見える部分で8歳から18歳までと幅広く、名前も記されています。

 では、何が書かれているのでしょうか?
 戦前にお生まれの方なら、すぐに分かるのではと思います。

 「身体髪膚、これを父母に受く……」

 暗唱された方も多いと思いますが、「孝経」の有名な一節です。儒教の道徳として重んじられる「孝」の概念を示したものです。

 身体髪膚 受之父母 (身体髪膚[はっぷ]、これを父母に受く)
 不敢毀傷 孝之始也 (あえて毀傷せざるは、孝の始めなり)
 立身行道 揚名於後世(身を立て道を行い、名を後世に揚げ)
 以顕父母 孝之終也 (もって父母を顕す、孝の終わりなり)


 額をよく見ると、中央に「孝経」と大書されています(横に「経孝」)。

 瀧尾神社絵馬舎

 孝経の字数は33字。紙を貼るスペースは6×7=42あります。
 中央に「孝経」と大書して場所を占めていますが、最後の行には余りがあるようです。最終行の一番上の文字は「之」のようなので、あとは「終也」。3文字分、他の何かが書かれていたのでしょう。

 少年少女に諳んじさせた孝経の句を習字して奉納するのはありそうな話ですが、それにしても額も立派で、少し考えさせられます。

 奉納者は「角熊嘉一郎」と記しているのですが、これは誰なのでしょうか?


 酒屋さんが奉納?

 手近かにあった『大阪市京都市神戸市名古屋市 商工業者資産録』(明治35年)というものを調べてみました。
 すると、「角熊治兵衛」という名前があったのです。次のように記載されています。

 角熊治兵衛
 下[下京区]本町一ノ橋下ル  酒醤油小売  商号花治  天保十四年[1843]十二月生 


 一ノ橋は、伏見街道に順番に架けられていた橋のうちの第一橋で、東福寺駅の北にありました。別の史料で、角熊家は本町11丁目にあったと分かります。

 ということで、現代の地図を調べてみると……

 なんと、瀧尾神社の真向いに「つのくま」さんという酒屋さんがあるのでした!

 現地を訪れたときは、さすがに気付きませんでした(見ていたのですが……)。

 『商工業者資産録』の治兵衛氏は、天保14年(1843)生まれですから、絵馬が掲出された昭和7年(1932)には亡くなっていたかも知れません。
 そこで、『昭和五年版 大日本商工録』(1930)を見てみると、「和洋酒類(醤油味噌)」の項に「角熊孝治」という名前が出てきました。ただ、こちらも絵馬にある「嘉一郎」ではありませんね。

 慎重に考えると、嘉一郎氏は酒屋の角熊家の人かも知れないし、その親類の人とも思えます。決定打へは、もうひと調べ要りそうです。


 大丸の奉納絵馬
 
 瀧尾神社の絵馬舎で、ひときわ目につくのは、何枚も掲げられた大丸の店舗の絵馬です。

 瀧尾神社絵馬舎

 瀧尾神社絵馬舎

 上の方は、絵馬舎の外に掲げられたものです。うっすらとした文字で、宝暦年間の店舗のようすを写したと記されています。絵馬自体は近代のものなのでしょう。
 下の方は、内に掛けられたもの。のれんに大丸の印が入っています。残念ながら、いつのものかは分かりません。
 
 おもしろいのは、外に掛けられた写真絵馬です。

 瀧尾神社絵馬舎

 厳重に金網が張ってあります。
 この絵馬は、宝暦の様子を写した絵馬の右隣に掛かっていますから、当然ながら大丸の店舗だと想像が付きます。
 念のため、調べてみました。

 瀧尾神社絵馬舎

 大丸が、京都・四条高倉の場所(現・京都店)に店を建設したのは、明治45年(1912)10月のことでした。
 しかし、大正10年(1911)8月16日、この店舗は火災で全焼してしまったのです。
 それから数年、仮店舗での営業が続いたのですが、大正15年(1926)に4階建の東館を建設し、つづく昭和3年(1928)11月には6階建の壮麗な店舗を建設しました。いわゆる「御大典記念」というわけです。

 これは大阪店も設計したW.M.ヴォーリズの手になるもので、現在でも高倉通側の東壁面や内部にその意匠をとどめています。
 写真で見ると、四条通に開いた正面玄関が、2フロア分を大きく取っていて目立ちますね。


 下村家の篤い信仰

 肝心の、なぜ大丸がここに多数の絵馬を奉納しているかということ。
 
 境内を見ていると、近所のおじさんに話しかけられました。絵馬のことを言ってみると、

 「昔、大丸の下村さんが京都の店に通う時、毎日ここを歩いて行ったんや。その道すがら、このお宮さんに 『私の商売が大きくなったら、立派な社殿を建てますさかいに』 と拝んでたんや」

 という感じで、詳しく教えてくれました。

 そんなことで、大丸の社史を調べてみると、次のように記されています

 大丸は、下村彦右衛門正啓が、享保2年(1717)に伏見で呉服店を開いたことに始まります。
 家伝によると、家業の古着商を継いだ正啓は、京都へ行商に出向きます。その行き来に、沿道にあった瀧尾神社に詣で、商売繁盛、家運隆盛を祈願したといいます。
 社史には、彼の誓いの言葉が記されています。

「日々の商売繁盛の外に我らをして代々に必ず千人の長とならしめたまへ、この願ひだに成就いたさば如何様にも社殿を修め祭祀を厚くして神慮に報ひ奉らん」(『大丸百二拾五年史』7ページ)

 最初にふれたように、京の町までは約1里の道のり。十分行商に行ける範囲です。

 その後、成功した正啓と子孫たちは、瀧尾神社に感謝して、繰り返し社殿造営を行っています。最後に造営された天保年間の社殿については回を改めて紹介するとして、2つの名残を見ておきましょう。

 瀧尾神社 稲荷社

 本殿右にある繁盛稲荷。提灯に「大丸繁盛稲荷」と記されています。

 瀧尾神社
 瀧尾神社

 石鳥居の左右にある石灯籠。裏面に「下村店」とあり、享和3年(1803)5月の銘があります。
 下村家の篤い信心がうかがえますが、それは社殿にも強く表れています。

 (以下、次回)




 瀧尾神社 絵馬舎 (京都市指定有形文化財)

 所在 京都市東山区本町
 拝観 境内自由
 交通 JR・京阪「東福寺」下車、徒歩約5分



 【参考文献】
 大丸二百五十年史編集委員会『大丸二百五拾年史』大丸、1967年
 本田富世彦『大丸史』京都縦横公論社、1932年
 『大阪市京都市神戸市名古屋市商工業者資産録』商業興信所、1902年(『都道府県別資産家地主総覧 京都編1、2』日本図書センター、1991年 所収)
 『昭和五年版大日本商工録』大日本商工会、1930年(同上所収)


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