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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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続・上方芸能の行く末 - 文楽・竹本住大夫さん引退公演 -

その他




国立文楽劇場


 劇場に行く前

 国立文楽劇場の四月公演は、「菅原伝授手習鑑」。文楽劇場開場30周年記念であるとともに、七世竹本住大夫引退公演と銘打たれています。初舞台から、実に68年。最後の公演です。

 出掛ける前、文楽劇場のウェブサイトに掲載された住大夫さんの「四月文楽公演の初日に」という挨拶文を読みました。
 「『桜丸切腹の段』はこれまで何度となくつとめ、好きな演目ですが、稽古をしますと、まだまだ足りないところがあります」と記しておられます。

 文楽に行くと、各段の最初に黒子が出てきて、「○○の段、相(あい)つとめまする大夫、竹本住大夫」などと口上します。「アイつとめまするたゆぅ、たけぇもと、すみぃたゆぅ~」という、この独特の節回しが文楽らしい情調を醸し出ます。思えば、大相撲を見に行っても、行事が「こぉなぁたぁ、○○ゥ~」といった節回しをしますが、長い興行のなかで自ずと培われ、先人の身に浸み込んだリズム感がここにはあります。

 それにしても「つとめる」というへりくだった述べ方は、たいへん興味深いものです。文楽に限らず、歌舞伎でも「役をつとめる」と言いますし、相撲でも「土俵をつとめる」と言います。
 この「つとめる」という意識もまた、長らく受け継がれてきた演者の精神であるのでしょう。


 公演まで

 午後4時開演にもかかわらず、2時半には文楽劇場に着いてしまい、少し写真を撮ったあと、辺りをぶらつきました。
 劇場から西へ行くと、日本橋筋一丁目の交差点、昔から地元の人は「ニッポンイチ」という、その交差点を渡って、千日前、難波高島屋前、戎橋筋と、ぐるっと回遊して歩きます。平日の昼間なのに人波は途切れず、往時見世物が行われ、廓の店々が立ち並んだ難波新地の喧騒を彷彿とさせます。
 もちろん、かつて難波新地で人形浄瑠璃が行われたわけではないでしょうが、おそらく発足まもない頃の人形浄瑠璃は、このような熱気の中で喝采を以て迎えられたことでしょう。その、よき意味での「大衆」の熱さがこの街には今も感じられます。
 文字通り老若男女が入り混じった喫茶店でコーヒーを啜ってから、再び劇場へ戻ります。

 千日前


 劇場にて

 平日にもかかわらず、人の入りはかなり多いようでした。やはり住大夫さんを最後に聴いておこうという方が多いのでしょう。
 「菅原伝授手習鑑」第二部は、粛々と進められましたが、「桜丸切腹の段」で住大夫さんが登場すると、割れんばかりの拍手が起こり、「待ってました、住大夫さん」の声が掛かって、住大夫さんが語り始めます。
 1時間ほどして、この段が終わると、また万雷の拍手に包まれて、住大夫さんは退いていきました。

 25分の休憩後、再び始まった公演は、なにか“腑が抜けた”ような雰囲気になったのです。

 文楽劇場の提灯


 帰路

 この四月公演は、平常よりもかなり来場者数が多くなるのは間違いないでしょう。
 しかし、よく言われるセリフを真似すれば、問題はそのあと、ということになるのも、また間違いありません。

 帰りの車中、つらつら考えたのです。
 すでに「古典芸能」となった文楽は、この先、どのように進んでいけばいいのだろうか、と。

 これを考えるには、観劇スタイルの問題と、上演内容の問題と、ふたつを考慮する必要がありそうです。いずれも、大きな変更を行ってみてもよいのではと思います。

 まず、観劇のスタイル。
 なんといっても、昼夜ニ部興行の限界。第二部が、午後4時から始まるような設定は、平日は勤め人の方に来るなと言っているのと同じです(第一部ももちろん行けません)。
 お芝居の二部興行は、椅子席と並んで、大正時代から昭和初期にかけて導入された制度で、当時では“現代的”な対応として生まれたものです。しかし、それから約百年間も変わっていません。

 やはり、第二部は午後7時から始めるべきです。終わりは、9時です。
 プロ野球のナイトゲームの多くは、午後6時プレイボールですが、球場にお客さんが揃うのは7時頃になります。野球は途中から見てもそれなりに楽しめますが、ストーリーのある演劇はそうはいきません。だから、7時開演なのです。
 帰途に就く時刻を考えると、終演は9時、もしくは9時半です。そうすると、上演時間は2時間から2時間半となります。

 文楽劇場看板

 このとき考えないといけないことが、上演内容の変更です。
 今日見た「菅原伝授手習鑑」では、有名な後半のクライマックス「寺入りの段」と「寺子屋の段」で、6時45分から9時までかかりました。2時間15分です。これなら、新しい夜の部の枠にちょうど当てはまります。
 こんなふうに、おもしろい段だけ上演する方法(見取り方式)もよいのですが、私は新作の“2時間ドラマ”を創作すればおもしろい、と思っています。
 この前、ここに書いた記事では、文楽が現代人に受け入れられるためには、物語で「共感」を得ることが大切だろうと述べました。

 ところが、今日見た「寺子屋の段」でも、少し首をひねるところがあります。
 松王丸は、自分の息子・小太郎を寺子屋へ送り込み、源蔵にその子を討たせて、菅原道真の息子・菅秀才の首として左大臣・時平へ提出させます。討たれた子供が実は松王丸の息子だったという事実が告白されるくだりは緊迫感があり、現代の私たちにも大きな共感をもたらします。
 しかし、その事実の告白のあとに、かなり長い時間を割いて野辺の送り(葬送)の場面が続くのです。松王丸夫妻が白い帷子を着て、息子の亡骸を送ろうとするところで物語は終わります。“このシーン、もう少しコンパクトにできないかな”と感じるほどの長さです。もちろん、長いということは、江戸時代の人々はこの場面に共感していたわけです。だから、たっぷり描くのです。おそらく当時は、亡くなった人を送る儀式が、現代に比べて重い意味を持っていたのでしょう。
 それはよく分かるのですが、文楽は歴史の勉強ではないのですから、ここは思い切って端折りたいところ。つまり、台本を書き直すのです。

 「タブー」に踏み込む考えだなぁとも思うのですが、事態はそれくらい深刻のようにも感じられます。
 現代にマッチした台本のリライト、つまり「新・菅原伝授……」のような話の創作。そして、まったくの新作の創造。もちろん、洋服を着た文楽人形はあり得ないので、舞台は江戸時代、つまり時代劇です。
 かつて藤田まこと演じる中村主水を主人公としたテレビドラマ「必殺仕事人」がありましたが、あのように、現代社会のネタを取り込んだ時代劇を作ってみる。そうすれば、私たちもおもしろく見られるし、共感できる物語になり得るのではないかと思うのです。

 消費税の関係で、文楽の1等席(一般)は6,000円になりました。4~5時間あるのだから決して高いとは思いませんが、安くもない値段です。これから、今までと同じようにやっていても観客数が増えるとは考えにくいし、文楽の理解者が増えるとも思えません。
 文楽を、大衆的な芸能から「古典芸能」化したのは現代社会の知恵だったと思いますが、古典芸能の存在意義すら理解しようとしない人が増えてきている現在、新しい観客を取り込んでいけるシステムや演目が必要ではないでしょうか。
 そのためには、かなり大きな変化にチャレンジしてみることが大切だと思います。「伝統」とは、ただ単に古いものを墨守することではありません。よい部分を守りながら、常に新しい試みを行い、時代と寄り添いながら生き続けていくことなのです。

 新時代を歩み出す文楽が、多くの人たちに受け入れられることを願ってやみません。



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