門のガイドブックで、門を見る
|建築|

門の本 !?
建築の中でも、門は目立った存在ですが、その愛好家はどれくらいいるのでしょうか?
私は、どちらかというと門が好きな方だと思います。外観を見るのも好きですし、二階へ上がれるものは上がらしてもらいます。シンプルだけれど、捨てがたい魅力を持っていると言っていいでしょう。
今日は、2、3の門の案内書を紹介しながら、京都の門を見ていきましょう。
1冊目は、岸熊吉『日本門牆史話』。読みは「にほん もんしょく しわ」です。
「門牆」って難しい言葉ですが、門と垣のことです。
岸熊吉は、東京美術学校で建築を学んだ後、京都府や奈良県で古社寺修理に従事した人で、法隆寺国宝保存工事事務所の所長も務めています。古代史家の岸俊男氏の父君です。
この本は、戦後まもない昭和21年(1946)に出版されています。そのため、私の持っている本はカバーなどがボロボロになってきています。
戦時中に執筆されていたものだそうですが、もとは奈良帝室博物館の列品講座で話した内容といいます。
岸熊吉の門の分類
だいたい、門の本を繙くと、その形態あるいは構造によって分類し、説明されています。
ところが、岸熊吉の場合、まず「用途に依る分類」という章が立てられているのです。

「皇宮の門」 京都御所建礼門
その分け方は、
1.皇宮 並に都城の門
2.神社の門
3.寺院 並に廟の門
4.城の門
5.民家の門
一番目に「皇宮並に都城の門」が来ているのは、時代色ともいえるし、彼自身が藤原宮跡の発掘調査を行っていたことと関係がありそうです。
二番目が神社なのも同様ですが、本書では鳥居も取り上げているところが特徴的です。
そのあと「様式に依る分類」で、こちらはまず重層門(2階建)と単層門(1階建)に分けてから、重層門は「○間○戸」という規模に着目し、単層門は規模とあわせて形式も考慮して紹介していきます。
アサヒ写真ブック『日本の門』

この形式(様式)によって紹介する方法を踏襲している本が、アサヒ写真ブック『日本の門』です。昭和32年(1957)に刊行されたもので、解説は建築史家の浅野清博士が執筆しています。
浅野氏は、その経歴において法隆寺国宝保存工事事務所の所長を務めたという点で、岸熊吉と同じ(2回りほども後輩ですが)なのです。
この『日本の門』は、写真を中心とした「写真ブック」で64ページしかないのですが、解説が充実しています。
門で最大規模のものは、九間七戸の重層門です。「間」(けん)とは柱の間のことで、「戸」(こ)は扉のことです。この場合、柱間が9つあり、センターの五間に扉が5つ付いていたということです。
これは、歴史上、都城の羅城門に採用されたものです(七間五戸などの説もあります)。

羅城門(史跡の案内板より)
イラストでは七間五戸の説を取っている
九間にせよ七間にせよ、今日見ることのできない大規模な門でした。
私たちが見る規模の大きい重層門は、五間三戸です。

五間三戸の重層門(知恩院三門)
京都では、この知恩院三門は巨大なことで有名ですが、他にも東福寺三門、大徳寺山門、仁和寺二王門、南禅寺三門、萬福寺三門などが五間三戸の重層門です。禅寺が多いですね。
次に紹介されるのが、「楼門」です。
二階建の門の中で、屋根が二重になっているものが重層門、屋根が上層だけにある(下層にない)門が楼門です。
最大の楼門は、五間三戸の東大寺中門だそうです。
一般的には、三間一戸が多いといいます。

三間一戸の楼門(下鴨神社楼門)
京都で一番有名な門かも知れない八坂神社西楼門も、この形式です。

三間一戸の楼門(八坂神社西楼門)
ただ、この門で特徴なのは、屋根が切妻造だというところ。ふつう、楼門の屋根は入母屋造なのですが、これは切妻です。その分、素軽い感じがします。
この点について、浅野博士はこう述べておられます。
切妻造りは入母屋造りよりも形が簡素であるが、それだけではなく、切妻造りは、複雑で、格式の高い斗栱をつけることが出来ない構造である。だから、こうした簡素な屋根を持つ建物を二階建の楼門上にあげるのは少々矛盾した行き方とも考えられる。
然し、我国最古の楼建築である法隆寺経楼や鐘楼は切妻造りであるのだから、類例が少ないというのみで、これが型破りであるとはいえないようだ。むしろ簡素な神社の社殿には、このような簡単な形式がよく釣合つている。(14ページ)
下の門は、三間一戸の重層門です。

三間一戸の重層門(清凉寺山門)
八脚門と四脚門
次は「八脚門」です。ふつう「やつあしもん」と言っています。
この門は、柱が前に4本、後ろに4本、計8本あるのでこう呼ばれます。
柱間は3つですから、ふつう三間一戸の平屋という形になります。

八脚門(東寺蓮花門)
東寺は門の宝庫で、国指定の門が6つ、そのうち南大門以外はすべて鎌倉時代のものです。なかでも、西側にある蓮花門は唯一国宝に指定されています。
奈良の東大寺転害門や法隆寺東大門は8世紀、奈良時代と極めて古いのですが、それらに次ぐ八脚門が東寺の諸門なので、八脚門の古例といえます。どの門も懸魚などが古風で魅かれます。
「四脚門」は、前に2本、後ろに2本、計4本の柱を持つ門です。こちらは「よつあしもん」ですね。
柱間は1つですから、一間一戸の平屋の門というわけです。

四脚門(建仁寺勅使門)
別名「矢の根門」と呼ばれる建仁寺勅使門。境内の南に開いています。
浅野博士も、「垢ぬけした調子のいい建物」と評される、軽い感じがする門です。
華麗な唐門
唐門は小ぶりなものが多いのですが、華やかな印象を与えます。
弓型のカーブを側面に持ってきた(平入りの)唐門を「平唐門」(ひらからもん)と言います。

平唐門(醍醐寺三宝院唐門)
通常、平唐門は地味になるのですが、これは別格。
大きな菊文と桐文が付いていて、桃山らしい豪胆な意匠です。近年修復されて鮮やかになりました。

向唐門(西本願寺唐門)
弓型のカーブが正面に見えるものを「向唐門」(むこうからもん)と呼びます。
装飾が豊かで見飽きないところから「日暮門」とも称される国宝の西本願寺唐門です。側面(妻側)は、入母屋造になっています。

向唐門(東寺小子房勅使門)
私の好きな唐門のひとつ。東寺の小子房(こしぼう)にある門です。
ほとんどの拝観者は見逃してしまいますが、金堂の西方にあります。大正期から昭和初期のものと思いますが、当時の京都府技師のセンスがうかがえる小品です。

薬医門(妙覚寺大門)
2本の柱に屋根を載せる「棟門」は最もシンプルな門ですが、柱が2本で不安なために、さらに控柱を2本付け加えたものが「薬医門」です。
メインの柱が、重心より前方にあり、後方に控柱が立っています。真横から見ると、よく分かります。
まだまだある……

高麗門(京都御所蛤御門)
これは「高麗門」ですね。
本柱と控柱との間に、小さな屋根が掛かっているので、内側から見るとすぐ分かります。
背が高い門なので乗馬のまま通れ、城門でもおなじみ。御所の外周にある九門は、みんな高麗門です。
こちらは、番所の付いた大名屋敷のような門。

番所の付いた門(西本願寺大玄関門)
西本願寺の南側、唐門の西方にあります。
唐破風の付いた両番所が立派で、見惚れますね。番所に唐破風を用いるのは、格が高い大名家などに限られます。
その左には、台所門が。

長屋門(西本願寺台所門)
なまこ壁のある長屋門で、こちらは片流れの番所が付いています。上の大玄関門より格が下がる門というわけです。
昔は、いわゆる“台所”(寺務所ですね)の入口だったわけで台所門と呼ばれていますが、今は幼稚園の門になりました。東本願寺にも、これと似たような門があります。
というわけで、『日本の門』に従いながら、主な門の種類を紹介してみました。
最後に、便利な本をもう1冊紹介しておきましょう。
下村泰一『門-京都-』。タイトルそのまま、京都の門80余りをひとつひとつ紹介していて、国指定のもの(当時)は網羅されています。昭和42年(1967)刊ですから、それなりに古いのですが、寺社の門は変わらないので大丈夫です。
今日紹介した本は、いずれも図書館で閲覧するか古書で求めるしかないのですが、私はそれぞれ、1000円、500円、1500円で購入しました! 安すぎますが、安い分には困らないので、重宝しています。

清水寺 仁王門(左)と西門
【参考文献】
岸熊吉『日本門牆史話』大八洲出版、1946年
『アサヒ写真ブック54 日本の門』朝日新聞社、1957年
下村泰一『門-京都-』京都府観光連盟、1967年
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