遷都先は「どこでもよかった」という見解に話題集中! - 井上満郎『桓武天皇と平安京』 -
|京都本|

「人をあるく」シリーズの1冊
昨秋から始まった吉川弘文館の新シリーズ「人をあるく」。
今回は、その1冊、井上満郎『桓武天皇と平安京』をひもといてみましょう。実は、昨日の会合で、たまたまこの本の話題が出たので、取り上げる次第です。
井上満郎先生は、長く京都産業大学の教授を務めておられました。私の大学にも出講しておられ、学生時代は講義を聞いたり、先生が受託された調査のお手伝いをしたこともあります。ぱっと見は恐い感じだったのですが、実際は優しい先生でした(笑)
京都の古代史を研究されていて、現在は京都市歴史資料館長、京都市埋蔵文化財研究所長を務めておられます。
遷都先は「どこでもよかった」!?
本書には、桓武天皇の生涯とともに、彼が行った長岡京遷都と平安京遷都についても詳しく述べられています。
昨日の同席者が、本書で印象に残っていると言っていた点が、<遷都する場所はどこでもよかった>という見解だというのです。
確かに、読んでいると、その表現が何度も出てきます。
いってみれば行き先はどこでもよかった。(40ページ、長岡京遷都について)
早い話が行き先はどこでもよかったというところが本当なように思う。(104ページ、長岡京遷都について)
行く先はどこでもよかった。(119ページ、平安京遷都について)
さほど厚くない本の中で、遷都する場所はどこでもよかったと、何度も言っておられます。これは気になりますね。
逆の<どこでもよくない>例として、平安京については、昔から「四神相応説」ということが言われています。つまり、青竜、朱雀、白虎、玄武とみなせる山や川などがある土地に都を定めたという考え方です。
これについて、井上氏は「風水思想ないし四神相応説というべき考えである。これはいろんな人が言っていて、国民的にはかなり普及した考え方とはいえよう。学問的には特に誰によって論証されたというものでもない(後略)」。
“国民的にはかなり普及した考え方”!
言い得て妙ですね。
特に証明された考えではないということです。
四神相応説に基づいて都を造った、というような説明の仕方が一般的に受け入れられやすいのは間違いないところです。しかし氏は、結局「平安京の地の選定について、四神相応説なり風水思想なりが原因を与えたと私は考えない」と、はっきり述べています。
種明かしをすると、“行き先はどこでもよかった”には修飾句があります。
上に引いた104ページでは、
山背国乙訓郡長岡村の地は、どうして都の地として選ばれたのか。その理由は何なのか。これはよく分からない。いくつか想定されているものがあるが、目的は平城京を去って新しい政治拠点をつくることであったから、早い話が行き先はどこでもよかったというところが本当のように思う。(下線引用者)
としつつ、水陸交通の便などについて説明されています。
昨日、私が聴いた話にもあったのですが、例えば、長岡宮の大極殿、朝堂院などの瓦や部材は、おおかた難波宮から運ばれています。
これは、淀川を利用して運搬したもので、この一例からも交通の便利な場所と分かります。
あるいは、井上氏は、山背が桓武天皇の母(高野新笠)の実家のある場所、言い換えれば天皇自身の生育地であることをあげています。また、それにかかわりますが、渡来人の居住地だった点を重視しています。
しかし、いずれにせよ、遷都の目的は、新しい政治拠点、政治環境を作ることにあると力説されています。
確かに、政治力学が働きすぎる旧都から、白紙の新都に遷ること自体が目的だ、ということはよく理解できます。
この、一見本末転倒したような思考法は、もしかすると異論もあるのだろうけれど、私にはおもしろく感じられました。
現実って、こうだよな、と思わせてくれる話です。
書 名:『人をあるく 桓武天皇と平安京』
著 者:井上満郎
出版社:吉川弘文館
発行年:2013年
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