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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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ファサード保存の先駆けとなった中京郵便局に、先人たちの思いと知恵をみる





中京郵便局


 三条通の名建築が改築の危機に!

 最近の三条通といえば、若い人たち向けのショップが並ぶようになって、週末はいつもにぎわっています。かつての老舗は減りましたけれど、道幅は昔ながらに狭く、京都らしい落ち着きを感じさせます。

 そして、近代建築がたくさん残っている通りとしても知られていますね。
 重要文化財の旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)や、商業ビルに再生された旧大阪毎日新聞京都支局(現・ART COMPLEX 1928)、そして中小規模の銀行、生命保険会社、商店なども残され、目を楽しませてくれます。

  中京郵便局 烏丸三条東入ルから西を望む

 そんな中で、烏丸通から三条通に入って行くと、煉瓦造の美しい建物が見えてきます。
 中京郵便局です。

 中京郵便局
  中京郵便局(京都市指定文化財)

 三条東洞院の角にあります。現役の郵便局で、所有者は日本郵政。
 明治35年(1902)、当時の逓信省により建てられました。設計者は、同省技師だった吉井茂則、三橋四郎とされています。建った頃には京都郵便電信局と言われていて、京都の本局でした。
 三条通のランドマークのひとつとして、長く京都市民に親しまれてきました。
 
 しかし、戦後の昭和30年代末ともなると、さすがに業務に差し障りが出るほどの手狭さが目立ってきました。郵政省内で検討の結果、同じ場所に局舎を建て替えることになったのです。
 昭和48年(1973)、実施設計を行い、建て替えは目前に迫りました。
 そう、明治時代の煉瓦建築が取り壊されることになったのです!


 保存の要望

 建て替えに対して、郵政省の内部や学会などからストップの声が上がりました。日本建築学会近畿支部を中心に、隣接する平安博物館や京都市文化観光資源調査会などから保存の要望が出てきたのです。
 昭和48年8月30日、日本建築学会近畿支部(支部長・堀内三郎氏)は、郵政大臣に要望書を提出します。
(以下、特に断りのない引用は『建築記録/中京郵便局』より)

 この要望書を読むと、いくつかの注目すべき指摘があります。
 1つは、昭和24年(1949)に中央郵便局が京都駅前に移された後も郵便局として使用され続けてきた、つまり「明治中期の郵便局が今日に至るまでその本来の目的によって機能し続けてきた」点を高く評価しています。
 2つは、かつて「逓信省」が所管した郵便局や電信電話局の建築を「逓信建築」と呼び、それが日本の建築界において指導的な役割を果たしてきたと述べています。その上で、この郵便局を「逓信建築の原点としてわが近代建築史上かけがえのないモニュメント」であると指摘します。
 3つは、この建築は大都市の中心部で奇跡的に残ってきたが、それを守り抜いてきた郵便局長や局員、地区住民の努力に敬意を表し、「私共はこの貴重な先人の遺産を後世に伝える責任を強く重く感じる」と述べています。

 もちろん、今日の建物保存でよく指摘される景観上の重要性も述べられており(例えば「三条通りにあって明治の余香をかもす街区の貴重な構成要素でもあります」)、都市景観を維持する上で重要で、「単に一庁舎の使用上・事務能率上の便・不便によって律し去るべきものではありません」と言われています。
 けれども、この建物の保存までのプロセスを考えると、そのことよりも上記の3点の方がより大切ではなかったのかと、私は感じています。

  中京郵便局
  改築前の中京郵便局(同局の展示パネルより)


 「死んだ建物」

 今を遡ること40年、昭和48年(1973)当時の郵政省・建築部の人たちは、この保存要望についてどう考えたのでしょうか?

 同年10月に行われた建築部と保存を求める人たちの意見交換会で、建築部は次のように述べています。

 中京局は70年の使用に耐えて来たが、近年は局舎としての機能を果たし得なくなっている。例えば、車輛の発着場がなく辛うじて一輌が接車出来るのみで業務を阻害し、公衆室[註:客がたまるスペース]への高い階段とも相まって、サービス面で利用者の方々からの苦情も多い。
 (中略)
 省として文化財に対し無理解では決してなく、むしろ積極的に取りくんでいる。伊勢の山田郵便局を当方の負担で明治村に移設し、現在保守費迄も負担している事例でもお分りのことと思う。中京局の保存についても、いろいろ検討を加えた結果、他に方法がなくやむを得ぬことなので、その間の事情をくみとって了解してほしい。


 郵政の建築部は、70年という時代を経る中で郵便業務も変化し、郵便庁舎としての機能が全うできなくなったことを強調しています。
 これに対し、保存を訴える人たちからは、明治の面影を残す三条通の都市景観は貴重であり、それを維持する点から、「全面的な保存は困難と思うが、都市景観を保持出来るように、部分的でも良いから保存されるよう、強く要望する」と述べたのです。

 私が、たいへん興味深く思うのは、それに対する建築部の答えでした。

 部分的に残すということは、我々は当初の段階ではあまり考えなかった。それはまず第一に、部分的にしろ古い部分を残すと、それが新築部分をも拘束して、局の機能が著しく阻害されるのと、そのように表面だけを残すということが果たして本当に古い建築を保存する方法なのか、という疑問が大きかったからである。
 現局舎は郵便局としての機能を果たし終えて、いわば、機能的には死んだ建物である。そのファサードだけを残すことが、中京局を保存したことになるかどうかは疑問である。


 この発言は、一見詭弁のようにも思えるのですが、建築というものの本質を突いて止みません。
 「機能的には死んだ建物」という衝撃的な言葉に、深く考えさせられます。

 郵政省の建築を造り続けてきた建築部の人たちは、建物の外観(上に言う「表面」「ファサード」)は機能と表裏一体であると考えているのでした。
 これは、機能主義の考え方です。『建築学用語辞典』によれば、「機能主義」とは、

 近代建築運動の代表的なスローガンの一つ。形態は機能によって決定されるとし、機能的なものは、美しいとする。

 と定義されています。

 つまり、建築のファサード(外面)は機能と共にあるのであって、コロモのようにそれだけ引き剥がすことができるのか、という考え方です。
 機能的に役目を終えた建物が、そのコロモだけを残すなんて、それは“建築の亡霊”になりかねない。機能とファサードは常に一心同体である、と。

 このような考え方は、戦前の逓信省から培われてきた「逓信建築」の伝統だったのでしょう。このことは、戦前の逓信省技師・吉田鉄郎の東京中央郵便局(1933年)と大阪中央郵便局(1939年)を見ればよく分かります。

 大阪中央郵便局 大阪中央郵便局(取壊し)

 大阪中央郵便局 同 内部

 以前、大阪中央郵便局の内部を隈なく拝見する機会があったのですが、1階から上階まで可能な限り柱を間引いた広々とした空間が設えられ、壁面や廊下には大きな窓から採光が図られ、1階の前面の客だまりと後面のトラックヤードが好対照をなしている、そんな機能的な建物だったのです。そして、その外観はフラットな壁面に大きな窓を持った無機的なデザインとなるのでした。

 同じく逓信省の技師だった山田守、彼は晩年の作に京都タワー(1964年)があるように、機能主義というよりも表現主義の建築家でしたが、それでも東京逓信病院(1937年)を造った時、こんな言葉を残したそうです。
 「外観、内部、その他における虚飾を廃し、単純明快な形態となし、工費の節減をはかり、もって近代病院建築の複雑なる機能に対する科学的要求を充足することに専心努力した」。
 この「病院」という語を「郵便局」に置き換えても、そのまま通用するでしょう。

 中京郵便局
  改築前の中京郵便局(同局の展示パネルより)
  本館の北には、明治45年に建築された別館があった


 保存・再生への格闘

 それからでした。「機能的には死んだ建物」であった中京郵便局を生まれ変わらせる闘いが始まったのは。

 保存を望む学会側は、4つの保存法を提示します。

 (1)記録を残す
 (2)一部のディテールを残す
 (3)建物の外壁を残す
 (4)建物の一部を残す

 全部残すという理想にこだわらずに、歩み寄って部分保存をはかる。それが両者にとって不本意であっても、先祖の遺産を少しずつでも蓄積していくべきではないか、という趣旨でした。

 これに対して、郵政の建築部は頭を悩ませます。

 これは一つの新しい考えである。
 (中略)
 しかし又一方合理主義建築の主唱者を先輩に持ち、機能主義で教育されて来たわが建築部にとって、理論としては分るが、その考えになじむには、大きな抵抗があった。
 立面は平面の不離の関係として表現されなければならない、と常々考えていた建築理念の転換を要することになる。


 おそらく、部内で侃々諤々の議論があったことでしょう。自分たちが先輩から受け継いできた建築への考え方は容易に改まるものではない……
 では、彼らはどのように考え方を転換させたのか?

 それは「模様替え」「修復」という解釈でした。

 しかしこれは新築でなく模様替と割切ることも出来るかも知れないし、又歴史的建造物の修復は、内外に数多くあり、破壊された建築が修復されて、時代を代表するものとされている実例も幾つかみられる。当時の技術やデザインの手法を、良いにつけ、悪いにつけてその記憶が失われないうちに修復して後世に伝えてゆくことは、それなりに価値のあることである。
 (中略)
 新しい局舎機能を満足出来るなら、保存の意義は認められる。


 彼らは、この「保存」を「修復」と捉え直し、さらに新局舎としての機能をも追求するという困難な挑戦に挑む決意をするのです。

 しかし何としても反対せざるを得なかったのは、北側の壁を除いて外壁をコの字型に残すことは、階高のため事務室が殆ど全館無窓となってしまうことであった。景観を救うためとはいえ、局員の居住性を犠牲にすることは、とるべきではない。

 古い建物は煉瓦造2階建でした。しかし新庁舎は、各階の階高を低くして3階建にする予定でした。そうなると、外壁と内部の間に齟齬が生じ、窓が設けられなくなってしまうのです。
 「景観を救うためとはいえ、局員の居住性を犠牲にすることは、とるべきではない」。この建築部の考え方は、自然な流れの中で導かれたものでしょう。そして、再び構造や施工の担当者を交えて検討した結果、現実的に無理のない計画を立てられるとの結論が出たのでした。これをもって、彼らは外壁の一部保存案を受け入れることにしたのです。


 保存上の工夫

 中京郵便局は、東洞院通に沿って南北に細長い敷地をしていました。
 南側には、明治35年(1902)築の本館があり、北側には明治45年(1912)築の別館がありました。
 再生計画では、別館は全て取り壊して3階建のRC造を新築します。本館は、内部は新築しますが外壁の一部を残すことにします。残す外壁は、三条通に面した全てと、東洞院通に面した西面の約1/2、その反対の東面の約1/4です(北面は全て取り壊します)。つまり、全外壁の半分弱が保存されることになったのです。

 ところが、この局舎はおもしろい構造をしていました。
 1階の床面が地上約1.9mの高さにあるのです。明治後期は、郵便馬車を使っていた関係で、その受け渡しのために床高が高くなっていたのでした。

  中京郵便局
  東洞院側の開口部(赤線が当時の床面)

 写真の赤線のところが床のレベルでした!
 改築では、東洞院側の扉を地面まで下げて、内部の床高(これは50cmにする)にあわせてスロープとしました。

 中京郵便局
  東洞院側から入るとスロープがある

 一方、三条通側の正面は、かつては9段の階段が付いていました。

  中京郵便局 
  正面中央の階段

 床高が低くなったので、段数を9段から4段にすることになりました。ただし、中央(上の写真)だけは飾り階段として元の形を残しました。

  中京郵便局
  正面左右の出入り口は4段に

  中京郵便局
  正面(三条通側)全景

 ところで、東洞院側は、全長41.55mの壁面延長がありました。
 この全てを保存すると、2階建を3階建にするために、窓が全く取れなくなります。結局、約27mだけ壁面を残し、窓も確保できるようにしました。

  中京郵便局
  西面(東洞院側)全景
 
 保存された壁面ですが、手前から窓が3つあり、壁の突出部があって、さらに窓が3つあります(ここに入口もあります)。
 当初は、この向うに突出部があって、さらに窓が3つありました。つまり、西の壁面は、2つの突出部で区切られた3スパンからなっていたわけです。それを2スパンだけ残したのですね。
 三条通の保存壁は23.3mですから、四角くバランスのとれた形になりました。

 この建物の北に新館をつなぎました。

 中京郵便局
  控えめなデザインの新館
  1階後方のピロティはトラックヤードになっている

 中京郵便局
  本館と新館の接続部

 こんな具合に、かつて2階建だった煉瓦の外壁の中に、3階建の局舎を収めてしまったのです。
 設計、施工上さまざまな工夫があることは、『建築記録/中京郵便局』に詳述されています。

 こうして、本邦初の「ファサード保存」が実現したのです。
 外から眺めると、ただの壁面保存にしか見えませんが、現代の郵便局としての機能をしっかり確保した上で、景観維持にも寄与するという離れ業を成し遂げたのでした。
 機能と意匠の“二兎”を追うことに成功した優れた事例です。
 逓信省以来受け継がれた建築思想、建築技術の賜物というしかありません。

 昨今、壁さえ残したらいいんじゃないの、というようなファサード保存も多い中、改めて中京郵便局の試みを学び、噛み締めたいと思います。
 やっぱり先駆者は偉大だ。

  中京郵便局 保存された三条通面




 中京郵便局(京都市指定文化財)

 所在 京都市中京区三条通東洞院東入ル菱屋町
 見学 郵便局として利用できます(パネル・資料展示あり)
 交通 地下鉄「烏丸御池」下車、徒歩約3分


 
 【参考文献】
 『建築記録/中京郵便局』郵政大臣官房建築部、1979年
 『建築学用語辞典』岩波書店、1993年
 京都建築倶楽部編『モダンシティーKYOTO』淡交社、1989年
 大川三雄ほか『図説 近代建築の系譜』彰国社、1997年


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