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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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京都の西国三十三所(3) - 六角堂 その2 -





六角堂


 親鸞上人の夢

 六角堂(頂法寺)について、とても大切なことは、ここで日本の宗教史上に残る重要な出来事が起こったことでした。
 それは、親鸞上人が見た夢です。

 29歳の時、親鸞は比叡山を降りて、六角堂で百日間の参籠を行います。その95日目のことでした。夢の中に救世観音が現れ、次のように述べたのでした。

「あなたが前世の因縁によって女犯したとしても、私が女性の姿に変わって交わりを受けましょう。一生の間よく仕え、臨終の際には極楽へ導きましょう」

 救世観音は、「これは自分の誓願であり、すべての人に説き聞かせなさい」と言ったといいます。
 女犯(妻帯)の罪に苦悩していた親鸞は、これにより悟りを得、法然のもとに馳せ参じました。これが後に浄土真宗が開かれるきっかけとなったのです。
 この夢に現れた救世観音は、聖徳太子の化身といわれています。六角堂は、四天王寺の用材を求めて当地を訪れた聖徳太子が創建したとされていて、古くは本尊の如意輪観音も聖徳太子であると考えられていました。

 この話には、2、3の興味深い点があります。
 ひとつは、参籠の最中に夢を見て啓示を得たということ。
 いまひとつは、籠ったお堂が六角形だったということ。
 三つめは、六角堂を創建したのが聖徳太子だということです。

六角堂 六角堂の太子堂


 「今昔物語集」の男が見た夢

 王朝文学や古記録には、当時の貴族らが盛んに寺院に籠ったことが記されています。観音霊場として名高い長谷寺、石山寺、清水寺などは、その代表格です。
 平安時代末に成立した「今昔物語集」には、さまざまな仏の霊験譚が収められています。そのうち、巻16には観音菩薩の霊験が集められています。
 その第28話には、昔話などで誰もが知っている「わらしべ長者」の話が記されていますが、これは貧しい青侍が長谷寺に参籠してその夢告に従ったところ、長者になったという物語です。

 そして第32話には、六角堂の霊験譚が登場します。こんな話です。

 日頃、六角堂にお参りしていた男が、大晦日の夜、一条戻橋で恐ろしい鬼たちの行列に遭遇し、捕まって唾を吐きかけられた。すると、自分の姿が透明人間のように見えなくなってしまい、家に帰って妻子に会っても、自分の姿は見えず声も聞こえないらしいのだった。
 どうしようもなくなった男は、六角堂に参籠して「観音さま、私を助けてください」と祈った。14日ばかり過ぎた暁の夢に、貴い僧が現れてこう言った。
 「朝になったらここを出て、最初に出会った者の言うことに従いなさい」
 外に出ると、一人の牛飼い童がおり、「私と一緒に来なさい」と言う。
 ついていくと大きな門のある家に着いた。中に入ると、姫君が病で床に伏しており、行者が加持祈祷をしている。それは不動明王の火界の呪だったが、その火が男の着物に燃え移ってしまった。すると、男の姿はたちまち見えるようになった。
 その拍子に姫君の病も直ってしまった。家人は不審に思ったけれど、男を許して帰した。 (「隠形の男、六角堂の観音の助けに依りて身を顕はせる語」)

 平素から信心の篤い者が、六角堂で夢告を得て救われるという霊験譚です。出会った人に従うべし、というのはよくあるパターンで、第33話の清水寺の話にも、参籠の帰りに語りかけてきた男の言うことに従え、という逸話が出てきます。

 かつて、お堂に籠ることは単にお祈りするというのではなく、そこで眠って夢を見、お告げを得ることでした。
 宗教学者の植島啓司氏は、聖地とは夢を見る場所であると述べています。聖地で、籠る=眠る=夢を見る、ということが、人々にとって大きな意味を持ったのでした。日本を代表する夢告の場所は、奈良の長谷寺でした。西郷信綱氏は、長谷寺は夢を授ける聖所であり、人々は夢を授けてもらうために長谷寺に詣でた、と指摘しています。

六角堂


 六角堂と夢殿

 いにしえ、六角堂を創建したのは聖徳太子だといわれています。もうお分かりだと思いますが、法隆寺にある八角形の建物は夢殿と呼ばれています。太子は(現在のものとは違うものの)よく「夢殿」に籠り、夢を見たとされています。
 このことからすれば、親鸞上人から市井の男に至るまで、人々が夢を見た六角堂も「夢殿」と考えることができるでしょう。特異な六角形や八角形の丸いお堂(円堂)は、通常の四角い堂宇と異なり、特別な聖所だとみなすことができます。

 政治、富、出世、病気、結婚、出産、戦い……。世のあらゆることが夢告の対象となり、人々はそれを得るために参籠したのです。
 中世の今様を集めた『梁塵秘抄』には、「験仏の尊きは、東の立山、美濃なる谷汲、彦根寺、志賀、長谷、石山、清水、都に真近き六角堂」とあります。六角堂は、長谷寺・石山寺・清水寺などとともに霊験あらたかな寺院とされていました。それは、六角堂が聖徳太子ゆかりの寺であり、夢告が得られる場所ということと無関係ではないのです。

 最後に、「その1」で取り上げた“六角でない六角堂”の話です。
 上記に述べた意味からすると、六角堂はやはり六角形でなければ意味がない、とも考えられます。しかしまた、夢の持つ力が失われた時代(少なくとも中世末から近世はそうでしょう)には、六角堂はもう六角形でなくてもよかった、ということもいえます。
 どちらが正しいのか、もう少し考えてみたいですね。

六角堂 献灯の貼り紙
 



 頂法寺(六角堂)

 *所在:京都市中京区六角通東洞院西入る堂之前町
 *拝観:境内自由
 *交通:地下鉄烏丸御池駅より、徒歩約3分



 【参考文献】
 西郷信綱『古代人と夢』平凡社ライブラリー、1993年
 五来 重『西国巡礼の寺』角川ソフィア文庫、2008年
 植島啓司『聖地の想像力』集英社新書、2000年
 『今昔物語集 本朝部(上)』岩波文庫、2001年
 『新訂梁塵秘抄』岩波文庫、1933年



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