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PROFILE

船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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奉納の“釘抜き”に驚かされる釘抜地蔵は、抜苦の霊験にあふれている





釘抜地蔵


 『京都民俗志』に登場する釘抜地蔵

 大正から昭和にかけて、京都の民俗を調査した井上頼寿という人がいます。彼の代表作は、『京都古習志』と『京都民俗志』です。
 『古習志』には、宮座や講についての詳細な調査報告が掲載されています。
 『民俗志』は、タイトルとは少しイメージが違っていて、さまざまな伝説を持つ鳥居、井戸、石や、習俗、動植物などが、数多く紹介されています。本書は、平凡社の東洋文庫にも復刻されていて、私も学生の頃や最近も復刻版で見ていたのです。

 でも、やはり書物は原本で見るにこしたことはありません。昭和8年(1933)に刊行された『京都民俗志』の巻頭には、東洋文庫版には復刻されなかった写真が掲載されていたのです。
 その最後の1枚は、やはり衝撃的でした。

  『京都民俗志』より釘抜奉献
   『京都民俗志』より釘抜地蔵

 釘抜地蔵。
 キャプションには「釘抜奉献」とあります。

 本文を引用してみましょう。

 釘抜地蔵尊
 千本通寺内東側石像寺の内に在る。身体に何処か病気があると、総て腫物だとか瘤[こぶ]であるとか云ひ拵へて抜いて下さいと御願ひする。蝋燭を上げ堂の周囲を御千度して廻る。
 堂の周囲には処狭き迄に釘抜に釘を添へた額や、奉納の小絵馬が貼り詰められてゐる。
 門の前左手には子供の丈位の大きな釘抜と釘がある。同寺の事は、雍州府志巻四等にも見えてゐる。(481ページ)


 病気があると、それを腫れ物やコブと称して「抜く」祈願が行われており、その作法はロウソクをあげた上で、お堂の周囲を「お千度」して回る、というものだったようです。これは現在に続く参拝法ですが、釘抜きですから腫れ物などを抜いてしまうわけですね。
 また、釘抜きと釘を付けた絵馬が御礼の奉納されていました。
 子供の背丈くらいの大きな釘抜きは、今もあります。

 釘抜地蔵
 「子供の丈位の」釘抜き


  釘抜地蔵に参拝

 実際に、釘抜地蔵に行ってみましょう。

 釘抜地蔵
  釘抜地蔵で知られる石像寺

 お寺は浄土宗の石像寺といい、藤原家隆らの墓と伝えるものがあるので、山号を家隆山といいます。
 場所は、千本上立売を上がったところ。観光エリアではないのですが、いわゆる「西陣」で、伝統ある機業地にあるお寺です。京都の人からは、親しみを込めて「釘ぬきさん」と呼ばれています。

 釘抜地蔵

 この中門を入ると境内で、正面に地蔵さんが祀られています。

 釘抜地蔵
  釘抜地蔵

 当然、いまでもお堂の壁面に所狭しと奉納の絵馬が打ち付けられています。
 お堂の背面には、250枚ほどの絵馬があって、側面などと合わせると500枚は優に超えています。いずれも平成十何年など新しいものです。 

  釘抜地蔵

  釘抜地蔵
  奉納絵馬

 額縁の左右に年月日と氏名があり、枠内に「御礼」の文字と、干支+男/女、年齢が記されます。こういった記載法は一般的な小絵馬と同じですね。そして、中央には釘抜きと釘2本が取り付けられるのです。

 『京都民俗志』の写真を少し拡大しましょう。

  『京都民俗志』より釘抜奉献

 現在と似ていますが、釘抜きと釘はある程度そろっているものの、若干異なったものを付けている人もいます。
 そして何より、釘抜きと釘の配置が左右逆です(右に釘抜き、左に釘)。これは不思議ですね。確かに、釘を抜くときは右手に釘抜きを持つわけですから、こちらが自然と言えないわけもない……
 また、文字なのですが、「御礼」ではなく「奉納」と書いているものが多いようです。


 古い絵馬を見る

 このお堂の前面や左隣の休憩所には、少し古い絵馬が掲げられています。これらは、定形の小絵馬とは異なるスタイルになっています。

 釘抜地蔵
  休憩所の東面にある絵馬

 休憩所に掲げられた絵馬です。
 中央のものは釘抜きだけ、左右は釘だけです。

  釘抜地蔵の奉納絵馬
   織田貞治郎の奉納絵馬

 中央の絵馬は、明治28年(1895)8月に、松原通高倉東入町(現在の下京区杉屋町あたり)に住む織田貞治郎が奉納したものです。ここにはちゃんと「御礼」と書かれています。
 そして、年齢は8歳。子供です。もちろん親御さんが奉納したということになりますが、しっかりした額縁を伴う立派な絵馬です。当然、専門の額師に頼んで作ったものです。これだけの奉納をするということは、貞治郎はさぞかし重い病を患っていたのでしょう。でも、それが快癒して御礼に奉献したのです。両親の喜びは、どれほどだったでしょうか。


 釘抜地蔵
  本堂に掛かる米常の奉納絵馬

 こちらは、本堂の前面左上に掲げられている絵馬です。明治20年(1887)7月に、東堀川通姉小路角(現在の中京区姉東堀川町あたり)に住む米常が奉納したものです。「米常」という名は、米屋さんなのでしょうか。
 絵はかなり剥落していますが、掛け布団を背中に掛けて布団に座った女性が、手を合わせて拝んでいます。鉢巻をしていて、年老いているようにも見え、長い患いのようです。左上には、釘抜地蔵の堂の前で額づいて参拝する女性が描かれています。おそらく病人の代参なのでしょう。そして、右上には小さな額に入った釘2本が取り付けられています。
 どうやらこの女性も、長い病を患っていたものが、釘抜地蔵に祈願することで病が癒えたのでしょう。病人と参拝者は、もしかするとお母さんと娘さん、あるいは姑さんとお嫁さんかも知れません。


 釘抜地蔵が現れる絵馬

  休憩所に掛けられた絵馬です。

  釘抜地蔵の奉納絵馬
   杉田友吉の奉納絵馬

 明治14年(1881)6月、杉田友吉という人が奉納した絵馬です。130年余り前のものですが、綺麗な状態で掛けられています。
 布団の上に座った男性、髪は描かれていないのでおそらく老人なのでしょうか、手を合わせて拝んでいます。右上方から、雲に乗ったお地蔵さんが降りてきています。その左手をよく見ると、何やら持っておられます。釘抜きのようにも見えるし、後で紹介する説話を考えると2本の釘かも知れません。
 釘抜地蔵が男性の苦を抜くために、やって来られた場面なのです。
 この男性の年齢や住所などは分かりませんが、布団から離れられない長い病気だったのは、前の例と同じです。


 古い説話と抜苦の地蔵

 釘抜地蔵は、3尺6寸(約1m)の石造の立像なのですが、弘法大師が造ったとも唐から伝えられたとも言われています。
 寺に伝わる説話を『京都市の地名』から紹介しましょう。

 寺伝によれば弘治年間(1555-58)油小路上長者町の商人紀ノ国屋道林が両手の痛みに耐えかねて平癒を祈願した。夢中に地蔵尊が「汝[なんじ]は前世に人を怨み、仮の人形をつくり、両手に八寸釘を打ち込んで呪いたることあり。その罪障によって苦しみを受く。われが救うてとらせよう」というと、地蔵の手に二本の釘がにぎられ、痛みが失せたという。
 以来、病気平癒の祈願には身体に釘がささったと称して祈ると霊験があるとの信仰ができた。お礼には二本の釘と釘抜を板にはりつけて奉納する「御礼絵馬」の風習ができ、堂のまわりにところ狭しと掲げられている。(639ページ)


 御礼の小絵馬に釘を2本張り付けるのは、両手に打ち付けた“呪詛の釘”がもとだったとは……
 そう思うと少し怖いですね。

 一説には、釘抜地蔵の称は「苦抜地蔵」が転化したものといいます。
 古くから地蔵は、地獄に落ちた人を救ってくれるというように、人々を救済し苦しみを除いてくれる利益があると信じられてきました。特に、病を治してくれるという点では、すでに鎌倉時代の説話集である「沙石集」に、次のような話が登場しています(速水侑『菩薩』より引用)。

 帥[そち]の僧都という僧が病気にかかり命も危ないとき、どこからともなく若い美しい僧が現われ、なにもいわずに看病してくれる(中略)僧都は弟子に、「あの僧はだれか」と聞きますが、僧都以外の人には、その僧の姿がみえません。そこで弟子たちが「あるいは地蔵菩薩が看病なさったのではないでしょうか」というと、僧都は「まことにそうかもしれぬ。そういえば、お帰りになるとき錫杖[しゃくじょう、地蔵が持つ杖]をかついでおられた。ああかたじけないことだ」と感涙にむせんだといいます。(161ページ)

 時代がくだるにつれて、地蔵は人々に降りかかる災厄の身代わりになってくれる「身代り地蔵」の色合いを強めていきます。たいへん現世利益的な信仰を集めていくわけです。
 石像寺の釘抜地蔵も、まさにそのひとつといえるでしょう。
 「都名所図会」巻1にも、

 地蔵堂には弘法大師の作り給ふ立像の石地蔵あり [割注]信ずるに感応ありて霊験いちじるし。石像寺の号これより出たり

 と特記しています。

 「都名所図会」より石像寺
  「都名所図会」より石像寺(部分) 右端に「石地蔵」が見える

 庶民の苦しみを抜き続けてきた釘抜地蔵。一度お詣りしてみてください。




 釘抜地蔵 (石像寺)
 
 所在 京都市上京区千本通上立売上る花車町
 拝観 境内自由
 交通 市バス「千本上立売」下車、すぐ



 【参考文献】
 「都名所図会」1780年
 井上頼寿『京都民俗志』西濃印刷、1933年
 井上頼寿『京都古習志』地人書館、1943年
 速水侑『地蔵信仰』塙新書、1975年
 速水侑『菩薩-仏教学入門-』東京美術選書、1982年
 『日本歴史地名大系27 京都市の地名』平凡社、1979年


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