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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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わざと競馬に負けて、敗者の作法を示した男の話 - 今昔物語集 -

京都本




「都名所図会」より藤森神社競馬


 暴れ馬を選んで競馬

 院政期の説話集「今昔物語集」は、馬にかかわる話をさほど採録しているとは思えません。
 もちろん、時代柄、馬はたくさん登場するでしょうが、馬が中心の話は余りないと思います。今回は、午年ということで、「競馬」をめぐる逸話を紹介しましょう。

 今昔物語集・巻23の第25と第26は、一対の話になっていて、前者が相撲の逸話、後者が競馬(くらべうま)の逸話です。
 相撲の話(「相撲人・成村、常世と勝負する語」)では、相撲の最手(ほて、最高位のこと)の成村と、同じく最手の恒世とが、真剣勝負し、決着後、二人とも不吉な運命をたどる物語です。
 一方、競馬の話(「兼時、敦行、競馬勝負の語」)は、奇妙な負けをめぐって、人々が解釈をめぐらす物語です。

 今は昔、右近の馬場で競馬[くらべうま]が行われた。第一番の組に、尾張兼時と下野[しもつけ]敦行が乗った(競馬は二人のマッチレースで行われる)。
 兼時は、競馬の名手で、昔の名人にも劣らない素晴らしい騎手だった。ただ、暴れ馬に乗ることだけは少し心もとないところがあった。一方の敦行は、暴れ馬でも全く嫌わない乗り手だった。

 その勝負では、敦行はとてもよく調教された馬に乗ることになった。兼時の方はというと、「宮城[みやぎ]」という有名な暴れ馬に騎乗したのだ。宮城は、走るのはたいそう速いのだけれど、ひどく跳びはねる癖があるので、兼時が騎乗する馬としてはとても不適当だった。ところが、兼時は何を思ったのか、宮城を選んだのだった。

 スタートして、二頭は接触しながら走って行った。宮城は、いつものように跳ね上がって走るので、兼時は彼の技術を発揮しても上手く乗りこなせず、ひたすら落とされないように乗るのが精一杯。どうすることもできずに、負けてしまった。

  「都名所図会」より藤森神社競馬 「都名所図会」巻5

 競馬には、並んで騎乗するところから、勝った後の乗り方まで、数多くの作法がある。しかし、負け馬の退場の仕方には先例もなく、知っている人も全くいなかった。けれども、その日の兼時の負けた後の様子を見て、見物した人々は「完敗した場合でも、このように乗らないといけないのだ」と見て取った。どのような作法なのか、みんなに“とても気の毒だ”と見えるような姿で退場していった。
 そんな乗り方だったので、見物の人たちは、兼時は負け馬に乗る作法をみんなに見せようと思って、あえて宮城に騎乗して、わざと負けたに違いない--そう人々は思った。
 それからあと、身分の高い人も、近衛府の舎人も、負け馬の作法は、こうするようになった。

 兼時が、そういうふうに思われたのも、もっともなことだ。なぜなら、彼は暴れ馬に乗るのは心もとないはずなのに、あえて宮城を選んだのだから。そのため、その日の兼時はわざと負けたのだと、世の人々は皆ほめたたえた、と語り伝えたという。 (巻23-26「兼時敦行競馬勝負語」)



 「不思議な負け」をめぐって

 「負けに不思議の負けなし」とは、プロ野球・野村克也氏が好んで使うフレーズですが、ここでは“不思議な負け”に遭遇して、人々が解釈をめぐらせたのです。
 そして、苦手な暴れ馬に乗った兼時の行為を、わざと負けたのだ、と解釈したのでした。

 尾張兼時は、10世紀後半の近衛府の舎人でした。長徳4年(998)には左近衛将監に任じられています。一方の下野敦行も近衛の舎人で、右近衛将監まで進んでいます。
 この日の競馬は、左近衛府と右近衛府との対抗戦で、そのトップバッターとして二人が対戦したのです。どちらも乗馬の名手、ふつうなら組織の威信をかけて先鋒として登場するのですから、故意に負けるとは思えません。

  「都名所図会」より藤森神社競馬 「都名所図会」巻5

 それでも見物の人々が、兼時の負けを「わざとだ」と思ったのは、敗北後の引き下がり方が余りに堂に入っていたからでしょう。
 さすがに「古[いにしへ]ノ者ニモ露恥ズ、微妙ナリケル者也」と評された騎馬の名手だからこそ、可能だった態度だといえるでしょう。

 とかく人は、攻めている時は強いけれど、守勢に入った時にボロを出すものです。2013年も、そんな風景を何度となく見て来た気もします。
 兼時のひそみにならって、立派な「負け方」を身につけたいものです。




 書 名:今昔物語集 本朝部
 典 拠:『日本古典文学全集』今昔物語集(3)(小学館、1974年)


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