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船越幹央

Author:船越幹央
博物館で学芸員をしています。また、京都市内の大学で非常勤講師を務めています。
生れ育った京都の魅力を歴史・文化財・史跡を中心にお伝えします!
やっぱり、京都は奥深い。知れば知るほど、味わい深い。このブログを読んで、京都を歩いてみてください!

[主な取材等]
テレビ:NHK「ブラタモリ~京都~」、BS-TBS「高島礼子・日本の古都」、BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」ほか
新聞・雑誌:小学館「サライ」、朝日新聞、日本経済新聞ほか
見学会:「まいまい京都」ほか

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【大学の窓】年末最後の授業を終えて……

大学の窓




  キャンパス風景

 12月下旬になり、今年最後の授業が終わりました。
 新年は、日曜日に代講があった関係で、授業は1度だけ。事実上、ほとんど授業は終えたことになります。

 私の担当科目は、1回生の日本史の演習。
 約80名の学生が10班に分かれて、テーマを決めて研究を行います。その結果を11月下旬から12月にかけて発表します。
 この出講を始めて、5年。最初の頃は、どう指導しようかと考えました。しかし一方で、楽観的に構えているところもあったのです。なぜなら、大学とは自ら学ぶ場であって、中学や高校のように、先生に教えてもらう場ではないのだから、と。

 先日、京都新聞に永田和宏 京都産業大学教授が、こんなことを書かれていました。

 いまから四十数年前、私が京都大学に入学したとき、時の総長、奥田東先生の入学式の祝辞には度肝を抜かれた。奥田総長いわく「京都大学は、諸君に何も教えません」。そのあとどう続いたのか、ほとんど忘れてしまった。「諸君が自分で求めようとしなければ、大学では何も得られない」、たぶんそんな風に展開したのではなかろうか。
(中略)
 私は自身の経験から、高校と大学はまったく違った世界なのだとまず宣言するところから大学教育はスタートすべきだと思っている。高校と大学をスムーズにつなげるのではなく、意識の上で断絶させることから、大学教育を始めるべきだと思うのである。
(中略)
大学における教育というのは、「わかっている」ことを教えるよりは、「まだわかっていない」ことがあることを学生に知ってもらうことのほうが、はるかに大切なのだと、くどくどと説明する。自分で知ろうとしなければ問いは姿を見せない。高校と大学の教育の違いはいろいろあるが、この点が高校までの教育と本質的に違うところだ。 (京都新聞 2013年10月20日付「ソフィア」より)


 そう永田氏は述べ、最後に、社会に出るとわからないことの方が圧倒的に多い。だからこそ、わからないことに耐え、わからないことに価値を見出す知性を大学では育まなければならい、と締めくくっておられます。
 まったく同感です。私の演習の主任も、毎年最初の授業で同じ趣旨のことを学生に述べています。多かれ少なかれ、大学人や研究者は、同じことを思っているのです。

 だから、5年前、私は高をくくっていました。
 けれど、いま、私は苦しんでいます。

 1年間、学生に「研究」させてみて、どうもうまくいかない……  それを学生のせいにするのは容易だし、そこに原因があるのも事実かも知れないけれど、省みて、自分の指導の拙さに考えが及んでしまうのです。
 奥田東先生のように、「大学は諸君に何も教えません」と言いたいところなのですが、どうもそういう話ではないように思えてきたのです。

 この5年間、私が意図的に避けてきたのは、学生を「誘導」することでした。こうすれば研究が軌道に乗る、というパターンを我々は知っています。その経験を学生に伝授して「誘導」すれば、いい結果が出るかも知れない。しかし、それでは本当の考える力が付かない、という思いから、私は極力「誘導」を避けて来たのでした。
 ところが、昨年、あえて「誘導」したことがあったのです。それは、<写真>をテーマに研究しているグループに対して、研究対象の写真が撮影されてから現在に伝存する間の約100年という時間軸を考慮に入れて研究してみる、というサジェスチョンでした。
 私は板書しながら、その説明をしたのですが、そのとき学生たちの中にあったモヤモヤとした「わだかまり」が溶け、表情が輝いたのを覚えています。
 結局、その観点で研究を進めた彼らは、年末に我々の納得いく発表を行ったのでした。

 そのやり方がよかったのか、私は未だに悩んでいます。
 結果を見ると、よかったように見えるし、それが2回生以降の彼らの利益になることもよくわかる。しかし、それは私が「誘導」したことをトレースしただけではないのか?
 否、1回生なのだから、指導を受けて研究法を学ぶ(トレースする、マネる)ことが大事なのではないのか?
 いつまでも、結論の出ない堂々巡りを繰り返します。

 つくづく、教育に素人である自分が恨めしい。
 来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、私はもう来春からの授業の進め方に頭を悩ませているのでした。


 キャンパス風景


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